かくして其は奴隷となりけり 4
「マリーさん…重いです」
マリーは俺様の頭に後ろから飛びかかり、両太腿で顔面を挟んでくる。
「ユーテスさん…苦しいです」
ユーテスからは正面から抱擁され、彼女の豊かな双丘に顔を塞がれる。
主に頭付近を前後左右絞められ、苦しいし重いはずだったが、なんとなく心地よい感覚もあった。
「なにをぉぉ!?羽のように軽いだ・ろ・う・が!」
「照れなくてもいいのよ。よく頑張ってくれたわ。よしよし…」
マリーは腿をギリギリと締め上げ、ユーテスが頭と背中をゆっくり優しくさする。
「……お二人とも。あまり良くないですよ、この行為」
そう、良くない。
健康的な若い女性が男を太腿で挟んだりすることや、惜しげもなく胸を顔へ押し当てるなど、年頃の少年だと色々と癖が悪くなる。
俺様が長生きした者だったから冷静に対応できたものの、年若い少年だったら悶絶していただろうな。
ただ、この護衛たちの質を確かめるため、もう少しこのままでいないと…
うん。やましい気持ちは微塵もないが、今後の戦力確認のため、やむを得なくだ――なんだ?テン?
主の足に絡んで離そうとするんじゃない。
調査なのだ。
これも仕方なくだなーーー
「いい加減にしろ、お前たち」
低い声が聞こえると、頭付近が軽くなった。
視界が開けるとメギドが二人の襟首を掴んでいた。
「助かりました」
首を回しながらメギドに向き直る。
メギドから向けられる視線は鋭く、冷たいものだった。
相変わらずの敵意だな。
「…………よくやった」
え?
「え?」
思わず間の抜けた声が出てしまった。
マリーとユーテスも驚いている。
「……なんだ?」
「いえ…おおよそ貴女からそのような、労いの言葉のようなものが出るとは思っていませんでしたので…」
不服そうな表情を浮かべ、合わせて舌打ちするメギド。
あぁ通常運転に戻った。
よかった。
「主の窮地でだったのだ。内容はともかく、あのゴミを退けた功績は貴様にあると判断しただけだ…」
「…誠に不本意だがな…」
苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるメギド。
コイツなりに認められた、と判断しておくか―――
「――メギド」
フロウの声が飛ぶ。
振り返ると、彼女はすでに机へ向かっていた。
先ほどまで震えていた手で羽根ペンを握り、書類へ文字を走らせている。
「今夜のやり取りを、覚えている限り正確に記録してちょうだい。ゲラルドが連れていた二人の特徴も忘れずに」
「かしこまりました」
「マリーは子どもたちの様子を確認して。騒ぎを聞かれた可能性があるわ」
「はーい!」
「ユーテスは――」
「ギルド長の記憶を消します」
「……それはもういいわ」
「では、存在を?」
「消さなくていいの」
ユーテスが残念そうに杖を下ろした。
この女を野放しにしていて、本当に大丈夫なのか?
「でしたら…夜が明けたら、今夜の報告書を侯爵家と伯爵家、その他の諸侯へ届けます」
「お願いね」
羽根ペンを置いたフロウが、静かに告げる。
「ゲラルドは諦めていないわ。今度は本物の決議書を用意してくるかもしれない」
「用意できるのですか?」
「時間を与えれば、評議会の何人かを抱き込むくらいはするでしょうね」
やはり、面倒な相手らしい。
今夜は追い返しただけ。
完全に勝ったわけではないということか。
「でも、今夜のことを先に知らせておけば、向こうも好き勝手にはできないわ」
フロウの顔には、いつもの笑みが戻っている。
先ほどの震えはもうない。
切り替えが早いのは、組織の長としての才覚か、持って生まれた素養か。
何にせよこれで………
「では、ボクはこれで……」
「あら?何処に行くの?お手洗い?」
颯爽と部屋を出ようとする俺様に、フロウが声をかける。
「何処へって…ココを出ていくんですけど」
「なんで?」
フロウがさらに問いかける。
何を言っているんだこの娘は…
「なんでって…ボクは部外者ですから」
「いやいや…」
「それはねぇ…」
「バカなのか?」
三人娘は揃いも揃って呆れ顔であった。
酷くない?
「股座に蹴り入れて…」
「あれだけの啖呵を切って…」
「あいつの面子もボロボロにしているのに?」
示し合わせたかのようにツラツラと俺様の行動を反芻する三人娘。
いや…でもアレは何というか…
その場の勢いというか―――なぁテン。
お供のスライムも小さく左右に震えていた。
解せぬな。
「それで無関係を通すのは無理じゃないかしら?」
「ね。バルザック君❤️」
フロウがニコニコと笑みを浮かべている。
「ですが、アレは不可抗力で―――グッ!?」
反論する俺様だったが、突然、胸が熱くなり、心臓を強く掴まれる感覚が襲った。
この痛み、この感覚、まさか!?
咄嗟に上着を脱ぎ捨て、身体を見る。
そこには、朱色の脈打つような輝きを放つ紋様が、胸から、腹部、両上腕にかけて刻まれているのがわかった。
――やられた。
「契約紋…消してもらえてなかったんですね…酷い人だ…」
何とか軽口を叩いてみたが、痛みと熱で口が上手く動かなかった。
「いやぁね〜人を悪女みたいに言わないで」
「さっきの紋は消したわよ。間違いなくね」
「それはねぇ、ゲラルドが帰った時に刻んだ物よ❤️」
あの時か…
クソ。震えていたくせに。
少し余裕が出ると、コレか…厄介な女だよ。
「そんな素振り一切ありませんでしたけど…」
「だって、キミそのまま帰っちゃうつもりだったでしょ?」
全く、人の気も知らないで…
「…ゲラルドの敵意を自分に向けたままね」
『!?』
……気がついていたか。
聡い女だな、まったく。
「そこまでわかっていたのでしたら、尚のこと。契約紋の解除。お願いしますよ」
「イ・ヤ・よ❤️」
キッパリ断るフロウに、若干の殺意が湧いた。
「―――どうしてですか?」
「キミかわいいから❤️」
ニッコリ言うフロウをはっ倒そうかと真面目に思った。
「――真面目に答えて……」
「まず第一に、商会にいた食客の粗相は、家主である私に責任があること」
まぁ、それはそうだろうな。
「次に、キミがケンカを売ったのはギルド界隈でも有名な性豪にして変態」
「以前から私だけじゃなく、近衛の三人を使いに出せ、幼い子どもたちを見繕えと何かと要求していたこと」
欲望に忠実なのは、構わないが、けしからん趣味だな。
「最後にキミがかなりの美形で身元不明の子どもであること」
「それに、すごい魔力量ね。喉から手が出るほど欲しがる人はいるわよ」
「彼、男の子も好きみたいよ❤️」
それは……想像したくないな。
「そんな子どもが何のバックアップもなく外に出たらどうなるか……賢いバルザックくんなら、わかりまちゅよね〜」
手を顔の前でパンと叩くフロウ。
近衛の三人娘も憐れみの表情だ。
あまり想像したくない展開が、容易に想像できる。
つまりこの女、フロウは…
「ボクの身柄を守るため…だと?」
「そう❤️」
パッ明るい笑顔で軽く答えるフロウ。
「そのために奴隷の契約紋をつけたわけですか、あの一瞬で?」
そうと変わらぬ笑顔で答える。
奴隷としての契約をすれば、その身柄は紋を刻んだ者の所有になるのだろう。
貴族や諸侯の覚えがある影響力の強い商会なら、おいそれと手出しは出来ないのは理解できる。
だが、不確実なことがあったはずだ。
「ボクが名前を言わなかったら?」
名は個人を知る最たる物。
契約書への署名と同様、名乗ることで、魔法による契約も為されるのだ。
わかっていたから、名乗りをしていなかった。
世界は違えど、魔法を介した契約紋があるなら、名乗りは慎重に行うべきなので、そう簡単に名乗りは―――
「キミは言うわ。これは確信してたし」
思案の最中、フロウはハッキリと言った。
「どうして?」
「だって…」
「だって?」
椅子から立ち上がり、ツカツカと俺様と目線を合わせるフロウ。
「貴方は優しいもの❤️」
は?
「手を握って、震えてたら、熱い視線を送ってくれたでしょ?」
待て。
「あ、かわいい顔でも男の子だなぁって思ったから…」
待て待て待て。
コイツは何を………
「ちょっと嫌そうな素振りしたらどうなるかなって思ったら、騎士みたいに颯爽と現れてくれたじゃない?」
「かわいいなぁって思ったのよ❤️」
プププと口に手を当てて笑うフロウを見て、これまでにない殺意と同時に、顔が沸騰しそうになるほどの羞恥が込み上がってきた。
「ま、まさか……最初から全部、演技だったのですか?」
「まさか」
フロウは一瞬だけ笑みを消した。
「怖かったのは本当よ。あの男の屋敷へ連れていかれるなんて、考えたくもなかったもの」
そう答えてから、再び悪戯っぽく目を細める。
「でも、アナタがあんな熱い目で私を見ていることには、途中で気づいたわ」
「途中で……?」
「ええ。だから、少しだけ試してみたの。私が本当に連れていかれそうになったら、アナタはどうするのかなって❤️」
「では、手を引いたのは……」
「あれは半分本気。触られるのは本当に嫌だったもの」
半分。
残りの半分が何だったのかは、聞きたくない。
俺様はメギドたちへ振り返った。
「貴女たちも知っていたのですか?」
「途中で察した」
メギドが不機嫌そうに答える。
「フロウ様が、企みをしている時の合図があったのでね」
「私も同じ頃に。もっとも、ゲラルドを消す準備は本当にしていましたけれど」
ユーテスが微笑む。
だからコイツは怖いって。
「およ? 何の話?」
マリーだけが、不思議そうに首を傾げていた。
―――やられた。
とんだ悪女だ。
「さてと、バルくん❤️」
落胆する俺様の背後からフロウが両肩を掴んできた。
甘い口調が若干怖い。
「私の奴隷として、最初のお仕ことを命じます」
「…お断りしたいですね」
僅かばかりの抵抗を示してみせる。
すると、意外にも、
「あら?やらなくてもいいわよ?でもねーー」
そこまで言って、マリーに視線を送るフロウ。
マリーは元気いっぱいに手を上げて、書斎の扉を開き、
「おーい!」
廊下に向かって大声を上げると、バタバタと複数の足音。
足音は次第に数を増し、こちらへ近づいてきた。
「この子たちに、ちゃんと断ってあげてね」
ニヤリと笑うフロウ。
部屋に入ってきたのは、先ほど食ことを共にした子どもたち。
全員が手にはタオルと着替えを持っていた。
まさか…
「はーい。みんなーこのお兄ちゃん、バルザックお兄ちゃんが、みんなとお風呂に入ってくれるよー」
『わーい!!!』
フロウの掛け声で歓声が上がる。
ちくしょう!予想通りじゃないか。
なぜ子守りなぞ…
「バル…ザク?」「バ…ザコ?」「ザックザコ!」
「テンちゃんだー」「テンちゃんと入るー」「入るー」
「すべり台してー」
ああぁぁ、もう。
すっかり俺様の周りを取り囲み、思い思いに口を開く。
子どもの相手なぞできるはずもないだろうに。
髪を引っ張ったり、服や腕を引いてくる。
注意しても聞きやしない。
阿鼻叫喚の絵図だなこれは…ん?
ふと服の裾を引っ張る方へ視線を移すと、一人の赤毛の少女がこちらを見ていた。
「バル…にいちゃん…?」
赤毛の少女、エレノラが小さく言った。
すると、
「バルにいちゃん?」
「バルにいちゃんだ!」
「バルにいちゃん!!」
一斉に呼び名が定着した。
ワラワラと群がる子どもたち。
「それでいいですよ…とりあえず…」
「みんなまとめて風呂に行きますよ!」
高らかに宣言すると、子どもたちは興奮してこれに応えてくれた。
そこからはよく覚えていない。
やれ、身体を洗ってやったり、湯船で泳ぐ子を制止したり、湯船でトイレに行きたいと言う子を迅速に引き上げたり、身体を拭くのに脱衣所内で運動会をしたりと、色々と騒動があった気がするが、本当に覚えていない。
なぜなら、風呂が終わった後、メギドらから、
「次は寝かしつけだぞ」
「それが終わったら、お掃除ね〜」
「朝食の仕込みもあるからお手伝いに来てね」
その言葉を聞いて、どっと疲れが襲ってきたところで、
「明日からは子どもたちのお世話お願いね」
多分こんな内容だったと思う。
なぜ、多分だって?
フロウに声をかけられた後、気を失ってしまったからだよ。
奴隷というか、保護者のそれだぞ。
悪い夢だと思いたい。
「ふふ。…ありがとうね」
優しい声音。
フロウだろうか。
瞼が重い、ふわふわする。
髪を溶かれる感触が心地よく、ゆっくりと眠気が襲ってくる。
「カッコ良かったわよ。小さな騎士様―――」
虚ろになる意識の中、声が聞こえ、額に柔らかな感触が残る。
夢かな。
きっと夢だろう。
でなければ、あの女が、あんなにも無防備な声で礼を言うはずがない。
目が覚めたら暖かいベットで目が覚めるんだ。きっと―
そうあってくれ。
契約紋を刻まれ、仕事を与えられ、逃げる機会まで失った。
こうして俺様は、この館の奴隷となった。
断じて認めたわけではない。
ただ――明日の朝食にも肉が出ることを願いながら、俺様はテンとともに眠りへ落ちていった。




