第六話
授業を終えた僕と櫛木は、大学近くのチェーンカフェに入っていた。出されたコーヒーをブラックのまますする。
向かいに座る櫛木は姿勢を何度も正しながら目線をうろうろさせていた。まるで誰かに監視されているような、そんな感じである。
「もしかしてさっきの子たちいるの」
「えっ!? いっ、いないけどどうしたの?」
「……いないならいいや。別に」
コーヒーのカップを取るさりげない動作で窓の方を確認し、こちらを覗いているさっきの女集団を見つけたので白状してもらえるのが一番良かったが、してくれなくても別にまあ良い。
櫛木はスマホを取り出してコーヒーの写真を撮ると、裏返してテーブルの端に置いた。
彼女とコーヒーを飲んでいると、関係性が良好だった時のことを思い出す。僕たちは京都の河原町や三条にある歴史ある壮観な内装外装のカフェから、大阪や兵庫にあるインスタ映え間違いなしの今時カフェまで幅広く巡っていた。
そのおかげで僕の趣味欄にカフェ巡りが追加された。でも「趣味はカフェ巡りです」なんて男が言うと「付き合ってる女の影響を受けてそうだな」とか「女を狙うために必死すぎるな」とか思ってしまうので誰にも言ったことはない。
「そういえば、知らない奴といきなり二人でお店に来て、彼氏に何か言われたりしないの?」
「……別れたから、多分何も言われないよ」
ぼそっと、櫛木は小さく消え入るような声で言ってコーヒーを飲んだ。付き合っていた男の顔でも思い出したのか、顔が少し歪んでいた。それは明らかにコーヒーの苦みでではない。
今日、金髪ボス女グループの面々に媚びを売るためか何かで張り付けていた、あの引きつった笑顔よりずいぶん人間味が感じられて良いと思った。
今、僕の頭の中には千ピースパズルがある。孤児院で生まれ育った天才とかが解くホワイトピースパズル。それが徐々に埋まっていく感覚を覚えている。
完成は近い。そしてそれが完成した瞬間、僕にとって最悪な感情を知覚することになる。きっと櫛木に対してもそれ以外に対しても。誰も幸せにならないものだ。
「へえ、別れたんだ。原因は何なの?」
「……向こうの浮気」
「なるほどねえ」
綺麗な顔を歪ませて被害者ぶっているが、櫛木も櫛木でおそらくその男とデートしている時は、付き合ってこそいないが僕との関係はまだ続いていたわけで、見方を変えればこの女も浮気をしていたことになる。
昔読んだ恋愛ミステリで、主人公が二股かけて振ったと見せかけて実はヒロインが二股をかけてましたみたいな展開があったなと思いだした。
でも流石にひと月前に付き合いだしてもう浮気で分かれているのはちょっと可哀そうではある。
櫛木はぐいとコーヒーを飲み干すと、ずいと向かいに座るこちらに身を寄せてきた。甘い匂いがする。よく見たら服装が茶色のブラウスに淡いブルーグレーのズボンで、初めて話した時のことを思い出した。
「一谷君は最近どうなの?」
「どうって?」
「恋愛」
きゃあ、と遠くの方で何かが聞こえた気がした。
「恋愛ね。別に上手くいってはないかな」
小林の顔が一瞬だけ浮かんだがすぐに消えた。
「そろそろゴールデンウィークだけど、予定は空いてる?」
「いやあ、結構バイト入れちゃってるからね。どうだったかな」
予定を確認するフリをしてスマホを触る。
カレンダーのアプリは開かない。アルバイトの塾講師が入っている日は把握している。
何をするのかといえばパズルのピースを埋めるために必要な最後の行為。
そしてピースが埋まった。案の定僕の中で最悪な感情が湧き上がった。
「じゃ、じゃあゴールデンウィークじゃなくていいし、その……」
「分かった」
「本当?」
「ああ。いい加減付き合いきれない」
僕は櫛木の方に手を伸ばし、テーブルの端に置かれた控えめにデコられたスマホを奪い取る。
彼女はいきなり手を伸ばされて恋愛脳のスイッチが入ったのか知らないが惚けていたから、僕の行動に気付くのが遅れた。奪い返そうにももう遅い。
スマホは、電源を切りロックをかけていれば大体の機能は制限される。それでも、ロック前に行った行為のいくつかはロック後であってもそのまま行うことができる。
僕は口元にスマホを持っていき、底冷えするような声を出す。
「何が目的か知らねえけどお前ら早く店の中入って来いよ。舐めてんのか?」
ひゅっと、息の詰まる音がスマホ越しに聞こえた。
さっき聞こえたきゃあという黄色い声はこのスマホの中から鳴っていた。
だいたいあの女たちの態度も妙だった。明らかに興味がありそうなのに素直に引き下がって店の中には入らない。そのくせ窓の外から様子を眺めて、一方的に興奮している。
僕がしたのは櫛木千夏のアカウントに電話をかけること。案の定繋がらず疑念は確信に変わった。
僕をブロックしている可能性も検討したが、メッセージアプリはスタンプのプレゼントでブロックされているか確認することができる。
適当に何か一つ選んで送り付けたところ無事プレゼントできたため、数十円を犠牲に僕の理論は裏打ちされた。
結局は見世物だった。僕は店内に入ってきた、けばけばしたブスたちを言葉の暴力でしばきあげながら、僕は自分が置かれていた状況を把握した。
韓国語のそのグループでは、浮気されて別れた櫛木を慰める会が何回か開催されていたらしい。
そして金髪ボス女は「前のゴミみたいな彼氏はは忘れて早く次の恋愛に進んじゃいなっ!」と言った。
それもそうかということで次の恋愛では誰を彼氏にするのかが検討された。
白羽の矢が立ったのが僕だった。
初心そうで割と直ぐ付き合えそうで、手っ取り早く心の隙間を埋めてくれそうな存在。飽きたらまた前回と同じように乗り換えればいい。
「彼氏に捨てられて、俺には良い顔してすり寄って保険ってか。笑えるね」
「——ちょ、ちょっと何その言い方」
「いいの。私が悪いから」
こちらに向かって睨みを利かせてきたブスボス女を櫛木が手を伸ばして壁を作り制止させる。
ブスボスって、野球選手の助っ人外国人みたいな響きだな。2割前半で30本打つタイプのホームランバッター。
「で、でも…!」みたいに言ってるブスボスに櫛木は「良いから」となだめている。
急に悲劇のヒロインぽくなり出して面白い。ピン芸人の大会とか出たら結構いいところまで行くんじゃないかな。
これ以上気持ち悪い馴れ合いを見ていたくなかったので、僕は1000円札を置いて店を出た。余分な金は手切れ金のようなものだ。
帰り道、駅までの道を歩く中で、来週の韓国語マジで行きたくないなと思った。
***
阪急電車に揺られている。十三から乗り込み神戸方面へと伸びていく電車だ。
時刻は夜8時を回っており、社内は残業帰りのサラリーマンと日本観光の外国人ときらきら大学生とその他諸々でぎゅうぎゅうになっている。
すし詰めにされる中に僕の姿もある。
席取り競争に敗北した者は大人しく立ち続けるしかない。大学時代はアメフトやってましたみたいな広告会社勤務のサラリーマン風イケメンゴリラみたいな人にフィジカルで勝てるはずもなかった。
汗臭さと香水とが混ざって変な匂いのする車内でぼーっとしながら考える。
僕はなぜあの女のことが好きだったんだろう。あんな、人のことを餌にしてグループに献上するような真似をする女。自分だけが世界で一番辛いという状況に置かれていると勘違いしている女のことを。
「次はー西宮北口ぃー西宮北口ぃー阪急西宮ガーデンズ前——」
アナウンスが流れ、電車が減速していく。やがてブレーキが強まり完全に停止する。流れに乗って人ごみから脱出し、駅中央にある時計台付近のベンチに座り一息つく。
西宮北口駅は神戸に行くのも梅田に行くのも等しく近い。だから市外に遊びに行くとなった時の集合場所は大抵この時計台だった。
色々な記憶が流れ出しては消える。
今はどの記憶もいらなかった。
膝を組みイヤホンを指してスマホを弄る。音楽アプリでランダムに再生。BUMP OF CHICKENのメーデーのイントロが流れ出した。
「——あれ?」
1番のサビが終わり2番に入ったタイミングで、ふと横に座る人の呟きが聞こえた。振り向くと見知った顔があった。
いや、見知った顔になったというべきか。なにせ薄れかけていた記憶がこの前戻ったから。
手を伸ばされ、右耳のイヤホンが取られる。横の人はそれを自分の耳につけた。
誰もが違う生き物他人同士だから
寂しさを知った時は温もりに気づけるんだ————
「大学帰り? お疲れ」
小林がにやりと笑った。




