(小話)王太子殿下と婚約者候補
少し前の話
婚約者候補の選定を行ったのは、今から数年前のことだった。
「フェリクス殿下、もし宜しければ私が庭園を案内致しますわ」
ご令嬢の誘いに乗って庭園へ赴く途中、エスコートで組んだ腕にご令嬢の手が絡み、さり気なく胸を押し当ててくる。
ため息を押し殺しながら、絡みつくその手を離そうと動けば、ご令嬢は上目遣いで私を見上げてきた。
鼻にかかった甘ったるい声で「2人きりですね、フェリクス殿下……」などと囁き、色目を使うご令嬢に、私は「……またか」とうんざりした気持ちが込み上げた。
◇
「殿下、昨日お会いしたご令嬢を婚約者候補に入れますか?」
「どっちでも構わん。断るのが面倒なら今回も候補に入れておけばいい」
「……あの殿下。これで候補者は8人目となりますが、そうやって会うご令嬢全てを婚約者候補にしておりましたら、候補者選定の意味がございません。ご自分の伴侶になるかもしれない方達なのですから、もう少し真剣にお考えになっては?」
適当な答えを返した私に、従者が呆れて窘めてくる。
「そう言われても全員が似たりよったりなご令嬢だから選びようがない。私は王太子として血を残す覚悟も出来ているし、どのご令嬢でも構わないと思っている」
今まで会った婚約者候補となるご令嬢とのお茶会の様子を思い出す。
媚びへつらい、色仕掛けや色目を使うご令嬢達。
嫌悪を覚えはしたものの、彼女らは彼女らで家の名を背負い、より良い婚約者を得ようと必死なのだ。何だって使える手は使うだろう。
しかし、そうは理解していてもここまで似通った手を使われると、いい加減うんざりとしてしまう。
いつかこの中から婚約者を決めなければならないが、結局誰を選んだところで、私の人生に変わりはないと思えた。
「もしもこれ以上婚約者候補を増やすのが問題ならば、今の候補者の中から選ぶことにする。以後、上級貴族の娘達とのお茶会は全て断れ」
そう言い捨てて再び書類に目を落とすと、従者は「そんな投げやりな決め方はやめてくださいよ」と呆れまじりに眉を下げた。
サマセット侯爵が私に会いに来たのは、そんな婚約者候補の選定に嫌気が差していた時だった。
「殿下!他のご令嬢達にうんざりとしておいでなら、是非私の娘と会ってみませんか?私の娘は一味違いますよ!媚びへつらうことは致しませんし、我の強さなら天下一品です!」
部屋に入るなり訳の分からない謳い文句を笑顔で述べる侯爵に、初めは何を言っているんだと呆れたが、サマセット侯爵の人となりは幼い頃から知っていたので、悪いことにはならないだろうと踏み、娘に会いに行くことにした。
元々、サマセット侯爵家のご令嬢も婚約者候補だったのだ。
会いに行くこと自体問題にはならないし、何がどう他の令嬢と違うのか気になったというのもある。
そうして初めて会ったサマセット侯爵の娘カミラ嬢は、確かに他のご令嬢達と違っていた。
「フェリクス殿下、ようこそいらっしゃいまし……」
艷やかな黒髪と少し目尻の上がった大きな瞳がとても印象的なご令嬢だと思った。
妙なところで言葉を止め、ピクリとも動かなくなったカミラ嬢に私は首を傾げた。
どうかしたのかとじっと見つめれば、彼女の顔が段々と赤く染まっていく。
「ははは、カミラ。フェリクス殿下のお顔に見惚れてないで、自己紹介なさい」
侯爵が笑いながら諭すと、カミラ嬢はハッとして、わたわたと慌てふためきつつ言葉を紡ぐ。
「な、何を仰るのお父様!み、見惚れていた訳ではありません!あの……遠目からしかお見かけしたことが無かったものですから、間近で拝見したら想像以上にお顔が整っていて……少々驚いただけですわ!」
「ふふ、それを見惚れていたと言うんだよ」
侯爵の言葉に、「お父様!からかわないで下さいませ!」と彼女は頬を膨らませ言い返している。
そんな2人のやり取りを見ながら、随分感情が表に出るご令嬢だなと、私は密かに思った。普通のご令嬢であれば、隠すべき感情は隠し、終始貼り付けたような笑顔を浮かべているというのに、コロコロと変わるその表情は確かに他のご令嬢とは違っている。
「ほら、いいからカミラ。フェリクス殿下が待っていらっしゃる。ご挨拶がまだ途中だっただろう?」
じゃれ合うのを止めて侯爵がカミラ嬢に挨拶を促すと、彼女は慌てて姿勢を正しこちらに向き直った。
「……大変お見苦しいところをお見せ致しました。改めまして、私はサマセット侯爵令嬢のカミラと申します。本日はフェリクス殿下にお越し頂き、大変嬉しく思います。どうか、ごゆるりとして下さいませ」
先程とは打って変わり、カミラ嬢は落ち着いた様子で美しいカーテシーを披露した。
あれほど慌てふためいていたのに、いざとなると身についたマナーを披露できるところは、流石侯爵家の娘である。
「こちらこそ、お茶会に誘って頂き感謝する。サマセット侯爵とは幼い頃からの付き合いだが、娘のカミラ嬢と会うのは初めてだな。今日はお互いのことを知るためにゆっくり話ができれば嬉しい」
そう私が答えれば、彼女は頬を染めつつ嬉しそうに微笑んだ。
以降、カミラ嬢が落ち着きを取り戻したこともあり、お茶会は滞りなく進んでいった。
途中、彼女が照れたり恥ずかしがったりする場面も見受けられたが、ありのままの感情を写すその表情に、特段嫌悪感は覚えない。
それどころか、他のご令嬢達とは違う作られていないその表情は、何とも好ましいものだった。
事前に聞いていた噂では、傲慢だの高飛車だのと散々な言われようだった彼女だが、恐らくその素直すぎる性格が原因だろう。
話してみて分かったが、普通のご令嬢であれば上手く隠す虚栄心や人に対する悪感情も、彼女はすぐに表情や態度に表れていた。
けれど、そういった傲慢さや高飛車な部分すら、偽ること無く堂々と表に出す彼女に、いっそ清々しさすら感じる。
そんな彼女とのお茶会は、私にとって居心地の良いものだった。
「そういえば、先日ウォリック伯爵家の庭園を拝見されたという噂を耳にしました」
会話の流れでカミラ嬢が思い出したかのようにそう口にした。
ウォリック伯爵家といえば、先日婚約者候補となった家だ。
確かに、ウォリック家でお茶会をした際に庭園へ案内されたが、ご令嬢から胸を押し当てられ、色目を使われたりと、うんざりした記憶しかない。
「まあ、確かに庭園を案内されたな」
庭園を見た記憶ははあまり無いが……と心の中で付け加える。
カミラ嬢は、私の返答にムッと口をへの字に曲げ、何やら思案しているようだった。
そうしてしばらくして、私に強い眼差しを向けた。
「フェリクス殿下!サマセット家の屋敷にも自慢の庭園がございます。きっとウォリック家で見た庭園よりも満足して頂けると思いますわ!ぜひ私に案内させて下さいませ」
負けず嫌いから出た言葉だろうが、私はその言葉に少しばかり警戒する。
今までのお茶会でも庭園に案内されることは多々あったが、大体護衛が遠巻きになったところでご令嬢が色目を使い始めるのだ。
カミラ嬢が何か思惑を持って庭園を案内するにしても、私は他のご令嬢と同じように彼女が色目を使うところを見たくは無かった。
しかし、折角の誘いを断るわけにもいかず、気乗りしない感情を隠しつつ私は彼女の提案に乗った。
「そうか。では、案内をお願いしようか」
私の言葉に、カミラ嬢は満足そうに頷いた。
そして、「こちらですわ!」と立ち上がり、部屋の外へ私を案内しようとする。
そういった意味での思惑が無いことを祈りつつ、私はエスコートするために彼女に腕を差し出した。
けれど……
「……え?…………あっ!」
差し出された腕に一瞬首を傾げた彼女は、エスコートの腕だと気が付くと見るからに動揺し始めた。エスコートなどされ慣れているだろうに、何故か今は完全に失念していたようだ。
顔を赤く染め、オロオロと狼狽えながら私の腕に手を添えるのを躊躇っている。
「カミラ嬢?どうかしたのか?」
「い、いえ!何でもありませんわ!で、では案内致しますね」
何も気が付かないふりをしてカミラ嬢に声をかけると、彼女はおずおずとした様子で、私の腕に手を添えて、庭園へ案内し始める。
庭園までの道中、カミラ嬢はあまり言葉を発しなかった。
ちらりと隣を伺えば、顔を赤く染めて俯く彼女の姿が目に入る。
そんな彼女の様子を見て、思惑など何もなかったな……と密かに思う。
そして、私の心に温かいものが込み上げてくるのを感じた。
想像以上に、彼女が色目を使う気がなかったという事実が嬉しかったのだ。
そうしてしばらく歩いた後にたどり着いた庭園は、薔薇が見事に咲き誇り、美しい景観が広がっていた。
「これは……素晴らしいな」
思わずそう漏らすと、隣で大人しくしていたカミラ嬢が、得意気な顔でこちらをパッと振り返った。
「ええ、そうなんです!素晴らしい景観でしょう?我が家の自慢の庭園ですわ!」
ここを越える庭園はそう無いと自負しておりますの!勿論、ウォリック伯爵家の庭園も越えることは出来ませんわ!と自信満々に話すカミラ嬢に、思わず笑いを零す。
楽しそうに語っていた彼女は、私の緩んだ顔を見て、目を丸くして勢いよく視線を逸らした。
先程とは打って変わって、頬を赤く染めてモジモジと口籠る彼女は、まるで恋する乙女のようにいじらしく……
————気持ちがダダ漏れだな。
彼女から伝わる好意に、今まで感じたことのない気持ちが込み上げてくる。
「カミラ嬢は、この景色を私に見せたかったのか」
「は、はい。ウォリック家の庭園よりも美しいので、是非見てほしいと……」
「確かに、一見の価値があるな」
ウォリック家に張り合ったとは言え、色仕掛けのような思惑も無く、純粋に楽しんで欲しかったという思いを感じ、心が穏やかになっていく。
ちらりとカミラ嬢に視線を向ければ、彼女は恥ずかしそうにおずおずとしながらも、頬を染め嬉しそうに微笑んでいた。
その様子を可愛らしいと思うと同時に、私の言葉に反応する彼女をもっと傍で見ていたいと思った。
どんな言葉で慌てるのか。
どんな言葉で微笑むのか。
私が好意を仄めかしたら、どんな反応をするのだろうか。
「…………しかし、庭園に連れ出すのは、てっきり私と2人きりになりたいが為の口実かと思って期待したのだが、違うようで残念だ」
からかうようにそう言えば、カミラはぽかんとした顔になる。
そうして意味を理解して、顔を真っ赤にして慌て始めた。
「な、何をおっしゃいますの!護衛達も傍に控えておりますし、そんなはしたないこと考えておりません!婚約者同士ならまだしも、男女で2人きりだなんて……!貴族令嬢として非常識ですわ!!」
期待通りの反応に、更に愛しさがこみ上げる。
「では、婚約者であればいいと?」
「そ、それは……まあ。いずれは伴侶になるわけですし、節度というものはありますけれど……」
「……なるほどな。言質は取ったぞ」
そう言ってニヤリと笑う私を見て、冗談を言われたと思ったらしいカミラ嬢は、からかわないで下さいませ!と頬を膨らませた。
…………冗談で済ます気など、私にはさらさら無いのだが。
カミラとのお茶会の次の日、いつものように従者が私に尋ねてくる。
「殿下、昨日お会いしたご令嬢を婚約者候補に入れますか?」
私は書類から顔を上げ、はっきりと従者に告げた。
「いや、婚約者候補には入れない」
私の言葉が意外だったようで、従者はおや?と首を傾げる。
「……珍しいですね。やはり噂通り悪評が立つようなご令嬢だったのですか?」
傲慢で高飛車だと評判でしたもんねと言う従者の言葉に、私は首を軽く横に振った。
「確かに傲慢な部分も見受けられたが、今までのご令嬢と違ってとても興味深いご令嬢だった」
「へ?では、なぜ婚約者候補にしないのです?」
そんな従者の言葉に、なんと愚問だろうと思いつつ私は言葉を返す。
「婚約者候補では無く、カミラ嬢を婚約者として迎えたいからだ」
「…………へ?婚約者?」
一拍置いて、えぇぇぇ!?と大きな声を出し、従者は心底驚いた。
そんな従者はさておいて、カミラ嬢を婚約者として迎えるために、私はサマセット侯爵へ婚約打診の手紙を綴り始める。
侯爵の思惑通りになったことは何だか面白くなかったが————後日、正式に婚約者となったカミラに「これで2人きりとなっても問題ないな?」と囁くと、想像以上に愛らしい慌てぶりを見せてくれたので……やはり引き合わせてくれた侯爵には感謝せざるを得ないのだった。