第1話 孫に誘われて、ログインしました
「じいじ、絶対ハマるって!」
リビングに響いた孫の声に、朝倉恒一は新聞をめくる手を止めた。
向かいのソファでは、双子の兄・透真が身を乗り出し、その隣では妹の小春まで「うんうん!」と大きく頷いている。
休日の午後。
窓の外では、春先の柔らかな陽射しが庭木を揺らしていた。
退職してからというもの、恒一の日常はずいぶん静かになった。
朝起きて、散歩をして、コーヒーを飲んで、時々畑を触って。
悪くはない。
けれど、どこか“昨日の続き”みたいな日々でもあった。
「ゲームだろう?」
「ゲーム!」
「いや、そんな元気よく言われてもな……」
恒一は苦笑した。
ゲームなんて、ほとんど触ったことがない。
スマホですら必要最低限だ。
そんな自分に、最新のVRMMOなど無理に決まっている。
しかし。
「おじいちゃん、一緒にやりませんか?」
穏やかな声でそう言ったのは、息子の妻――詩乃だった。
キッチンから顔を出した彼女は、どこか楽しそうに微笑んでいる。
「最近のゲーム、本当にすごいんですよ。旅行みたいな感じで遊べますし」
「旅行ぉ?」
その単語に反応したのは、妻の文だった。
みかんを剥きながら、ぱっと顔を上げる。
「温泉とかあるの?」
「ありますよ」
「美味しいものは?」
「あります」
「おしゃべりできる人は?」
「いっぱいいます」
「じゃあやる!」
「決断が早いな……」
恒一は思わず呟いた。
すると透真が待ってましたとばかりに立ち上がる。
「ほら見ろ! ばあばは分かってるんだって!」
「いや、お前たちが何をそんなに興奮してるのか、じいじにはまだ分からん……」
「だってEFOだよ!? 今世界で一番人気のVRMMO!」
「いーえふおー?」
「《Eternal Frontier Online》!」
「長いな……」
横文字は苦手だ。
恒一が眉間に皺を寄せていると、今度は小春がそっとタブレットを差し出してきた。
「これ見て、じいじ」
画面に映っていたのは、どこまでも続く草原だった。
青空。
風に揺れる花。
遠くには石造りの街。
その景色は、ゲームというより“本当に存在する世界”のように見えた。
「……綺麗ねぇ」
文がぽつりと呟く。
小春は嬉しそうに頷いた。
「このゲームね、風も感じるんだよ。ご飯も味するし、雨も降るの」
「そんなことできるのか?」
「できる!」
透真が勢いよく答える。
「あとね、NPCもすごいんだよ! 本当に生きてるみたいに喋るの!」
「えぬぴーしー?」
「ゲームの住人!」
「お前、じいじに分かる言葉で話せ……」
そのやり取りに、リビングへ笑い声が広がった。
気づけば、恒一も少し笑っていた。
こんなふうに家族全員で集まるのは、いつ以来だっただろう。
透真も小春も大きくなって、息子夫婦も忙しそうで。
昔みたいに、みんなで同じ時間を過ごすことは減っていた。
だからこそ。
「……まあ、少し触るくらいなら」
そう言った瞬間。
「やったぁぁぁ!!」
双子の歓声が部屋を揺らした。
「じいじ、絶対前衛向いてるって!」
「ばあばは生産職だね!」
「せいさん……?」
「料理とかお店とか!」
「まぁ、楽しそう」
文はもう完全に乗り気だった。
恒一はそんな妻を見て、小さくため息をつく。
「機械の操作、ちゃんと教えろよ」
「もちろん!」
「あと酔ったらすぐやめるからな」
「大丈夫大丈夫!」
透真は満面の笑みで頷いた。
その後。
夕方までかけて、機材の説明が行われた。
VR用ヘッドギア。
感覚接続。
安全装置。
聞き慣れない単語ばかりだったが、孫たちは驚くほど丁寧に説明してくれる。
「じいじ、困ったらメニュー開いて!」
「そのメニューが分からん」
「このボタン!」
「どれだ」
「これ!」
「小さいな……」
横では文が、
「この子かわいいわねぇ」
とキャラメイクに夢中になっていた。
髪型を変え、服を変え、楽しそうに笑っている。
「ばあば、それ初期装備だよ?」
「えー、でも可愛いじゃない」
「まぁ、いいけど……」
小春も笑っていた。
そうして。
夜。
家族全員でログインする時間になった。
リビングに並んだVR機器。
恒一はヘッドギアを前に、少しだけ緊張していた。
「本当に大丈夫なんだろうな、これ」
「大丈夫だって!」
「危なくない?」
「安全装置あるから平気だよ」
「ふぅん……」
文はもう装着済みだった。
「あなた、早くしないと置いてかれるわよ」
「いや、お前順応早いな……」
苦笑しながらヘッドギアを被る。
視界が暗くなる。
次の瞬間。
耳元で、柔らかな音楽が流れた。
『Eternal Frontier Onlineへようこそ』
女性の声。
ふわりと身体が軽くなる感覚。
そして――。
光。
眩しいほどの青空。
どこまでも広がる草原。
頬を撫でる風。
草の匂い。
遠くで鳴く鳥の声。
恒一は、思わず息を呑んだ。
「……なんだ、これ」
本当に。
本当に、“世界”だった。
隣では、文が目を丸くしている。
「わぁ……」
その声は、少女みたいに弾んでいた。
「風、ほんとに吹いてるみたい……」
透真と小春が少し前で笑っている。
「じいじー! ばあばー! こっちこっち!」
草原の向こうには街が見えた。
白い壁。
石畳。
風車。
行き交う人影。
そして、その全てが“生きて”いるように見えた。
恒一はゆっくりと周囲を見渡す。
空が高い。
風が気持ちいい。
こんな感覚、いつ以来だろう。
隣にいる文を見る。
彼女は、楽しそうに笑っていた。
その顔を見て。
恒一は静かに思った。
(……悪くないかもしれんな)
孫に誘われて始めたゲーム。
けれどこの時、まだ誰も知らなかった。
この“もう一つの世界”が。
朝倉家にとって、
かけがえのない場所になっていくことを。




