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第20話「審査」

 王家安全管理局の馬車が門をくぐったのは、自主報告書を提出してから十日後の朝だった。

 馬車は二台。一台目に審査官が三名。二台目から降りてきたのは——セドリック・ロウゼンハイムだった。


 一年半ぶりだった。

 舞踏会で「また天井を見ていたのか」と笑い、内覧会で私の名前を図面から消し、婚約を破棄し、図面を奪った男が——修復された門をくぐり、敷かれ直した石畳を踏み、私が直した屋敷の前に立っている。


「……ずいぶん変わったものだな。呪いの廃墟が」


 セドリックの第一声だった。嘲りではなかった。驚きだった。それが——嘲りより腹が立った。


「ようこそ、グラオフェルトへ。審査を受け入れます」


 私は声を平らにした。感情は要らない。証拠で語る。


 審査官の筆頭は、カール・フェーダーと名乗った。五十がらみの厳格な顔。王家安全管理局の紋章をつけた外套。手には分厚い書類綴り。


「アークライト殿。自主報告書は受理しております。本日は現地確認と、管理状況の審査を行います。——ロウゼンハイム殿は、大劇場設計監修者としてオブザーバー参加です」


 オブザーバー。正式な審査権限はない。けれどここにいること自体が——政治的な意味を持つ。


「では、ご案内します」


 屋敷を巡った。

 北壁の目地。析出物が消えた石壁。葺き直された屋根。床下暖房の温もり。水路の流れ。井戸の清浄な水。そして——接地路。


「この陶管の内壁に塗布された粘土が、魔力の伝導層になっています。龍脈からの余剰魔力が管内を通り、放出点の砂利層で分散され、大地に還ります」


 審査官が管に手を当てた。魔力の流れを感知しようとしている。


「流量は安定しています。リディアさん、記録を」


 リディアが帳面を開いた。接地路の施工記録。魔力流量の日次観測データ。温水路との並走構造図。数字が整然と並んでいる。


「……記録が正確だな。商会仕込みか」


 カールが帳面をめくりながら呟いた。ハインツと同じ種類の——事実に敬意を払う声だった。


「アーレンス商会で三年の経験があります」


 リディアが眼鏡を押し上げて答えた。


「次に、龍脈の深度確認を行います」


 西側の掘削跡へ移動した。覆いを外すと、地下十二メートルの青白い光が見えた。審査官三名が順に覗き込み、深度を測定した。


「報告書の記載通り、十二メートルだ」


 カールが書類に記入した。私はセドリックを見た。彼の目が——光を見て、一瞬だけ広がった。龍脈を初めて見た目だ。けれどすぐに表情を戻した。


「十二メートル。ハイデンベルク家の請願書には十メートルとあったが」


「十メートル付近にあるのは温泉脈です。龍脈はその下、十二メートルです。現地で掘削し、実測した数値です」


 二メートルの差。現場にいる人間だけが持つ数字。


 審査は午後に入った。

 製図室で、改修設計の図面を見せた。天井アーチの荷重分散。排水経路の再設計。接地路を応用した龍脈制御の構想。四ヶ月分の図面が壁と机と床を埋めている。


「アークライト殿。この改修設計で、天井の荷重はどの程度軽減されますか」


「中央アーチの支持点にかかる応力が約三割減少します。荷重分散のために補助リブを三本追加し、木栓の材質を——」


「待ってくれ」


 セドリックが口を開いた。一年半ぶりに聞く声。変わっていなかった。見栄と権威の声。


「この設計は元の設計思想を否定している。私が監修した天井アーチの意匠を——」


「ロウゼンハイム殿」


 カールが遮った。厳格な目でセドリックを見た。


「オブザーバーとしての発言は記録されます。——では一つ確認させてください。ロウゼンハイム殿が監修された大劇場の中央アーチについて。壁柱基部にかかる水平推力の計算値をお答えいただけますか」


 空気が変わった。

 ルッツが答えた質問と同じだ。ハインツがセドリックに聞いた質問と同じだ。アーチの圧縮力が壁柱に伝わり、基部で水平推力に変換される——設計の根幹。


 セドリックの口が開いた。閉じた。また開いた。


「……それは、施工段階で職人が——」


「設計監修者にお聞きしています」


 カールの声は冷たかった。


 沈黙が落ちた。長い沈黙。セドリックの額に、汗が浮いていた。


 答えは出なかった。


 カールは何も言わず、書類に何かを書き込んだ。ルッツが——道具箱を握りしめていた。使い込まれた道具箱を。新人のルッツですら答えられる質問に、設計監修者が答えられない。その意味を——ルッツは理解していた。


「次に、巡回検査官の報告について確認します」


 カールがオスカーに向き直った。


「グレイヴェル殿。龍脈の存在を巡回報告書に明記せず、『地下熱源の異常』という表現に留めていた理由を」


 オスカーは壁際に立っていた。彼の定位置。腕を組まず、背筋を伸ばし、審査官を真っ直ぐに見ていた。


「管理体制が整う前に龍脈の情報が流出すれば、資源争奪が起きる。現地管理者の安全と管理権を守るために、報告の表現を制限した。巡回検査官の裁量範囲内の判断だ」


 短い。明確。言い訳がない。


「裁量範囲内、と」


「報告義務は果たしている。地下の異常を報告し、詳細は追って自主報告として提出された。手順に瑕疵はない」


 カールはしばらくオスカーを見ていた。それから書類に記入した。


「裁量範囲内と認めます。ただし、今後は龍脈関連の情報については管理局への直接報告を義務とします。——監査の強化対象とします」


 処分なし。ただし条件つき。オスカーは頷いた。表情は変わらない。けれど——私には見えた。彼の肩の力が、ほんのわずかに抜けたのを。


 審査が終わったとき、日が傾いていた。

 カールが最後に言った。


「正式な通知は後日送付しますが——現時点で、管理権の移行を求める根拠は確認できませんでした。自主報告の内容と現地の管理状況は、現地委託管理の基準を満たしています」


 通った。


 セドリックが馬車に乗り込む前、一度だけ振り返った。屋敷を——私が直した屋敷を見た。何かを言いかけて、口を閉じた。そのまま馬車の中に消えた。


 一年半前、この男は私の名前を図面から消した。今日、この男は私の図面の前で荷重の質問に答えられなかった。


 感情は湧かなかった。怒りも喜びも。ただ——建物は嘘をつかない、と思った。


 門の前でオスカーが馬に乗ろうとしていた。今日は巡回日ではなかった。審査のために来た。


「オスカー様。監査の強化対象に——」

「構わない。報告の頻度が上がるだけだ」


 短い。けれど——振り返った。今日は振り返った。


「お前の管理権は守られた。それでいい」


 その声は——壁でも盾でもなかった。ただ事実を確認する声だった。けれどその事実の中に、言葉にならない何かが混じっていた。「守られた」のではなく「守った」のだと——そう聞こえたのは、私の気のせいだろうか。


 ルッツが製図室の片づけをしていた。道具箱を閉じる手が——止まった。


「管理者様。僕は——正しい場所にいると、今日思いました」


 ピカピカだった道具箱の角が擦れている。定規に鉛筆の跡がついている。四ヶ月前の新人は、今日の審査を見て——何かを決めた顔をしていた。


「ルッツ。明日から改修設計の最終調整に入ります。施工許可が下りたとき、すぐに動けるように」


「はい。——はい!」


 声は裏返らなかった。


 正式通知を待つ。けれど——方向は見えた。この土地は守られる。この図面は認められる。

 あとは——大劇場の天井が、待ってくれるかどうかだ。

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