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風読みの冠  作者: 一枝 唯
第2話 決意 第3章

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07 不審には思わなかった

 そこは、神殿(クラキル)と呼べるような場所ではなかった。

 せいぜいが「教会」というところだったであろうか。

 だが、どんな教会にもいるはずの神父(アスファル)はいない。言うなればそこは「教会のなれの果て」であった。

 そこを管理していた神父が死んだかでもしていなくなり、どうしてかその後、街の大きな神殿から後任が送られてくることがなく、そのまま放置されているような。

 町びとたちはそこを「教会」と呼んではいたけれど、いちばんの長老ですら、そこに神父と祈りの声があった時代を知らなかった。

 いまではそこはただの廃墟で、人々としては聖なる建物を勝手に取り壊す訳にもいかず、せっかく場所があるのだからとどこかの神殿に神父の派遣を依頼することもしないまま、それをそういうものだとして受け入れていた。

 時折、子供たちが度胸試しで訪れる無人の空間。

 そこはそう言う場所だった。

 だから、突然に現れた神官がその教会に住み着いたとき、人々は目を丸くした。

 何を好きこのんでこんな荒れた教会に、と彼らは半ば訝り半ば呆れたが、神官は神の導きだとしか言わなかった。

 廃墟だった教会が神父のいるれっきとした教会になることを嫌がる者もおらず、強固な反対などは生じなかった。やがて幾人か神官が移り住んできたことは驚きであったけれど――通常、町外れの教会にはひとりの神父だけがやってくるものだ――人々は、流派によってはそういうこともあるのだろうと納得をしていた。

 と言うのも、新来者たちの持つ印は見慣れなかったし、彼らの神の名は、田舎者でも知っているような神界の七大神や冥界の主神の名と異なるようだったからだ。

 それでも、彼らに応対する若い神父は穏やかで丁重であり、町びとたちが八大神殿の神父に望むのと変わらぬことをしたから、少しばかり風習が違っていても彼らは気にとめないことにした。

 町いちばんの富豪であるナリアン家の主人が不幸にも大火傷を負って死んだとき、彼がその遺言で示した通りに館は神官たちのものとなったが、火傷の治療に真摯に当たった司祭に、跡継ぎのいないナリアンが感動して財産を遺すというのも判らない話ではなかった。

 誰も不審には思わなかった。

 まさか司祭たちとともにいる魔術師が、ナリアン家とその主人に火を放ったなど、思うはずもないのである。

 神官たちの間に神女ではなさそうな女がいることだけは彼らも奇妙に思ったが、神官という存在に対して、彼らは邪推を――敢えて――しようとしなかった。

 日々を送るうちに少し奇妙だなとか、場合によっては不気味だなとか思うことがあっても、人々は口をつぐんだ。

 神官に対してそのように思うのは間違っているのではないかという疑念もあれば――そう考えていることが知られれば怖ろしい、という思いもあったろうか?

「セラン」

 二階の窓から外を眺めていたリグリスは、かけられた声に振り返った。

 そこにいるのはひとりの若い男で、ほかのものたちが身に付ける神官服と異なる、神父のそれを身につけていた。くるくると巻いた髪は濃い色をしており、気弱そうな茶色い目は緊張気味に少し見開かれていた。

「サーヌイ。どうかしたか」

メギル様(セラス・メギル)が、セランにお伺いを立てるようにと」

 それを聞いたリグリスの目は咎めるように細められる。

「お前は、メギルをセラスなどと呼ぶことはないのだぞ」

「しかし」

 サーヌイと呼ばれた神父は戸惑うように目をしばたたいた。

「あれはただの魔女で、お前はオブローンに仕える聖なる存在だ。あの女の魔火は強力だが、獄界の炎に比すれば児戯よ」

「しかし」

 若者はどうしていいか判らないようだった。リグリスは薄く笑う。

「それで、話は何だ」

 話題が逸れたのでサーヌイはほっとしたように息を吐く。

「おかしな夢を見ました」

「夢」

「はい。私は自分に予知の能力があるとは思えませんが、メギル様――彼女が」

 彼は慌てたように言い換えた。

「是非、リグリス様(セラン・リグリス)にお話しするようにと」

「こちらへ」

 「セラン」はそう言うと立ち上がり、隣室への戸を開いて神父を招いた。そこは以前の主が接客のために使っていた部屋のようで、きれいな布張りの大きな長椅子が低い卓を囲むように置かれている。窓の掛け布は閉ざされたままで、明るい部屋から入れば少しどきりとするような薄暗さだったが、リグリスは特に気にしないかのようにサーヌイに椅子を示す。サーヌイが掛け布を開けたい気持ちになったとしても、彼が「セラン」の指示よりも先にそんな瑣末事を行うことはなかった。

「言ってみなさい」

 リグリスは、青年の向かいに腰を下ろすと促した。

「どのような夢を見たのだ」

「――その」

 青年は言い淀むようにしたが、意を決して話し出した。

「花が」

「花」

「ええ、花が……燃えていました」

 リグリスは黙って、若者の言葉を聞いた。

五色(ごしき)の花だったようです。私はあまり花に詳しくはないのですが、蓮華(リエス)白詰草(アイリエル)、それに薔薇(リティア)は判りました」

「リティア」

はい(アレイス)

 サーヌイはうなずいた。

「メギル……彼女は、緑色のものは翡翠草(ヴィエル)だろうと。あとひとつは、私には見覚えがなく、全く見当をつけられませんでしたので、彼女も助言することができなかったようです」

「では」

 リグリスはゆっくりと言った。

「燃えていたのは、どの花だ」

「――白詰草と、見知らぬ花が」

「蓮華は。翡翠草はどうだ」

「いえ、どちらも」

 若い神父の言葉に初老の神官はじっと考え込む。

「腑に落ちぬな」

 さっとサーヌイの顔色が青くなった。

「も、申し訳」

「お前が謝ることではない」

 リグリスは優しく言った。その瞬間だけを見れば、それは寛大な師でもあるようだった。

 だが、観察眼の鋭い者であれば、気づくだろう。優しく聞こえる口調の声には少しの温かみもなく、青年を見下ろす目には何の感情もないこと。


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