第144話 吐き気を催す無垢
遠くで爆発音と水柱が上がるのを見て、僕がそっちを見ると、先生と香撫のいる方角からだった。
「あー、やっぱあっちでも戦ってるのか……ま、先生なら大丈夫だと思うけど」
あの人、わけわかんないくらい強いからな……天狗みたいな下駄履くの、あれがハンデだって言うんだから本当に意味が分からない。前に稽古をしてもらったことがあるけど、あんな不安定かつやたら重い下駄履いて手も足も出なかったからなあ……
水の上も歩けるし視点は高いよ、って言われて棒のない竹馬で戦いたいやつがいるんだろうか。
「で、空中で現実逃避してるところ悪いんですけどねマスター」
「うん?」
「アレ、どうするんです?」
「いやどうしようね……」
地面では、僕を探すさっきの化け物、『ゾマ』が、上半身は人間、下半身は触手の塊となってずるずると周りの植物を溶かしながら、うろうろと地面を徘徊している。
最初は人間っぽかった姿も、歩くのが面倒くさかったのか徐々に触手に変え始め、生肉の色をした触手をうごめかせながら、周りの木々を粘液で溶かして、倒しながら僕を探しているらしい。
「おかしいです……こんなに探してるのに……」
メキメキと音を立てて木を倒しながらぶつぶつ言ってるが、僕はそれを上からずっと見ている。
まさか一度上に逃げただけで、こうまで見失ってくれるとは思いもよらなかった。
「手も足も出ませんねぇ」
「ん?」
「今更隠さなくても良いじゃないですか、アレが可哀想なんでしょ?」
「……」
嘘がつけるはずもなく、僕はそれを認めるしかない。
「話し合い、してみます?」
「どーだかなあ」
「どーだかなあ、って言いつつ、もうアレになんて言おうか考えてるじゃないですか」
「……悪いないつも」
「今更ですし。それに私、欲望に忠実なマスターは好きですよ?」
嬉しくねぇよ。
と思いながら、僕は今倒れたばかりの木の上に着地する。
「あ、いたです!」
「なあちょっと待ってくれ!話し合わないか?」
「もんどーむよーです!」
「パパやママに怒られるぞ!」
「あぇ?」
振り上げた触手がぴたりと止まり、呆けた顔でこっちを見る。
「……なんでです?」
「人の話は聞くもんだぞ。とりあえず確認させてくれよ、お前はどうしてチアさんやグリムさんを殺したいんだ?」
「えっと、パパとママに『命令』されたからです」
「んじゃパパとママはどうしてそんな命令をしたんだよ」
「えっと……うえからの命令って言ってたです!」
上ね……命令したやつの名前くらい聞ければ良かったけど、そう上手くは行かなかった。
「……じゃあさ、お前が僕を殺さなくても良いんじゃないか?お前のパパやママにチアさんとグリムさんを会わせてあげても良いんだけど」
「え、いいんですか」
「代わりに、お前の家まで僕らを案内してくれるか?」
意外とあっさり、ゾマは話に乗ってきた。
……まぁ、みんなが負けるわけないしな、特に先生は。
だったらコイツに道案内させれば良い。
「良いよ?じゃあ殺し合いはなし、みんなのところに案内してやるからその……もう少し小さくなれるか?」
「わかったです」
そう言うと触手が圧縮されて、どういう仕組みなのか、人間の足と変わらないような形態になる。
トコトコとこっちへ歩いてきて、僕が握手を求めて手を伸ばすと、
「……?」
首をかしげた。
「握手知らないのか、手を繋いで……」
「ああ分かったです!はい」
異常に冷たいその手を握って、ゾマはニコニコとこっちを見ていた。
「おにーちゃんの手、あったかいです」
「そうかなあ、人間はこんなもんだよ」
「そうなんですか、始めて知ったです」
化け物は人懐っこい笑顔を浮かべて、僕は化け物の手を引いて歩き出す。
(良いんですか?)
(ああ、別に全部殺し合いで片付けなきゃいけないわけじゃないだろ)
(ま、ごもっともですがね)
脳内でマカと話しながら、大体の方角へ向けて歩く間にも、遠くから巨人の足音は聞こえていた。
焦る気持ちはもちろんあるけど、だからってこの手は……
「あっそうだ」
「?」
「ゾマ、上手にできたらご褒美もらえるです!」
「ふーん、良かったじゃん」
「はい、キザキアマネの脳味噌、楽しみです!」
……は?
自然と足が止まって、僕の口から勝手に言葉が出た。
「……パパとママがそれを言ったのか?」
「え?違うです、ゾマ、脳味噌食べるの好きです。でもこれはそれだけじゃなくて、実験なのです!」
「実験……?」
夜の森に戦いの気配はもう無い。
けれど、僕の胸には熱い泥のような何かが満たされていく感覚。
「そうです、チアとグリムがいなくなればキザキアマネも用済みってパパもママも言ってたです、だからゾマもパパやママみたいに実験をやってみたいです!」
「……なぁ一つ聞いて良いかな……」
「何です?」
「実験って……何するんだ?」
頼むから。
せめて希望のある答えを返して欲しかった。
「脳味噌をゆっくり食べるです。でも実験だから、ちゃんと『メモ』をしないと怒られるです。だから、メモしながら、ちゃんと動けないようにして、ちゅっ、ちゅっ、てゆっくり吸うです」
(あーらら)
(……)
「いつもみんなたすけてーって言うです。奥の方から食べるとすぐ静かになりますけど、パパもママも実験だからゆっくり少しずつ食べなさいって怒るです」
――ああ、本当に僕はバカだった。
「ゾマわかるです、ゾマは最近だんだん賢くなってきたです!きっとそれは脳味噌を食べたからです!だからキザキアマネの」
「もういいよ、僕が悪かった」
「あぇ?」
手を離して森の中、僕は鎌を手にして化け物と対峙する。
傍目は人間だが、それはただの擬態でしかなくて、こいつは元から化け物だ。
「お、おにーちゃん、どうしたです?怒ってるです、ゾマなにかしましたか?ごめんなさいです、ゾマが悪いことしたならちゃんと」
「黙れ」
ごりっ、と鎌が腕を切り落として、赤い血が吹き出す。
「い、痛い、痛いですよおにーちゃん、ゾマはもうおにーちゃんを殺さないです、約束したです、握手もしたです!な、なんでなのになんで、」
ごりっ、とまた音がして、首を飛ばした。
「……もう怒ったです」
そして化け物の腹が、口を開けて人語を話す。ほらやっぱり化け物じゃないかと、理性が僕を慰めるかのように語りだす。
「おにーちゃんは悪いやつです、裏切り者です!そんなやつはぶっ殺して良いって、パパもママも言ってたです!」
「ああそうかい、だったらかかってきてくれ」
ぐじゅりぐじゅりと音を立てて頭が再生して、化け物は人の形を逸脱する。
触手を編んだような筋肉から人間の手足を幾本も生やして、吐き気がする造形のモンスターが出来上がった。
「死ねです!」
振り上げられた人間の手足が生えた触手。
それを鎌で狩ろうとして、手足の骨がそれを止めた。
「ちっ……」
一度鎌を消して下がる。さっきまでいた位置に触手が振り下ろされて、地面に衝撃が走る。
「……悪いなマカ、手間かけて」
「いえいえ、マスターのすることですから」
心底楽しそうにマカの声がして、僕は更に鎌の形を変化させる。
より鋭くより大きく、化け物を両断できるほどに。
「死ね……っ!」
今度は、鎌がちゃんと通った。
薙ぐようにして振られた鎌はあっさりと化け物を断ち切って、ずるりと斜めにズレる。
しかし泡立って再生すると同時に、僕は返す軌道で鎌を振る。
「いあ、が、痛い、痛いです!」
胴体を何度両断しても復活する体。しかし生き物である以上、そこに限界は必ずある。
――そして35回目の斬撃を加えたとき、ついに化け物は再生を止めた。
「あが……ひゅ……なん、ぇ、ろうひ……て……」
その体は崩れ始め、腹に空いた口だけが変わらない声で呟いていた。
「おにー、ひゃ、ひにたく、なぃ、れしゅ、パパ、ママ、何か、たぇ、さ、て……」
「はーいそこまででーす」
闇が渦を巻いて化け物を飲み込み、そして何もなくなった。
「……消したのか?」
「ええ、今は私の腹の中です。なかなか美味しかったですよ?」
傍らに現れたマカが、ぺろりと舌を出して言った。
「……そっか、ありがとうな。じゃあ悪いけど次行くぞ、マカ」
「了解です!」
化け物を殺した。
僕が何もわかってなかった。
本当に――吐き気がする。
「……」
けれどそんな場合じゃないから、僕はそれを無視して、僕は巨人のもとへ飛んだ。




