第142話 巫女と悪魔
――少し時間は戻って、球体が飛来する数秒前のこと。
正義が飛び立ったのを見送って、静かになった森で、香撫が口を開く。
「先生、さっきの揺れ……なんでしょうか」
「さあ、音だけで考えれば怪獣映画の序盤かな。あの辺の空に巨大な怪獣の影が見えるんだよ」
「や、やめてくださいよもー……」
正義が離れ、香撫とせきなはタルの上に腰かけて、正義の帰りを待つことにした。
「おっと悪い、怪獣映画、嫌いだったもんね。怖がらせちゃ……」
「せ、先生?」
表情を険しくしたところへ、空気を切る音とともに、何かが上空に現れた。
「……うん、さらに悪い」
「え?」
「お客さんだよ」
緑の球体が、一度自分たちに姿を見せてから、近くに落ちた。
それは今いる小川の上流の方角で、まるで自分たちを誘うかのような動きに、香撫の警戒は上限に至る。
「お誘いみたいだね。じゃあちょっとついてきてくれるかな?」
「えっ……行くんですか?」
「うん、ちょっと退屈してたしね」
さくさくと手慣れた動きで先頭に立ってせきなは藪をかき分け、小川の傍をさかのぼっていく。
がさっ、と音を立てて二人が茂みから出ると、そこは小さな湖になっていた。
おそらくはあのここが川の水源なのだろう、外国映画に出てきそうな程度の大きさをした湖は、夜空と月の光を反射して幻想的なまでに美しい。
……しかし、香撫たちと湖の間には小さな芝生の土地と……球体。
それが、湖まで行くのを遮るようにふわふわと浮いていた。
「そろそろ姿を見せたらどうだい、その玉に入ったまんまっていうのも面白いけどさ」
「お気遣いなく、ちゃぁんと相手してやるさ」
パリパリ……と砕けていく球体から出てきたのは、蝙蝠の羽を持ち、露出の多い水着のような皮の服、黒目と白めの色合いが逆転した目、赤く長い爪、そして蛇の尾。
「……これはまたわかりやすい悪魔だね」
「アンタみたいなわけのわかんないカッコしてる奴に言われると恐縮だねえ、いかにも、アタシは悪魔だよ。名はエディ」
ばさばさと羽ばたく悪魔に対し、笑みを向けてせきなは言った。
「おや、悪魔が名を名乗るんだねえ」
「悪いかい? まあ元はエルフだけどね、ダンナとアタシの研究で手に入れた力さ」
「旦那さん……が、いるの? 悪魔、ってこと?」
「似たようなもんさ、アタシらはさるお方のもとで、この世界の連中なんかには思いつきもしないような研究をしてるんだよ」
「そしてその研究の材料は人間……ってところかな?」
「おやご名答。カンがいいねえ」
「どーも。で、悪魔ちゃんはどんなご用件なのかな?」
「悪魔ちゃ……っ、良いねえ、その身の程知らずな感じ……なるべく生け捕りって命令だから手加減しても良かったけど、決めた。アンタにアンタの肉を食わせてやるのが一番面白そうだ!」
「わー、悪い趣味。ていっ」
「え」
空中で体勢を変え、こちらへ突進しようと構えを取った悪魔、エディに対して、朗らかに笑ったせきなが何かを投げた。そして、
「? なに……がっ!?」
突然、宙に浮いていた悪魔が体勢を崩して、顔を押さえる。
「おいおい、夜だからって悪魔が石ころを見落とすのは格好悪くないかなあ」
「殺す……殺してやる、殺してやる!!」
ギン! と音を立てて、悪魔が加速した。
ジェット機のような音の後、
「え、え!?」
「あそこだよ、上、上」
「あ、い、いつの間に!?」
姿を消して、現れたのはわずかに後方のはるか上空。
「おーお、破けちゃった」
そう言うと、せきなは巫女服の大きな袖をひらひらとさせて言った。
確かに袖は大きく裂けているが、今の『見えない突進』を避けたにしては、あまりにも態度が軽い。
「危ないから香撫ちゃんは隠れてていいよ。たまには僕もバトルってのをやってみたいからね」
「せ、先生一人であれと戦うんですか!? 悪魔ですよ!?」
今の加速を見せられて尚、せきなの表情は揺らがなかった。
心配そうに香撫が叫ぶが、せきなはそれを笑顔で返す。
「おいおい、僕を誰だと思ってるんだい?」
「が、学園長先生……です、けど……」
「そう。《《先生が、生徒を当然のように戦場に出すわけがないだろう》》?」
「っ……!」
「たまには僕も働かないとね。とりあえず隠れてなよ」
「い……いいんですか……?」
「ああ……それでいいんだよ」
そう言ってるうちに、悪魔がまた前方に戻ってきた。
言いつけに従い茂みに隠れるせきなを見届けながら、エディは笑う。
「お話はおしまい? 衝撃波だけで今の威力……直撃したらただじゃすまないわけだけど、貴女一人が相手をするつもりなの?」
「ま、そう言うことになるかな」
そう言ってせきなはぴょん、と飛んで、懐から出した『それ』を履く。
「うん、こっちに来てからはそう言えば初めてだっけ……久々だなあ」
「……?」
悪魔は、彼女が履いた……というより、足に『つけた』それを見て、内心で首をかしげる。
(板……? なんなのかしら、黒の森の靴か何かなの……?)
それは、現代人からしても異様な、日本独特の『靴』。
下駄というのは一般的に、安定のために《《二枚》》の『歯』があるが、その下駄には一本、しかもそれが三十センチ程度の、あまりにも安定の悪い歯しかない。
「見るのは初めてだろうねえ、一本歯下駄……別名『天狗下駄』だよ。こう見えて僕は巫女なんだけど、巫女ってわかるかな?」
「森に祈る者……貴女が?」
「なるほどそう解釈されるのか。翻訳の妙と言うやつかなあ」
「なにをごちゃご……?」
「あ、どうぞ、続けて?」
下駄を履いたまま、とことことせきなは動く。そして……
「もうこれで君の射線にはいない。どうせなら一撃で決めるべきだったねえ」
「っ……!」
羽をバサバサと動かし、悪魔は顔を赤くする。
確かにさっきの突進は羽に描いた風の魔法の力で超加速を施す代物だが、直前に石を当てられたことにより、『照準が狂った』。
わずかにずれていた足の傾きが角度のずれとなって失敗した加速は、当たらないと分かった瞬間に切り上げて、推進力を真上に逃がしている。
そうしなければ、適当な木々に激突していただろう。
(さっきから見透かしたようなセリフと動きを……! 何者なんだ、この女……)
もともとエディの聞いていた話では、飛ばした先の敵を好きにしろ、ということだった。惨めな敗北者と、森を追放された役立たずの従者を《《好きにしろ》》ということは、久々に『自由』に出来るということだ。
ガルガン王にさえ目を付けられなければ、今でも謳歌していたであろう自分達の、自由。
――適当な生贄を嬲り、夫と思い思いの劇薬を投与して、その反応を一つ一つ大切に書き留めていく至福の時間……それを思い出し、目の前の敵を見据える。
「いつでもいいよー、かかっておいで」
挑発に心惑わすことなく、すべきなのは解析だ。
小刻みにジャンプして体を浮かせているが、何の意味があるかはわからないにせよ、武器も持たず人間一人が……
「来ないならこっちから行くよ?」
と考えていたら、肉薄された。
「えっ」
「どーん!」
それは反射だった。
一瞬で肉薄した巫女が、下駄の靴底をエディの体の中心に押し当てて、超速度で蹴り飛ばす。水面で二度跳ねた悪魔はそのまま沈んで、ざぶぁ、とすぐに水面より上へ戻る。
「よくもやってくれたわね……」
「水も滴るいい女じゃないか。それに、」
「っ!」
「まだ終わりだなんて言ってないよ?」
再度肉薄され、今度はその飛び蹴りを躱す。
しかしここは水面だというのにどうやって、と思考して振り向いた瞬間、その答えはそこにあった。
「あっはは、調子がいいねえ、やっぱり重力が違うからかな?」
連続して、水を叩く音。
――一本歯の下駄を履いた巫女は、その下駄の浮力で水面を走っていた。
「ほらもう一回!」
「くっ!」
さらに飛び蹴りを避けて、エディの表情が怒りに曇る。
焦りではない、怒りだ。
本来なら高速で相手を翻弄するのは自分だったはず……高速で狙い、疲れさせ、それをいたぶり殺すのが悪魔の、この体の醍醐味のはずなのに、今全く同じことをこのわけのわからない格好の女に、好き放題やられている。
「ナメやがって……!」
怒りを抑えて、判断は上空への退避だった。
どうせ飛べないのだから、上空から火の魔法を打ち続ける、それだけで良かったはずだった。
「んえ゛っ!」
「おいおい、もう少し遊ぼうぜ、逃げるなよ」
いつの間にか左足に絡みついていた布紐が、上空へ飛んだエディに急ブレーキをかけさせる。
そしてそのままその布紐を振り回して、
「ぁ、え!? 何この力、人間の物じゃ……!!」
「ああ悪い、言い忘れてたけど僕ら、こっちの世界の人間じゃないんだ」
「なんっ」
バン! と水面に叩きつけられた悪魔は、うつぶせに浮かび上がる。
「……んー、これじゃ、暇つぶしにもなんないんだけどねえ」
せきながそう呟くと、悪魔はくるりと仰向けになって、水にぬれた体を晒した。
「ご心配なく……そんなに死にたいんなら、私の真の姿を見せてあげる」
「おお、鉄板の展開だね」
ぞわっ、と水面に血管のようなものが奔って、繁茂した植物のように水面を覆う。
「なかなかの武闘派みたいだけど、こうなったら勝てないでしょう? しょせん、人間が『魔物』なんかに勝つなんて夢物語……いまさら謝っても許さないけど、覚悟はいいの?」
「覚悟……はは、もしかしてそれは死ぬ覚悟かい?」
血管の網を広げて宙に浮かぶ悪魔。
技術ではなく、明らかに肉体的優位を利用したその形態は、明らかに人間を殺すための物だった。
しかし、せきなはそれを笑う。
「……そんなもの、させてくれるならしてみたいよ」
そして、悪魔と巫女が激突した。




