第136話 王の矜持と落ちる雷
――時間は少し遡って、夜明け前、白の森。
「……『牙のキョル』を貸してやったグリレッド橋の方はどうなっている、ホンサ卿」
太陽石のランプが照らす早朝の大樹の中で、老いたエルフ達が集まって、朝の会議を行っていた。
当然議題は、昨今の戦争。白の森にとって森と平野の境、つまり《《国境線》》はあまりにも長く、防衛拠点は少なくない。しかし森は天然の要害であり、軍隊が侵入することを許さない以上、基本的に白の森の戦略は、『森に入るための街道をどう守りつつ近隣諸国を攻めるか』となる。
そしてその観点は、この場の老エルフ――各地の集落の長達の、共通認識だった。
ちなみに長の敬称は全て『卿』である。
「はっ、増水によって渡河は叶いませんでしたが、明らかにこちらが優勢とのこと。今日にも橋を制圧し、トラングル王国の喉元まで迫れましょう」
上座に座る白の森第18代、ガルガン王は、その言葉を受けて表情を変えることはない。ただ事実を受け入れる表情のまま、一度だけ頷いた。
「他は?」
「エルデ王国とカリッサ王国の軍隊と小競り合いをしておりますが、そちらは防衛にのみキョルを使い、変化はありません。先日から繰り返しの説明になりますが、これは戦線を伸ばさない為の策です。本日もこれを継続します」
「戦力差は?」
「各地、相手の1.5倍の兵数をもってあたっております」
白の森と長年揉めているその二国は、軍事力にも秀でたそれなりの大国だった。
戦線を広げて同時にその東西の大国二国と相手をするよりは、それに劣る小国の、南のトラングル王国を落として勢いをつけるというのが、先日からの戦略。もとより数千年無敵の白の森が攻め落とされることはない以上、彼らの表情に、そこまでの緊張はなかった。
「うむ。トラングル王国攻略にはどれだけの兵を回した?」
「およそトラングル王国民の倍の数を」
「なるほど、ぬかりないな」
白の森はその広さだけでなく、エルフの数も尋常ではない。
森の広さはエルフの数であり、それは戦場において圧倒的な力となる。もちろんそれを動員する手はずは、二百年前から整っていた。
「圧倒的ではないか我々は。やはり『商会』などの力を借りずとも、有象無象どもの相手など容易いのだ。流石は王の肝いりで長年民を鍛えただけのことはある」
「全くですなタポニー卿。新型キョルの育成と言い、食用常緑樹『マナ』の栽培と言い、ガルガン王の先見の明には敬服するばかりでございます」
媚びへつらいと、本物の尊敬が混ざった世辞を受けて、瞳を閉じたままのガルガン王が憮然として答える。
「儂から言わせれば軍事と食事は国の基礎だ。そこにじっくりと手を入れてやれば、大樹が育つように自然と国も育つ」
その言葉に、周りの老エルフは笑みを浮かべ、顔を見合わせ、自分たちが仕える王を口々に呟きで称えた。
――そして実際、まぎれもなくこの老エルフは名君である。
新しいキョルと言う世界を見回してもどこにもいない新生物を発見させ、栄養満点、一年を通して食すことのできる植物を白の森全体に育てさせ、各地の若者に訓練を積んで、有事の際の兵として育て、運用を常日頃から練習させる。その三点を実現させただけでも、歴代白の森の王の中でも圧倒的な偉業と言えた。
ここ二千年ほど白の森は領土を拡大していなかったが、ついに森の外の国を白の森が征服する日も近いか……というのが、『商会』と手を切る前の評判だった。
その後、商会が手を引いた混乱がありつつも、こうして以前と変わらぬ覇道を示す王は、今こうして各地の長の尊敬と信頼、そして畏怖を集めている。
もちろん体調などを不安視する声もあったが、今ここに堂々と座す姿を見てそれを口にするエルフはいなかった。
「……それで、黒の森はどうなっている?」
だが、空気は一変する。
「そ、それに関しましては……」
南の集落の長、ホンサが言葉を濁した。
「正直に言え。貴様には牙のキョルを貸した。だがそれに甘えて、迫る『敵』を知らぬとは言わせん」
「も、もちろんでございます! ぬ、ぬかりなく対処を!」
「対処とは結果をもたらすものだ。で? 貴様の対処はどのような結果をもたらした?」
「は、はい、黒の森から馬車が一台、こちらへ向かっている、との知らせを受けておりますが……」
「……馬車が一台、だと?」
その驚いた声に合わせて、周りからは失笑と嘲笑が漏れる。
せめてそれなりに着飾って、少しでも威風堂々と気取った振る舞いでもするかと思いきや、馬車一台でここを目指すらしい。話にもならない。
「……はい、間違いなく……」
「……そうか……何を企んでいるかは知らんが馬車一台では何もできまい。グリレッド橋が戦地になっている以上、どういう経路だ?」
「そ、その場合、クレイセン王国を経由した東回りの経路になるかと……」
「……ふむ」
いっそ困惑に近いテンションで、それで話が終わった。
「しょせん棄民とそれに負けた恥晒し、王の威光には足下も及びますまい!」
と、そこへ誰かの声が響いた。
「ん?」
「左様ですな、いっそその二名抜きで次期王権を競っても何の問題もないのでは?」
その言葉に周りが笑いで沸き立ち、思い思いの呟きが出たところで……
――ゴン、と、音が響いた。
その床を突く杖の音一つで彼らは弾かれたように自分らの王、ガルガンに注目し、押し黙り、言葉を待つ。
「ドヤン卿、面白いことを言う。二名抜きで、次期王権を決めるだと?」
「は、はぃ……」
「覇を競うことなく、ただ流れのまま、勝手に参加者を省いて次期王権を決めるだと?」
「そっその、今のは戯れで……」
「許そう。今は気分がいい。今はまだな。しかし言っておく。次期王権は、儂の子四名が揃ってから、ここで決める。たどり着けないのならそれまで、ここへ来て恥を雪げないのならそれまで。儂は子の首を刎ねることに何の躊躇いもない……が、だ」
すぅ、と息を大きく吸って、老いたエルフは叫んだ。
「儂の取り決めた『儀』を蔑ろにするのは許さん! 今度勝手な口出しをして見ろ、貴様らであろうが首を晒すぞ!」
「も、申し訳ございません、口が過ぎました!」
「申し訳ございません!」
「出過ぎた真似をお許しください!」
口々に老エルフは土下座し、そこへ入ってきた従者に促され、各々は宿へ帰っていった。本来ならもう少し話し合うこともあろうが、こんな空気になってしまってはお開きである。
「全く、痴れ者どもが……」
有能な者にありがちな思考として、玉座に座る王、ガルガンは、配下の無能がつくづく理解できなかった。
勝手な判断でチアとグリムを除外したとして、それによって何が起こるのか考えもしないのだろう。王とは本来正々堂々、例えどんな罪科や恥、屈辱を抱えようと、それら障害を乗り越えて玉座に着くのが覇道というものであるはずなのに、外野がなぜ覇を競う前に適格不適格を決められるというのか。ましてや、そんないい加減な選定ののちに宣言される王権に何の価値があるのか。
そんな簡単な、考えれば自明のことをなぜ理解できずに媚びへつらった気になれるのか、全てが低俗すぎて理解を拒みたくなる。
ガルガンは自分が王になるまでの苦労を思い返して、さらに苛立ちを募らせ、強い酒をあおった。
良くも悪くも久々に体は良く動くが、怒りによる血の昂ぶりが体に良いわけもなく、酒をあおった直後、しばらくむせて、近くにいた不安そうな従者を呼びつける。
「……朝食は軽くで良い。全く腹立たしい奴らだ。それで? フルメルンとティルティナはどうしている?」
「ぁ、そ、そのぅ……」
「?」
今にも泣きそうな若い従者のエルフは、先ほどの流れを見ていたのもあってか、涙目で口をぱくぱくするばかりで言葉を出さない。
「……話せ。儂は罪のない者を怒りで鞭打つ趣味はない」
仕方がないので、年長者として穏やかに王は言った。
長連中の媚びへつらいには辟易するが、近頃の若者の覇気のなさにも不安が募るばかりだ、と心でため息をつく。
「はっはひっ……ふ、フルメルンさまは体調が悪いと寝込んでおり、ティルティナ様も、そ、その……朝食はいらないからこれをお渡しせよ、と……」
「なんだこれは……」
かさっ、と音を立てて震えながら差し出されたのは、紙の束。
いかにも手触りの悪そうなその紙を見て、
「新聞……?」
王は訝しんだ。
新聞は基本的に商会のツテで鳥が配るものなので、縁を切った今となってはこの森に届くはずがない。しかし目の前にあるのは紛れもなく新聞である。
「ご、号外、とのことで……」
「ああ、そういうことか。しかし、どうせ大したことは書いてあるまい」
今までも一応届いたものに目は通していたが、いつもいかにも低俗な、紙の無駄としか思えない内容ばかりだった。
何で娘はこんなものを、と思いつつ王はそれを掴み、広げ、老いてなお衰えることのない視力で文字を読み、
――一瞬で顔色を変え、節くれだったその手で新聞を握りつぶし、玉座から立ち上がって息を吸い、
「……フルメルンとティルティナを呼べ! 今! すぐにだ!」
大樹どころか白の森そのものを震わすような叫びが、白の森に響き渡った。




