第129話 夜の森の逃亡劇
「……月が昇ったな。運悪く満月か……せめてこの雲の厚さなら、天気が悪ければもう少し救いもあったが」
高層部の木々の狭間で、巨木をくり抜いた小さな小屋の小窓から外を覗きながら宗右衛門がそう言って、窓にかけていた布を戻す。
「ここからは出ないの?」
「さすがに狭いぞ。第一、遠方から強い魔法でも使われれば逃げ場がなくて終わりだ。蒸し焼きになる気はない」
「じゃあどうするの?」
「とにかく向こうの『目』が知りたい。どうせ満月だ、明かりは消そう」
「了解」
「わかった」
そう言って太陽石のランプを消し、夜の森から明かりが消える。
「……『遠視』」
ホウヨウが呟くと小さな明かりがふわふわと宙を漂って、木の中に入り込む。
そうして左目を常に手でふさいだまま、ため息を一つついた。
「これで、外が見える」
「雲龍はどうだ?」
「見当たらない。夜は寝てるみたい」
「そうか……善し悪しだな。最悪、龍を巻き込むくらいの騒動を起こせばどうとでもなると思ったが」
「しかたない。あ……」
「何かいたか?」
「……ここの下に、明かりを持ったエルフの兵士がたくさん」
「上に登れる装備は?」
「なさそう。槍と盾持ってる」
「ならそっちの兵士は問題ないな」
「どうだか」
先ほど明かりは消したとはいえ、自分たちの下を重装備のエルフがうろうろしていると思うと落ち着かない。
「……提案します、私が出ましょうか。エルフから不可視になることはできます」
「スペース……ありがたいけど、やめた方がいい。あの魔女が、貴女を見れないとは思えない」
「承知しました……」
そういうと天使は消えて、また静寂が戻る。
「……宗右衛門、鳥に詳しい?」
「いきなりどうした」
「フクロウがいる。無視していいの?」
「ん……」
夜行性の鳥類代表格が外にいるらしい。
もちろん異世界なのでもしかしたら名前や生態が違うかもしれないが、それに関しては今更なので気にしていられる状況でもない。
「……ねえ、鳴いてるかどうかわかる?」
「音は分からない。でも口の動きは、鳴いてない」
「そう。なら大丈夫。フクロウは威嚇するときは叫ぶように激しく鳴くけど、普段は縄張りのアピールをしてるだけ」
「詳しいな……助かる。なら気に掛ける必要はなさそうだな」
そう言ったその時だった。
「待って、いきなり遠くを向いて泣き始めた。今言ってた威嚇?」
「方角はどっち?」
「北」
「そっちから誰か縄張りに近づいたのかもしれない」
「当然、昇って来るか……仕方ない、移動しよう」
そうして三人は外にひっそりと出て、足音を立てることなくその場を去った。
魔法は解除したようだが、ホウヨウはいまだに目を押さえている。
「大丈夫?」
「平気。だけど何回もは無理。せいぜいあと二回」
「わかった……」
足音をひそめ、三人は走る。
「落ちるなよ、流石にこの高さは助からん」
月明かりだけを頼りに、違う枝に渡りながら宗衛門は言った。
「それ、宗右衛門だけ。私飛べるし転移もできる」
「私も飛べる」
「一人で落ちないで」
「……分かった」
そう言って、さらに三人は走る。
「とりあえず離れたが……」
「……もしかしてこっちって、集落?」
「失敗」
下には太陽石の明かりが穏やかに点在していて、明らかに誰かが住んでいる集落だ。
「……いや、考えようによってはアリか。騒ぎになってくれた方が……」
その時だった。
――ギィッ! ギィッ!
鳥が警戒するように鳴いて、その声が連鎖して森に響く。
集落の方から鐘を乱打するような音が響いて、明かりの数が一気に増える。
「気づかれた!?」
集落からわらわらと出てくる兵士たちを見て、三人の顔に焦りが浮かぶ。
「いや……この高さなら問題ないだろう。問題は鳥だけだ」
「任せて。光・矢」
小さな魔方陣が宙に浮かんで、その中央から光が打ち出される。
それが近くで鳴いていたフクロウのような鳥の足元を貫いて、慌てた鳥が飛び去って行く。
「これでしばらくはここにいられるな」
「ごめんね」
罪のない鳥を追い払った罪悪感はあるが、これで大丈夫、そう思った瞬間だった。
ぬるり、と木の幹に落ちた影が動いて、ホウヨウの足元に這い寄る。
「!」
刹那の速さで宗右衛門が背中から抜いた日本刀が、動く影ごと木の幹を貫いた。
小さな火に水をかけたような音がして、貫かれた『影』が粉のように砕けてパラパラと落ちる。
まずい、と思った瞬間、やはりその女はそこにいた。
「あらやっぱりここにいたの?」
カラスのような羽を背に、魔女がこちらを中空から見ていた。
「……ようやく本体か。久しぶりだな」
「そうね。懐かしいわ、何十年ぶりだったかしら?」
「……覚えてないな。旅を続けてると暦を覚えるのが苦手になる」
「そう。ところで言いたいことは分かる? そこの女を、渡して頂戴」
「断る」
「で、しょうね。アナタ達……特にアナタはそう言う人だったわ、宗右衛門」
「お前はそんな奴だったと思わなかったよ、カレン」
「私もそう」
「は?」
「……私も、自分がこんな人生を送れるなんて思ってなかったわ」
この時一瞬、天音はこの女に興味を持った。
国を襲い、人を操り、エルフの森に潜む悪。
そんな女が見せた、過去への思いは……
「全部、全部あなた達のおかげ! あの時私を助けてくれなかったら、私はこんな風になってなかった! ずっとお礼が言いたかったの、ありがとう宗右衛門、ホウヨウ! ジョンソンはどこ? どこかから私を殺そうとしてるの? ねえ、答えてくれなくてもいいから今ここで、」
天音には知る由もない狂気だった。
闇が、女の背からあふれ出す。それは比喩ではなく、夜の闇より深い漆黒が魔女の背からあふれ出して、その中から星のように色とりどりの小さな光があふれ出す。
「私のものになってよ!」
次の瞬間、レーザーのように闇の中から魔法が放たれた。
「マスター!」
次の瞬間、隠れることをかなぐり捨てて、天使が三人をガードする。
その一撃一撃の威力は、抉れた木の幹が雄弁に語っていた。
それに加えてこの騒ぎともなれば、また増援が来るのは時間の問題。
この不安定な足場でまた隠れるだけの時間稼ぎができるとは思えず、状況は着々と悪くなっていった。
「……なあホウヨウ、天音殿」
「?」
「何」
「突破口を開く。合図したら3秒くれ。その間に俺一人だけが動く。その間にお前たちは全力で逃げることを考えてくれ」
「え……」
「分かった、任す」
ホウヨウに戸惑いも迷いもなく、青い魔法陣が展開して、何かを唱え始めた。
その間にも流星群のような連撃を宙に浮いた天使の羽が防いでいるが、端々が焼け焦げてこれ以上は保たないのが明白になる。
「――今だ!」
防御と攻撃、その均衡が破壊される瞬間だった。
大きく振りかぶって投げられた『ただの石』は、高速の弾丸となって魔女の右目に飛来して、眼球を付近の肉ごと抉り飛ばす。
「ぎっ……い……」
視界の一部が削げ落ちて、激痛が魔女の脳を貫く。それにより統率を失った精霊のエネルギーは、それぞれが近くのエネルギーと干渉して出鱈目な軌道を描いて射出された。
「今だホウヨウ、『飛ばせ』!」
「言われなくても」
ばふっ、と衝撃を伴わない白煙が夜の闇に広がって、3人の姿は天使ごとその場から消滅する。そしてその次の瞬間には先程よりさらに激しいエネルギーの絨毯爆撃が降り注いで、保たなくなった巨木の枝そのものが割れ、裂けて、崩壊を始める。
(目が……私の、右目が……!)
逃げられたという現実を認識するよりも、右目を失った屈辱と苦痛。
反射的に治癒魔法を右目にかけて、
――それが、背後への警戒を完全に怠った。
「ぎゃっ!!」
真後ろから撃ち込まれた羽の奔流に撃ち流されて、魔女の身体は先に落ちた木の残骸へと落下する。
(まずいっ……魔法を切り替える暇が……!)
そして羽の奔流は木々の残骸に着弾して、その先頭にいた魔女の生身が土煙に紛れる。
「くっ……そ……」
……それでも、治癒魔法をかけ続けていた魔女はいくつかの精霊をクッションにして死ぬことはなく、
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛
ああああああああああああああああああ!」
屈辱に、叫んだ。




