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第120話 土くれの天使は地の果てで朽ちる

「えっ……」


 天音は最初、わからなった。

 しかしそれは、『それ』が『かつて自分と契約し、自分たちを裏切った天使だということがわからなかった』ということではなく……


 ――《《その割れたマネキンの殻のような陶器の塊が、天使だと気づけなかった。》》


「あっ……あ……貴女……」


 体は震え、目を見開く。

 その様子を見て、ふ、と天使は満足げな笑みを浮かべるが、割れたマネキンのような頬はほとんど動かない。


「……自嘲します、私は」

「大丈夫なの!? 待って、あ、その、大丈夫、だから! すぐ……直して……」


 無理だと悟って言葉は途切れた。

 服を着ているわけでもなく、そこに転がっているのはまさに壊れたマネキンのような、色のない人形の部品でしかない。

 頭の部分が比較的壊れていないとはいえ、地面に落ちた卵の殻のように、右頬と左後頭部に大きな穴が開いている。

 右足は二つに折れて、左足には穴が開き、左腕は原形をもはやとどめておらず、胴体は半分に割れて穴が開き、右腕はどこにもない。


「断言します。無理です。こんな時でも、貴女は私を心配するんですね……」

「何言ってるの……当たり前じゃない」

「……嘲笑します。その甘さが……あの村を滅ぼしかけた」

「……」

「貴女が私を引き込んで……貴女が私を暴走させ、抑えきれず……」


 挑発するように、壊れた天使は呟いた。


「……そして周りに助けられて、今に至るのですか?」


 言い切り、満足したように言葉を止める。

 それらをすべて聞き届けて、天音は口を開いた。


「嘘をつかないで」

「嘘?」

「貴女は、嘲笑なんてしていない」

「……質問します、なぜ……」

「貴女が、誰かを救うことを嘲笑うなんて、絶対にしない。怒らせようとしないで。無駄だから」

「……はは」


 今度こそ正しく、天使は自嘲した。

 そうだ。なぜ忘れていたのか。


 ――この女は、本気で世界が救えないことに傷ついている。

 ――そして同時に、まだ本気で世界を救おうとしている。


 自分ができる限りのことをすれば万事うまく行って、満足の行く結果が出ると思っている子供。

 その言葉が自分に跳ね返ってきて、天使は考えるのをやめた。


「……いつまでもつの?」

「わかりません。十秒後か、半日後か……ほら、今左足が割れたでしょう?」

「っ……」


 パキッ、と音がして、ひび割れた左足の一部が崩れる。


「元が土ではこの程度……せっかくあの人形の状態から解放されたと思ったら、魔女の奴隷で精霊王とやらの召喚の餌……ふふ、笑っていいのですよ、元マスター」

「だから、笑わないって言ってる」

「……何故です? 私は、笑いました」

「?」

「私に向かってくる存在を……無力だと、無価値だと、無意味だと、無能だと、笑いました」

「……」

「そして私は敗北しました。完膚なきまでに。完璧に。そしてあの精霊に姿を変えられ……考えました。私はどうすべきだったのか」


 またパキッ、と音がして、今度は胴体が割れる。

 からからと音を立てて、破片が砕けた体の上で滑り、虚空へと消えていく。


「……私は、要らなかった。今こうして、ここに貴女がいることが全てでしょう……遅かれ早かれ、この村は『良く』なります。私があなた達に望んだ、完膚なき勝利などないままに」


 それを聞いて、天音は違和感を覚える。

 ここへ捕らえられてきたということはかなり絶望的な状況のはずなのに、この天使は一切自分の勝利を疑っていないのだ。


「待って……貴女、どうしたの? 私はこうして捕まっているし、みんなが来るのもまだまだ先。状況なんて絶望的で……」

「……質問します。それがどうかしましたか?」

「え……」

「貴女が今ここにいる。そしてこうして、生きながらえている。であれば、貴女は動くでしょう? できる限りのことをして、あらゆることを解決してきたではありませんか」

「……おかしくなってるみたいね、私、そんなんじゃない」

「同意します。私は今おかしい、と呼べる状態なのでしょう。だからこんなにも、貴女と話していたい」

「卑怯よ……そんな言い方……」


 また音がして、天使の体が崩れる。


「は、はは、これは傑作、ですね……貴女と言う勝利者が、まさか涙を流すとは」

「うるさい……何が勝利者よ、死なないって過信して、一人でここへ来て……あっさりつかまって、こうして死にかけてる。『ギフト』だって、破壊されないとは限らない。何をされるか、わからない、わからな、くて……」


 体育すわりの状態のまま、天音は震えた。

 嗚咽をこらえ、涙を流し、歯を食いしばって、ただ耐える。


「でも……負けたくないじゃない……やっぱりグリムはここへ来させちゃいけなかった! すぐにでも伝えなきゃいけないのに。どうしようもなくて……何もできなくて……どうせ、この首輪も、私が魔法を使えば発動するんでしょう?」

「はい」

「どう……なるの?」

「魔法の発動を感知すると同時に収縮します。そしてそれが五秒続いた場合リミッターが外れ、際限なく縮みます。首を落とすには、さらに五秒」

「……五秒」

「ほら。貴女は、《《その五秒で何が出来るかを考える》》。ああ、貴女は本当に素晴らしい契約者でした」

「それでね天使、聞きたいのだけど……」

「私はもう話すことなど」

「何でさっきから貴女、契約の話をしないの?」


 空気が、止まった。


「けい、やく……止めてくださいマスター、私はもう、負けたのです、貴女達にも、そしてあの魔女にも……半端な依り代に食いついたところをあの『邪眼』で支配され、私はこうして……力を吸い取られて今に至ります。これならまだ人形の方でいるべきでした。私のような半端者は……」

「貴女らしくない。以前の貴女だったら、何をしてでも私と契約して、私を乗っ取ろうとしたはず。今それがないのは、魔女が怖いから? 負けたから? それとも……そんな自分が、受け入れられないから?」

「……否定します! だって、私は何をされたかわからない……魔女の『邪眼』、あれで一度覗かれれば精霊は終わりです、気が付いた時には、逆らえなくなっていた!だ、だからきっと、私がここにいるのも、魔女の策略で……」

「私とあなたが、どう動くか見ているんでしょうね」

「そうです、その通りです、ではなぜ私を拒絶しないのですか! なぜ心がもうよみがえっているのですか!? 本当に意味が分からない!」

「それはだから……前に言ったはず」


 言葉を一度切って、天音は言った。


「私は、《《貴女と協力出来たらもっと上手くできたと思ってる》》。今だってそう。貴女と……もう一度契約して、一緒にここを出たい」

「……もう形容する単語がありません。何らかの罠があることは読めているはず。なのにどうしてそんなことを!」

「私、死なないから」

「……」


 パキ、パキ、と音が連続して、崩壊は進んでいく。

 この期に及んで命乞いはせず、朽ちて果てる前の天使は、そんなことをすべて忘れてただ、かつて自分と契約した少女を見ていた。


「死ななければ、きっとチャンスはある。みんなだってこっちに向かってるし、実際にこうして、どんどん私が死んだら困る立場にしてくれた。ここにいる貴女がそう思わせてくれたの」

「でもその前に! 死ぬよりつらい目にあってもですか!」

「……死ぬよりつらいことなんてない」

「!!」

「私にとっての死は、何もできなくなること。私が何かされて、動けなくなったら、殺して。貴女にならそれくらいできるでしょう? だから、そうして。その代わり、今貴女は私と契約して生き延びて」

「こんなの、めちゃくちゃ、です……本当、に、聞いていましたか? 罠があるかもしれない、逃げられるとも限らない、その先には死よりもつらい目にあうかもしれない……私はそう言いましたよ?」


 涙を流せるはずもないが、天使は心で泣いていた。


「そんなのは探偵からしたらいつものこと。だから私と契約して。今度は、どれくらい私の肉体が欲しいの?」

「この、悪魔……!」


 ついに頭部と左腕以外が崩壊して、ただの破片へと変わる。


「精霊の名において、契約を結びます……! 対価は、貴女の……左腕!」

「わかった。あの時と同じ?」


 ふるふる、と天使は首を振る。

 既に天使の魂は『そこ』にあって、土くれの中には無い。


「ああ、そう……そういうこと」


 世界のことわりが、手順を天音に教え込む。


「教えて。貴女の本当の名前は?」

「――」


 二人だけに聞こえる音で、『それ』は伝わる。

 そしてその一部を取って、天音は言った。


「――ありがとう。そして、行きましょう! 『スペース(希望)』!」


 期待、あるいは希望。

 その名を叫んだ時、土の体は朽ち果てて……


 ……地下室ごと牢屋を破壊して、天使は空へと飛び立った。


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