《過去編》 11 月下の桜-3
気が付くと、辺りに動くモノは見あたらなかった。
腕の中に、もう動かない少年の亡骸を抱いて、男は呆然と座り込んでいた。
「―――御免なさい……。遅すぎたのね……」
半壊した研究施設のモニタールームに、夕闇迫る茜色の空から光が降りてきていた。
光の球体は、男の前に降り立つと急速に人の形を成していく。
溶けるように発光が消えた後に現れたのは、その背に大きな純白の翼を持つ美しい女性だった。
だがその女性の姿は酷く朧気で、立体映像のように向こうが透けて見えている。
幽霊というものが実在するなら、こんな感じではないだろうか?
「あの、あなたは一体……?」
「私は、エデンに住まう者……この子の言葉で言うなら、『魂の国』の住人―――。
名をルシフェルと申します」
愛おしそうに彼女……ルシフェルは少年の乱れたままの髪を梳いてやる。
「この子の声は、聞こえていたのに……もう少し早く、此処に来る事が出来ていたら。
御免なさい……本当に」
ルシフェルが、ポロリと涙を零す。
「では、あなたが……『魂の国の天使様』?」
彼女はしきりに涙を拭うけれど、涙はますます溢れるばかりで。
「そう……。この子は私をそう呼んでいました。
色んな事をお話しました。
世界のこと、仲間のこと、好きな食べ物のこと、それから―――
大切な、護りたい人のこと。
十朗・K・オーベルシュタイン博士、貴方のことを」
「……私の事を?」
彼女が頷く。
「貴方だけが、他の人とは違うと。ボク達を、ヒトとして見てくれるから……。
だからもし、『虚無』がやって来てもボクが護るんだ、と。」
男は思い出した。
『それ』を、『虚無』と呼称しだしたきっかけは、少年が幼い頃から口にしていた話からだったのだと。
『“せかい”にはれっしゃがはしってて、さいごのえきは“たましいのくに”っていうんだよ。
そこには、やさしいてんしさまがすんでて、“きょむ”っていうわるいやつをたおせるひとをさがしてるんだって』
「まさか、あなたなのか?
『虚無』という名をこの子に教えたのは」
誰も信じなかった。
夢見がちな少年の絵空事だと研究員達は笑っていたと言うのに。
少年だけが、世界の真実を語っていただなんて……。
「―――はい。
『虚無』に対抗出来るのは、心に光を持ち、人を護ろうと願えることの出来る者。
そして、当該世界での肉体を有する≪能力≫者なのです。
……残念ながら、我々天使はエデン世界以外での肉体を持っていないのです。
ですから、大規模な『虚無』の侵攻に際して我々天使が直接対峙するには、その世界に住む誰かの肉体に一時宿らなくてはなりません。
そして初めて、≪能力≫を行使できるのですが―――。
この子は、自分の体を使ってくれと……。
自分の生きていたこの世界を、仲間達を、そして、貴方を護ってくれと。
最期の瞬間に頼んでゆきました―――――」
彼女が聖母のような眼差しで少年の顔を見つめている。
少年の表情は、何故か安らかな……とても穏やかな笑みを湛えていて、男は不思議に思っていたのだ。
何故、少年は死に際して微笑みすら浮かべられるのかと―――。
「私は、この子と約束を交わしました。
必ず貴方の大事なものを護るから。
貴方の愛したこの世界を、全てを掛けて護るから……と」
彼女が手を差し伸べる。
最初の、光の球体へと戻った彼女が少年の体へ吸い込まれるように消えると、眩い光を放ち始めた。
思わず目を閉じた男が再び目を開けた時、彼女の姿はしっかりとした実体を伴っていた。
しかし、その表情はすでに凛とした戦士のものへと変わっている。
「今、この世界には他にも何人か天使がやって来て『虚無』と戦っていますから、殲滅までそれ程長い時間は掛からないでしょう。
この辺りにはもう『虚無』は居ないと思いますが……博士もどうかお気をつけて。
……戦いが終わったなら、この子の体をお返ししにきます。
どうか、貴方の手で葬ってあげて下さい。
お願いします」
男は言葉もなく頷いた。
「では、またお会いしましょう」
踵を返し立ち去ろうとする彼女に、男は唇を噛みしめる。
「―――待ってくれ!」
男は叫んでいた。
「……?」
「……私にも……何か出来る事はないだろうか?
さっき、言っていただろう、この世界に肉体を有する≪能力≫者なら、『虚無』に対抗できると……。
今の私の心には……光なんてものは、これっぽっちも無いが、その子に護って貰った命だ。
せめて、その子の願いを叶える手伝いをさせて欲しい―――――」
彼女は、厳しい目で男を見つめていたがやがて、優しい微笑みを浮かべた。
「光が無いなんてとんでもない。
今の貴方なら十分に“合格”ですよ。
……手を。戦い方をお教えしますから」
差し出された手に、男は躊躇うことなく手を重ねる。
暖かく、力強い波動が伝わってくる。
戦いに際して、どう≪能力≫を使うのが有効であるのかが直接頭に流れ込んでくる。
「では、行きましょう」
男はしっかりと頷いて彼女の手を握り返した。
* * * * *
男が、戦いに身を投じてから、どれ程の時間が経っただろうか。
ルシフェルの予想に反して、戦いは長引いた。
「甘く見ていたようだわ……。
この世界の闇が、これほど酷く濃くなっていただなんて……」
「ルシフェル……教えてくれないか?
そもそも『虚無』とは一体何だ?
何故、生物を殺す事だけを目的としているんだ?」
「……『虚無』は、ヒトの抱く負の感情から生まれたと言われているの―――。
本来、生命は光と闇二つの性質を持っているわ。
けれど、思惟の力を持つ生命体……ヒトが誕生したのと時を同じくして『虚無』も存在を確認されている。
行きすぎた負の感情が『虚無』を生み、また『虚無』により負の感情が増す。
『虚無』に殺された人の魂はエデンに於ける浄化でさえ、完全には“闇”を消しきれない……。
その魂は、生まれながらに心に“闇”を背負い、また“闇”を呼ぶ……。
私達は、その悪循環を絶ち切りたいの―――。
そうしなければ、やがて世界が崩壊してしまうから。
数限りなく存在する魂と共に、何もかもが消滅してしまう。それだけは避けたい。
だから、私達は……残酷だと分かっていても世界を護る天使を任命している。
貴方のように≪能力≫を持つ、ヒトを―――――」
男は、戦いが終わった直後、自ら在留の天使……”守護天使”となる事を申し出た。
「……本当に良いの?
ヒトとしての幸せは、全て捨て去ることになるわよ」
心地よい風が吹き抜ける丘の上で、最後まで残っていた天使ルシフェルと男が話していた。
その二人の足下には、植えられたばかりの桜の苗木が植わっている。
「構わない。
この世界の『虚無』を呼び起こしたのは……私の国が起こした戦争が発端だった。
その責任は、戦争の片棒を担ぎ、人道に悖る行為を繰り返していた私こそが負うべきなんだ。
だから、後悔はしない。」
男の顔に迷いはなかった。
「この世界は、私が……いや、私達が護っていく。
生き残った人々が協力してくれると言っているしね」
僅かながらに生き残っていた人々は、その殆どが天使達や、男達が能力を付加した「戦士の子」によって助けられた者ばかりだった。
「分かったわ。約束通り、この世界に他の天使は任命しないようにするから。
でも、これからが大変よ。
この世界の殆どの文明は、今回の『虚無』との戦いで破壊されてしまっているから。
ヒトは、またゼロからのスタートになる」
「大丈夫。この世界はまだ、生きているから。
それに、もしまた『虚無』が現れたとしても……また君は来てくれるんだろう?」
ルシフェルが困ったように笑う。
「そうそう当てにしないで。これでも大天使長の私は忙しいんだから。
でも、今度は……ヒトとして、此処に生まれたい―――――。
誰かが死ぬのはもうたくさんだから……」
そう言って、ルシフェルは足下の小さな苗木を見つめる。
「なら、私は……いつか、君が宿れる肉体を創り出そう。
君がヒトとして、また此処へ戻れるように。」
「……まだ、繰り返すの?
貴方が過ちだと認めた行為を……」
咎めるような視線を感じるが、男はじっと見つめ返す。
「それが、世界を護る為であるなら―――私は必要悪になってみせるよ。
綺麗事だけでは、何かを護る事なんて出来はしないから」
「―――そう、なのかも知れないわね。
ねぇ、この子の名前を教えてくれない?」
桜の苗木の下で眠る、少年の名。
「偕理だ。
この国の文字で“あまねく理解する”という意味が込められている」
「そう、良い名前……。
そんな人が増えたら『虚無』なんて自然と消えていくのかも知れない」
物思いに耽る二人の耳に、急かすような汽笛の音が聞こえてくる。
「ああ、いけない……。
私、もう行かなくちゃ」
「そうか。色々と有り難う、ルシフェル。
元気で。……また逢おう」
男が左手を差し出すと、彼女は透けた手で握り返した。
「ええ、貴方こそお元気で。
また……でも、そんな日が来ない方が良いのだけれど」
握った手が離れ、彼女の姿が消えた後も男は何時までも手を振り続けていた。
「もしかして、二人が別れた丘って言うのが、ここ……なんですか?」
彼が薄く笑んでいた。
「察しがいいね。
この桜の下には、今もその少年が埋まって居るんだよ」
俺は、聞いてみたかったけど聞けなかった。
話の中の『男』とは、貴方なのではないですか? と。
「……あの、天使のルシフェルはもうこの世界に来て……じゃないや、生まれてきてるんですか?」
我ながら、変な質問だと思ったけれど他に思いつくこともなくて。
「ああ。
しかし、ヒトとして生を受けているから、天使としての記憶は無いようだけれどね。
それがまた、天使の頃のルシフェルにそっくりな姿をしていて、成長するにつけ似て来ている。
君もいつかまた出逢うだろう。
君が、君の運命を辿るなら……人を惹きつける、優しくて哀しい瞳をした、本当の姿のあの子に―――――」
* * * * *
「んがっ?!」
目が覚めて、飛び起きた。
そこは紛れもなく俺の部屋の、俺のベッドの上で。
なんだかとても長い夢を見ていたみたいだ。
そうだよな。大体、電子ロックが外れているとか、そんな事がある筈もないし。
だけど、ここに来てからと言うものどうも生々しいというか、臨場感たっぷりの夢ばかり見ている気がする。
「あーもー、訳分かんねーよーっ!!」
バリバリと髪をかき混ぜた拍子に、何かがひらひらと目の前に落ちてきた。
「あ……!」
それは、昨夜夢で見た大木が咲かせていた花の花弁だった。
その薄紅の小さな花は人の想いを糧にして咲いているのだと、あの人は言っていた。
「夢じゃ……無いのかも知れない……?」
あの、光景の意味が分かったなら……また、あの人と会える気がする。
その時なら“天使となった男”が誰なのかも聞けると思った。
ふと、目に付いた時計で時間を確認すると、そろそろカクヤ君が朝食にと誘いに来る時間に近い。手早く身なりを整えていく。
「さぁて、メシだメシ―――――」
“黄金の調停者”こと、ライト・エルズワース。
彼が、人として生を受けた天使ルシフェルと出逢うのはそう、遠くない未来である。
以上、殲滅歴と忍者の成り立ちの話でした。




