19、二月九日、午前七時三分。 地下ケーブル坑内。 ジャグス。
ずたずたに引きちぎられて破損した何本もの送電ケーブルの放電により、一気に明るくなった坑内を、水蒸気の白煙が包んでいる。
そんな中、ジャグスは横穴にひそんだまま、コートのポケットから三個のプラスティックボトルを取り出すと、三つとも先端を口で噛み切り、ひとつひとつ、丁寧に坑道に向かって投げた。
三つのボトルからはすぐにガスの煙が上がり、辺りの視界をなおいっそう曇らせていく。
「ヨーホー」ジャグスは煙の向こうに届くように声をあげた。
* * *
「録音開始だ」ベネシュが藤澤にうなずく。
藤澤は、さっきから録音状態にあるレコーダーのスイッチを入れる振りをした。
* * *
「聞いてるだろ、あんた」ジャグスがもう一度、ルガーの装弾を確かめながら煙の奥に向かって話しかける。「逃げられないぜ」
「この前も、おまえたちはそう言った」
その声を、ジャグスのマイクは完璧に拾って地上へ届けた。ベネシュと藤澤と谷口はそれぞれに、その第一声を聞いたときのことを、事件後、第七課に証言している。
* * *
【公文書一:第七課記録a:極秘】
証言・谷口勝港区第三分署所属巡査
「異様な声だったと思います…なんというか…聞いたことのない…この世のものとは思えない不気味な、くぐもった声でした」
証言・藤澤祐希第七課第二部所属巡査部長
「完璧な言葉遣いでした。外国で活動していたテロリストだと聞いていましたが、声だけから判断すると、この国の生まれと聞かされても驚きません。警部よりよほど完璧な発音でした」
証言抜粋・ドミニク・ベネシュ第七課第二部所属・元警部
「ボイスチェンジャーを使っていたようである。声音をいじっていたが、発音からこの国の出身者だとは見当がついた」
* * *
おもしれぇ。ジャグスはまた笑いたくなっている自分に気づいた。
たちこめる白煙のせいでうっすらとしか見えないが、向こうは坑道の真ん中に立ち、逃げもせずに、おそらくは機銃の照準を声のするこちらに合わせている。一方こちらは横穴に追いつめられたも同然である。なぜ、俺は面白がっているのだろう? 答えはわからないが笑いたかった。
「そうかい」
人工的に調節されているその声のほうへ、ジャグスは返答を返した。
(あとで判明した事だが、このとき、このカメレオンの脳内で、精密に仕掛けられたはずの生理学的な鍵には微妙な変化が起きていた)
【公文書ニ:音声による交信記録a:極秘のこと】
注:●印は捜査官による発言
●「官房副長官を殺ったのもあんただな」
応答なし
●「今度はうまく逃げられねぇぞ」
「何者だ。警官か、兵隊か」
●「質問してるのはのはこっちだぜ…あんたこそ、誰だ」
「当ててみろ(笑)」
●「あんたが政府の人間を二人も殺した理由はなんだい?……移民法の改正に反対するのか? 国籍が欲しいか、子どもを国から呼び寄せたいか…?」
「なにか勘違いしてるようだな…俺はどこかの民族団体所属のテロリストじゃない」
●「ほお?」
「俺はどこにも属しちゃいない。主義主張のために殺すなんて馬鹿げてる」
●「殺しはみんな馬鹿げてるぜ。ほっといてもやがては終わる命の、その長さを調整してやろうてんだからな(笑? 確認できず)」
応答なし
●「馬鹿げてると思うならなぜ殺した? 移民法改正を阻止するのが狙いじゃねぇのか?」
「俺を雇った奴らに聞くんだな」
●「カネ目当てか…あんたは中東あたりで名の知れたテロリストだとか聞いたが…カネで転ぶだけなのかい?」
「ほかに興味はない。趣味と実益を兼ねてる」
●「悪趣味だねぇ」
「貴様…警官でも兵隊でもないな? 誰だ?」
●「当たらねぇと思うよ(笑? 確認できず)…鷹狩りの鷹、なんていうとキザかね」
「なんだと?」
●「いや、違うかな…鷹は大空から舞い降りて獲物をつかむが、俺の場合、そおっと近づいて舌を伸ばすだけだもんな」
「どういう意味だ?」
横穴にも少しずつ流れ込んでいる汚水に惹かれたか、寒さの中に一匹の蝿が飛んでいることにジャグスは気づいた。気づいて即座に、本能的に反応した。
ぷーん…
ぱくっ。