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 真冬であった。


 深々と凍てつく空気に晴れわたった空から降り注ぐ、金と銀の月の光でさえも結晶と化してしまいそうな夜半、大地は歓喜にうち震えた。

 満月であったはずの金の月は欠け、中天に昇ったのは綺麗な半月だった。

 前触れもなく起った現象に、神殿はもとより国中がなにごとかと慌てふためいた。ただ、力ある魔法使いたちだけは首を横に振った。

 地の息吹が喜び、力に満ちている状況が悪しきことであるはずがない、と。

 同時刻、地上に一人の少年が生を受けた。人々が異変に驚き、怖れる中で産声をあげたこどもの傍らに、彼はいた。

 金色の月の光をよったかのごとき髪に、叡智を湛えた澄んだ翠玉の瞳を持った青年――ディレイアスは、静かに笑んでいた。












 うっすらと目を開けたシィシアンに、傍らにいたジェライドが気づいた。慌てて椅子から立ちあがり、兄の顔をのぞきこむ。


「兄さまッ」


 虚ろにさまよっていた瞳が、その声にふっと光をとり戻す。数度ゆっくりと瞬くと青い目がジェライドの姿を捉えた。


「──ィ」


 吐息にまぎれた呼びかけに、ジェライドはここにいるよとシィシアンの手を握りしめる。思いのほか強く握り返された冷たい手に、安堵と後悔の溜息が零れた。


「……ごめん、」


 握り締めた手に額をよせ、目を閉じた。瞼の奥が熱い。


「ごめんなさい、兄さま。ごめっ……」


 堪えきれずあふれた涙に、喉が震える。

 何度も何度も途切れる声で謝罪を繰り返す弟に、シィシアンはもう片方の腕をようやっと伸ばすと、柔らかな暗褐色の髪をそっと撫でた。


「──えが、無事ならい……んだ。泣く、な」


 呼吸が乾いた喉に貼りつくような感覚に、声がうまく言葉にならない。切れ切れの科白に、それでも意図を汲んだジェライドは嗚咽を押し殺した。

 しかし、抑えきれない涙に握った手を濡らすジェライドの頭を、シィシアンはおさまるまで緩く撫で続けた。




 あの晩、闇が消失した後、二人は即座に屋敷へと運びこまれた。

 闇に憑依され、ひどく消耗したジェライドは二日間昏々と眠り続けた。が、幸い目を覚ました時には身体や精神のどこにも異常はみられなかった。


 一方でシィシアンは危険な状態であった。

 グレイルたちが駆けよった時にはすでに大量の血が失われ、あとすこしでも遅ければ助からなかったであろうところまできていた。すぐさま魔法による治癒がおこわれ、ことなきを得たが、何日も昏睡状態と一時的な覚醒を繰り返していた。




「──ジェ、イ」


 おちつきをとり戻しはじめた弟の髪を、それでもまだ梳き続けるシィシアンにジェライドが重い顔をあげた。泣き腫らした瞳が優しく笑む青白い顔に出会い、再びくしゃりと歪んだ。その涙をシィシアンが拭う。


「父さまから、聞かされた、だろ?」


 若干しわがれた響きが、ジェライドに問う。

 なにを、とは言わない。

 けれど、ジェライドはわかるかわからないか程度に首を縦に振った。


「これだけは、言わないとと思ってたんだ……あれから、ずっと」


 苦しげに息を吐いたシィシアンに、


「兄さまっ、無理しないで。あとで、聞くから」


 止めようとするジェライドを、大丈夫だと制して先を継ぐ。


「おまえが……ジェライドが、どんな存在であっても、兄さんの弟だ。この先、道がどこに続いても──ジェイだから、愛してるよ」


 人とは違う容貌のジェライドに、家族は変わりない愛情を持って接してきた。心の弱かった母親の分も――けして代わりにはならないけれど――埋めるように。

 ジェライドがどういう存在であろうとも、彼が彼自身であり続けるかぎり、思いは変わらない。


「兄さま……」

「ジェイがそう、思ってくれるかぎり、俺もおまえの兄さんだ」

「──う、ん」


 目元の涙を拭って、ようやくジェライドの表情が笑顔になる。それに同様に微笑むと、シィシアンは大きく息を吐きだし、再び瞼を閉じた。


「兄さま、辛いの?」

「心配、するな。少し、疲れただけだ」


 ジェライドの心配げな様子に声を返すが、寄せる波のようにシィシアンへ眠気が忍びよる。穏やかにそれに身を委ねながら、ふと、覚えず言葉が口から零れた。



「──いくの、か?」



 閉ざされた彼の視界には、ジェライドの浮かべた驚きと悲しみは映らなった。

 今日まで眠り続けていたシィシアンは、知らない。地神殿の神官長がこの家を訪れ、人知れずひきとりを打診したことも、グレイルの苦渋の返答も。




 ──この子は、一度闇に堕ちた身です。それでも、ですか?


 ──その事柄をとって、御子の生まれ持った資質が覆るものではありません。それに……


 ──ならば! どうしてもっと早くに気づかれなかったのですッ? 人からむけられなくてもいい蔑視をむけられ、この子もこの子の母親も辛酸を舐めてきたのです。今さら違いましたと言われても、もうとり返しがつかない。


 ──確かに。それは神殿側の見識不足と落ち度でしょう。けれど、知れたからには市井に置いておくわけにはいかないのです。どのような影響がでるか……。聞けばウォルデスはここ数年、地の恵みが豊かであるとか。以前はそのような話は聞いたことがありません。魔法使いの意見によれば、それは御子の影響である、と。


 ──しかし、


 ──今回のようなことが、また起らないとはいえないのです。むしろ、想定内でしょう。ならば、国のためにも、御子自身のためにも、神殿へおいでいただきます。




「僕、ね……」

「ん?」

「あの時──兄さまに呼ばれて目覚めた時、神さまの声が聞こえたんだ」


 思ってもみなかったジェライドの言に、まどろみつつあったシィシアンは、一瞬遅れて瞳を開けた。


「か、み? ……ディレイアス神の?」


 信じられない思いで繰り返したシィシアンに、ジェライドは静かな瞳で頷いた。


「うん。兄さまとは別の声が聞こえてたんだ。だから『あなたは誰?』って訊いたら、」



『私? ──私は君を愛し月、ディレイアス』



 答えた、わずかに低い穏やかで力強い声がジェライドの耳には今も残っている。

 その瞬間、なぜ、と思う以上に事実がすとんと胸におちてきた。自身の救いようのない、愚かさとともに。


「僕なんか、馬鹿で、逃げてばかりいる臆病者で、なんの役にもたたないのに、そんな存在だなんて……全然信じられない、けど」


 きゅっとジェライドが握るシィシアンの手に力をこめた。


「だから、僕、いくね」

「ジェイ──」

「兄さまたちと離れるの、すごく嫌だ。兄さまと父さまの話を聞いちゃった時も、もう自分なんていらないって思った。それくらい、大好きだから……」

「だったら、」


 言い刺したシィシアンを、ジェライドは先を続けることで制した。優しい言葉を聞いてしまったら、心が挫けてしまう。


「僕が神殿の人たちが言うような存在だったら、ここにいちゃいけないんだ。守られてるだけじゃ、いけない気がするの。僕は、二度と兄さまを、ううん。誰もそんな風に傷つけたくないんだ」


 俯いたジェライドの顔にはまだ迷いの色が浮かんでいたけれど、


「僕、強くなりたい。誰も傷つけずにすむように」


 きっぱりとそう告げた。


「それに、知りたいんだ」

「──なにをだ?」

「僕がここにいるのはなんでだろうって。アルクトゥース神さまが王さまを選ばれて、御使いさまを降されたみたいに。ディレイアス神さまが、僕に……」


 適切な言葉が見つからずつまったジェライドに、シィシアンは静かに声を滑りこませた。


「ディレイアス神が望むこと──この世界に生まれた意味が知りたい?」

「――うん」


 幼い弟が宿した決意にひき結ばれた唇に、シィシアンはそれ以上止める術を持っていなかった。

 シィシアンにできたのは、ただ、ウォルデスより王都中央神殿付きへの転属を、魔法院と神殿へ申しでることだけだった。






「じゃあ、いくね」


 そうして、その年の長く短い夏が終わるころ。

 まだ明けきらない空の下、ジェライドは見送りにでた家族を振り返って微笑んだ。

 荷物は随分と前に馬車へ積みこまれている。あとはジェライドが乗車するだけだ。

 だが、別れを惜しむ心が、彼をこの場に留めていた。


「──元気でね」


 涙ぐむ祖母が、それでも必死にたえてジェライドを抱きよせた。

 つられてしまいそうになるのを堪えて、ジェライドはただ頷いた。口を開けば、きっと泣いてしまうだろうから。


「身体には、気をつけてな」

「連絡がとれるようなら……待っているから」


 祖父と父の言葉にも頷きで返したジェライドが、そっと祖母の胸を押し返す。


「……みんなも、元気でね」


 これが最後の別れの際に、当たり障りのない言葉しか浮かばない。

 永遠の別れではない。けれど、少年の立場をかんがみれば二度と再び間近に会うことはできないだろう。ならば、もっと言うべきことはあるはずなのに。

 そう、その場の誰もが思っていた。


「夜明けまで、もう時がありません」


 辛いでしょうが……、ジェライドの肩を抱いて促す神官をわずかに見上げて、はい、と擦れる声が返した。


「今まで、ありがとう──ずっと、ずっと大好きだからね」

「ジェライド……」

「僕は、大丈夫。──兄さまがいてくれるから」


 寂しさを押し隠した笑顔で告げて、ジェライドは馬車の後方を見やる。

 馬車からすこし離れた場所に、長衣を纏った長身の影があった。馬の轡をとり、神殿からの他の使者同様、一言も発することなく佇んでいる。むけられた視線に、表情は変えないままかすかに顎をひいてみせた。


「では、参りましょう」


 促されるままに、ジェライドは馬車へとむき直った。

 馬車へのぼる踏み台に足をかけながら肩越しに振り返れば、三人の姿のむこうにここにはいない母親の部屋の窓が見えた。カーテンが閉まったままの窓は、薄明の中で静かに陽がのぼるのを待っている。


「…………」


 ジェライドの姿が馬車の中へと消えた。続いて外から閉められた扉が、場を隔てる。

 ぎっ、と重い音をたてて、馬車は中央神殿へとゆっくりと出発した。




 ──明けて翌年。




 国中に一つの触れが出された。

 我が国は神眼の巫女に続き、地神ディレイアスの御子を得た、と。










 コン、コン、コン――


 響いた戸を叩く音に、ジェライドは調合していた手を止めて、どうぞ、と声をかけた。待つほどもなく開いたそこから顔を覗かせた相手に、顔を綻ばせる。


「兄さま」

「元気か? ジェイ。久しいな」


 それらはもう、二人きりの時にしか使われない呼び名だ。ほかに人がいる時は、お互いがそれぞれの立場にのっとった接し方をせねばならない。

 けれども、兄弟の間では立場が変わろうとも、思う気持ちに変わりはなかった。


「どうしたの? 今日は」

「神殿から頼まれた用があってな。王宮へきたからよってみたんだ」

 おまえが元気にやってるかと思って。


 ジェライドが神殿にひきとられてから、八年。

 シィシアンは変わらず中央神殿にあったが、ジェライドは住まう場所を一年ほど前に王宮へと移していた。

 それでも、こうして時折様子を見にきてくれる兄の存在が、ジェライドには嬉しかった。


「僕は大丈夫だよ。そっちこそ、父さまや……母さまは、元気?」

「──ああ、二人とも元気だ。おじいさまやおばあさまもな」


 短い沈黙が流れる。

 別れてから一度も会っていない家族に思いを馳せる時、八年という時の長さを感じずにはいられなかった。

 ふと視線を流した窓の外では、芽吹いた新緑が春の風に揺れていた。もう間もなく、初夏だ。


「ジェイ」


 呼びかけに澄んだ翠玉の瞳をシィシアンへ戻せば、兄もまた外を眺めやっていた。


「──幸せか?」


 思いもかけない問いかけに、ジェライドはわずかに目を見開いた。シィシアンの表情をうかうが、その横顔からはなにも読みとれない。

 ジェライドは静かに顎をひいた。


「うん──幸せだよ」


 迷いのない声音に、シィシアンは弟へと顔を戻した。


「兄さまたちと離れて暮らすのは、あいかわらず寂しいけどね。でも……あの人と出会って、僕は僕の居場所を見つけたから。今は、あの人の隣に立って歩いていけたらって、思ってる」

「──大変だって聞いたぞ? あの方につきあうのは」


 苦労してるんじゃないのか、聞く声がそれでも笑っているのは、ジェライドが浮かべる穏やかな微笑みがけして嘘ではないと知っているからだ。


「うん。すごくね。大体あの人は勝手なんだよ。いっつも人のこと振り回して。でも、楽しいよ」

「それなら、いいんだ。おまえが幸せだったら、家族は救われる」

「兄さま……」


 憂う顔をみせたジェライドに苦笑して、シィシアンは同じ背丈ほどになった頭を乱暴に撫でた。


「そんな顔するな」

「ちょっとッ、もうこどもじゃないんだから」

「お、言うようになったな。まだまだおまえなんて、俺からみたらこどもと一緒だ」


 兄の手から逃れたジェライドに、シィシアンの笑い声が弾けた。いささか憮然とした弟に、


「さて、と。あんまりゆっくりもしてられないんだ。そろそろ神殿に戻るよ」


 じゃあな、と手を振ってシィシアンは部屋を後にする。

 その背を見送ったジェライドも、まったく、と思わず零れた笑いに顔を綻ばせると、中断していた作業を再開した。

 けれども、それも長くは続かなかった。


「ジェイ! いこう」


 叩く音すら聞こえなかった扉が、今度は唐突に開いた。

 驚いたジェライドは狂った手元に配合を間違えた魔法薬に顔を顰めつつ、はいってきた人物を振り返った。呆れたような、慣れたような溜息を吐き、輝く金色の髪に青銀の瞳を持つ青年を見やる。


「──殿下。また、ですか?」


 瞳が非難の色を帯びる。

 けれどいささかも怯んだ様子もなく、殿下と呼ばれた青年はまっすぐジェライドへと近づいてきた。


「今日から父上がネイアスに造られた新しい港へいくとかで、城内の警備の手が外へ割かれるんだ。抜けだすにはもってこいだろ?」


 手にはすでに荷物を抱え、すっかり旅装を調えている。


「もう二十歳を迎えられたのだから、すこしはおちつかれてはどうです、アルファス殿下。さんざん抜けだしては視察と称して何日も戻らない。まわりに注意されるのは、僕の方ですよ」


 つきあわされる身にもなってください。


 口ではそうい言いつつも、ジェライドは卓上をすばやく片付けていった。言いだしたらきかない彼の性格を、ジェライドはよくわかっていた。


「ジェイがいるのといないのとでは、抜けだす手間が違う。おまえがいれば、一発で王都の外だ。それに市井を知ることは、王には大切な要素だろう。陛下だってわかっていらっしゃるから、それほど咎めないのさ」


 確かに『困ったやつだ』と言いながら、レオニスは強く咎めだてたりしない。王太子たるアルファスの素質を認め、信を置くがゆえに、彼の行動に格別制限をつけることはなかった。

 それにジェライドが一役買っていることは、本人だけが気づいていない事実である。


 作りかけていた――失敗した薬は処分し、道具を机の脇へとよせる。椅子をひいて奥から雑嚢をとりだしたジェライドに、アルファスは声をたてて笑った。


「なんだ。口じゃなんのかんのといいつつ、用意してあるんじゃないか」

「お一人でいかせるくらいなら、ともをした方がましです。それに突飛な貴方につきあっていると、必然的にこうなるんです──で、今回はどちらへ?」


 瞳に冷たさを含ませて王太子を見つめれば、彼は小さく肩を竦めた。反省の色などまるでない。


「ヒーラー山脈の方へいってみようと思ってる。最近、あの辺は不安定だって噂を耳にしたからな」

「──なにも、わざわざ危険なところへいく必要はないでしょうに……」


 諦めたにも似た呟きを返して、ジェライドは棚から竪琴をとりだした。それに得たりと笑んだアルファスは、宮廷の前庭に面したガラス戸を大きく開け放った。


「だからこそだ。俺には民に対する義務がある」


 途端、吹きこんだ風がジェライドの柔らかな栗色の髪を揺らす。顔にかかった髪をかきあげて、ジェライドは顔を仰がせた。

 廊下から慌ただしい気配が伝わってくる。たぶん、姿を消した王太子を探して、侍従が走り回っているのだ。ここへたどりつくのも、遠くはないだろう。


「早くしろよ!」


 一足早く外へでたアルファスがジェライドの名を呼ぶのが聞こえる。


 出会ったのも、旅先だった。

 密かに国中に点在する地系結界による封印を見て回っていた時、偶然彼といきあったのだ。

 姿を偽ってはいたが、一目でわかった。彼が、国を担う人物だと。そして彼を知るほどに、隣にありたいと願ったのは自分の方であった。


 一つ溜息をおとして、ジェライドは雑嚢を担ぎあげる。


「仕方ないよね、それがあの人なんだから──」


 緑輝く外へと踏みだした彼の隣を、笑いさざめく風が吹き抜けていった。


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