5
視界いっぱいに降る紅花はもやのようだった。
兪倩狼は樹冠に身を隠し、花の雨に煙る村を広く見渡していた。
少し前から視線はある一点に奪われている。
水芭蕉の花穂を包む、白い苞葉……
枯れ草の中に、どうして水芭蕉が生えているのだろう。その疑問の答えはすぐに知れた。
震えた身体を抱く少年の、白い耳だった。
――罹患者、
よりにもよってみつけてしまうとは。
苞にみえたそれは丸みを帯びた耳であるらしい。小さな身体をぎゅっと抱きしめて、垂れ下がった鼠の尻尾はみすぼらしい。
「他を探そう」
「見つけたか?」
苦々しく飛び降りる兪倩狼に夏羚が問いかける。兪倩狼は頭を振った。
「いや……」
相手はまだ年端もいかない子どもだ。
それに……、と兪倩狼は夏羚の真面目な横顔を危うげに見る。規則と方士の職務に従順な夏羚に、子どもを処罰させたくはない。
夏羚をその場から遠ざけようと動き出したときだった。
「――ここにいるぞ!」
まるで鬼の首を取ったような大声である。村中に響き渡るほどの嫌な声に、兪倩狼はさっと血の気が引いた。
あんな、まともに身も隠せないところでやり過ごせるわけがなかったのだ。
咄嗟に振り向く兪倩狼の目に、草陰から引きずり出される少年の姿があった。ヤマネのような耳も、鼠のような細い尾も、方士の前で怯えきってガクガクと震えていた。
――とろくさい!
チッと舌を打つ。
「夏、こっちだ!」
なぜ、立ち上がって逃げようとしない。他人に命を握りつぶされてもいいのかと、その怒りに突き動かされていた。
漁村に散っていた方士たちが声の中心へと集まりはじめている。
兪倩狼はその勢いに引けを取らず駆け出した。
包囲した方士らの、太刀を抜く鋭い音――
鈍い光が容赦なく空を滑り、子どもにふりかざされる。
少年は声がだせない。
身体を震わせて硬直したまま、刃が振り下ろされるのを待っている。その、たった僅かな差であった。
「クソ、死にたいのかよ――!」
兪倩狼はがむしゃらに少年をかき寄せ、すぐさま地面を蹴って後退る。
引き掴んで飛び退いた直後、目の前を殺伐とした太刀が振り下ろされた。
「相手は子どもだ、殺すつもりか――?」
胸に抱きすくめた子どもの温もりに、詰めていた息を荒く吐き出す。
振り下ろされた太刀の鋭い風圧が骨身まで両断するようで、その恐怖にしばらく手の震えがおさまらない。
離れまいとする少年の肩を必死に抱きながら、強情そうな方士を睨む。
「怖がらせるなよ」
「罹患者は即刻処罰すべきである。それが方士の職務だ」
まるで夏羚よりも融通の利かなそうな顔だ。兪倩狼はフンッ、と頬を意地悪く持ち上げた。
「大勢で寄ってたかって大層な正義だな。この少年はまだ誰にも感染を広げていない」
鼻梁に皺をよせ、歯茎を剥き出して威嚇していた。
「……兪、」
その荒々しさをなだめようとする夏羚の声に、思わずハッとして顔を上げる。
無垢なほど美しい双眸が兪倩狼を射貫いていた。まるで氷水を被せられたように息が詰まる。夏羚の胸元に輝く絡子環が恐ろしくてたまらなかった。
「罹患者の処罰を、夏羚!」
厳格なほど規則を重視する彼が、仲間を前にして職を裏切るはずがない。
水陰の下にひそむような淡い気持ちなど、切り捨てるべきだ。せめて邪魔だけはしてくれるな。目の色に怒りを滲ませる兪倩狼に、一瞬何か言いかけた夏羚の唇が珍しく青ざめていた。
「……汝湾のように、たたりを広げたいのか」
その真っ青な唇から捻り出すような重い声だった。
額の憂鬱さを目にして、兪倩狼の膨れ上がっていた怒りは途端に小さくなっていく。
「……広げたいわけじゃない。だが、殺す必要も――」
ここではまるで俺の方が無実の人間を殺し、方士としての処置をとらずたたりを広げたあの、汝湾のよう。
あれほど嫌悪していたというのに、彼と同じことを繰り返している。
ぞっと全身の毛が逆立った。
罹患者だって生きた人間だ。夏羚は毎日、こんな重い選択を背負って……?




