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1.冤罪


 最終電車に駆け込むと、ほっと一息ついてシートの中央に座った。普段は端っこを狙うが、車内に僕ひとりだったからだ。


 終電に乗るのは初めてだ。


 窓の外は暗い。


 深海を彷徨う棺桶に閉じ込められた気分になった。


 だが、目的の駅にたどり着けば、実家の暖かい布団で寝れる。


 友達の下宿に泊めてもらうはずが、“彼女が来る”という理由で急に追い出されたのだ。


 羨ましい。妬ましい。


 何が羨ましいって、キスしたりセックスしたり、生身の女の子にさわれるやつが死ぬほど羨ましい。


 僕は、その彼女を知っている。同じクラスの美鈴さん。


 美鈴さんが…


 あの小柄で華奢な美鈴さんが、あんなことやこんなことを…されたり…自分からしちゃったり…


 そんなの、いちいちリアルに教えないでくれ。僕も美鈴さんが好きなんだ。


 唯一できることは、いつものパーカーで性欲を覆い隠す。ちっぽけな自尊心のためにクールで無関心な振りをするだけ。


 性欲がなければ人生どれほど楽だろう。


 そんなモヤモヤが頭をもたげ始めると、隣の車両から乗客が一人、ドアを開けて入って来た。


 ゴツゴツいう足音からして男か。さり気なく顔を上げた。


 大学のことが頭から吹っ飛んだ。


 長い黒髪の美少女。白く透きとおった肌。太もも露わなデニムのショートパンツと、無骨なコンバットブーツ。


 驚いた理由はそこではない。


 誰もいないガラガラの車内で、僕の真正面にピタッと座ったのだ。


 膝の上に北欧の“トロール”のぬいぐるみ?


 妙に邪悪な目つきをした丸っこい毛玉を抱えている。


 少女が何かを囁いて両手を広げると、


「うわっ!」


 そいつが小さな羽を広げてパタパタと少女の膝から飛び立った。そのまま通路を横切って僕の真上の網棚に降り立った。


 啞然と見上げると、灰色をした尻の毛が網棚からはみ出し、垂れた尻尾がくるりくるりと動いていた。


 そいつは喋り始めた。


「こいつ、アンジェの股間のぞきながらチンコいじってるよ!」


「イジってない!」


 僕は慌てて否定した。


 ムクッと起き上がったのを上からちょっと抑えてただけだ。


 パーカーで隠して、手はポケットに突っ込んでたのに、何でこいつ判るんだ?


 アンジェと呼ばれた少女は、「ふーん」と品定めの表情になった。


 目と目が合った。少女は動じない。


 やや丸顔だが勝ち気な顔立ち。瞳は明るく透明なブラウンだ。


 冗談じゃない。


 この子、超僕の好みだ。


「もうカッチカチだってさ!」


 “トロール”が嬉しそうに「カッチカチ、カッチカチ」とさえずった。


 アンジェは「よしっ」と笑顔になると、向かいのシートから跳びはねて僕の隣に駆け寄った。


「じゃ!次の駅で降りるよ!」


 パーカーの中から僕の手を引っ張り出して、ギュッと握った。


「じゃないと痴漢でタイホだよ?」


 いやいや。


 途中の駅でホームに引きずり降ろされるのを、痴漢の現行犯逮捕と言うんですよ。


 冤罪。


 しかも、これ終電。


「降りたら帰れないよ!」


 抵抗したが、結局、彼女に引っ張られてついて行ったのは、生まれて初めてカワイイ女の子に手を握られたからだ。


 それ以上の理由が必要だろうか。


 アンジェが、「ぽこチンおいで」と声を掛けると、後ろから、パタパタいう羽ばたきと「チンコ、サイコー!」という声が追っかけてきた。


 しかし、ぽこチンとかいうこのちっこくて喋る生き物は何だ?



 ホームに降り立つと、密林の中だった。


 生暖かく湿った空気に、植物や土の生臭いにおい、鳥や虫の鳴き声が混じった。


 駅舎は廃墟化し、ホームから地下に降りる階段は所々崩れている。その奥の暗闇の中、正体不明の生き物たちがザワザワ犇めく音がした。


 ここから一歩も踏み出したくない。


 不気味な遠吠えが聞こえた。


 距離は遠いが、モンスターハンターに出てくるティガレックスの咆哮みたいなやつだ。絶対にヤバい。


「ここ日本?」


 一応聞いてみた。


「違うよ」とアンジェが真顔になって言う。


 ごめん、やっぱ帰る。


 黙って振り返ると、電車のドアが“ブシュッ”と閉じるところだった。


 はいはい、僕はいつもこれだ。


 駆け込み乗車は失敗でした。


 いつも乗り遅れます。逃げ遅れます。


 電車は赤く錆びた線路を轟轟と走ってジャングルに吸い込まれた。


 さっきの咆哮が近づいてきた。電車の音と振動に引き寄せられたのか。


 アンジェはその方向を見やって険しい顔をした。


 ぽこチンが咳払いした。


「アンジェ!こいつ、アンジェがキスしてチンコ触ってくれたら死ぬ気で闘うって言ってるよ!」


 言ってない!


「そうか。君の名は?」アンジェが尋ねた。


「え?俺、村木…慎之介。だけど、あいつ嘘ばっかり…」


「慎之介、口を閉じて!」


 アンジェは振りかぶった拳を僕の顔面に叩き込んだ。


 ぶはっ!


 僕は吹っ飛んで、ホームに尻餅をついた。アンジェが馬乗りになって胸ぐらを掴んできた。


「ごめんね。慎之介は被害者だ。でも、ヘラヘラ生きてる君に、タダでキスはできない」


 アンジェは僕の唇の血を親指で拭うと、押し倒して顔を寄せてきた。


 僕は思わず目を閉じた。


 初めてのキス。


 こんな生々しい行為だとは思わなかった。歯がガチッとぶつかり、舌と舌が絡み合い、口の中の唾液と舌を吸い出され、呼吸が苦しくてクラクラになって、ようやく息をすれば下唇を甘噛みされた。


 身体の中心が熱くなる。


 破裂しそうだ。


 ぽこチンが満足そうに叫んだ。


「エレクトカリブトカリバー!」



 全身が発火し、僕は、…僕は、


 アンジェの右手に握られたまま、


 一振りの刀に変身した。



「スゴイよ、ぽこチン!こんなに鍛え抜かれた業物初めて!」


 アンジェは目を丸くして呟いた。「完璧な反り。曲がりが全くない!」


「こいつ、鞘もついてるからね」とぽこチンが嬉しそうに説明した。


「鞘も毎日毎日シゴイて鍛えたぞ、って言ってる」



 お願い!もうやめて!


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