番外編、ふたりのその後(1)
お待たせしました。番外編、ふたりのその後です。
長くなったのでふたつにしました。後編は、明日の夜20時に投稿します。
よろしくお願いします。
黒づくめの二人連れが裏通りの道を騎馬で走り抜けた。
異様な恰好であるにも関わらず人目を引かないのはそもそも人通りが少ない道という理由もあるが、なぜかふたりは印象が薄かった。
アレシアとラメルは、イクシーに持たされた「認識阻害の魔導具」を装備して馬を走らせていた。
そろそろ魔導具の効果が切れるころには町からだいぶ離れ、夜の帳が落ちていた。
夕暮れの町外れは人気が無い。
今日はアレシア王女が処刑された日ということもあり酒場はひっそりとしていたが、町を離れると余計に寂し気だった。
町から十分に離れ見渡す限り誰もいない田舎道まで来ると、時折馬を休ませながらさらに走る。
森に入ると野営の準備を始め、ラメルは荷物の中から魔獣避けの薬草を取り出した。
火を焚いて魔獣避けの薬草をくべると独特の匂いが漂う。しばらくは安全に休める。
ふたりは交代で休んだ。
ラメルはひとりで不寝番をすると言ったが、アレシアはさせなかった。アレシアを逃がすために忙しく準備をしていたのはラメルたちだ。アレシアは大人しく捕まっていただけなのだから力は余っている。
明くる早朝、ふたたび森の道なき道を進んだ。
ふたりが目指しているのはダルバダ共和国だった。
ダルバダ共和国は魔獣の多い国だ。
アレシアの祖国バルゼー王国も魔獣が多く、危険度世界第一位と言われているが、ダルバダ共和国は第二位くらいだろう。
アレシアは「うちの国は魔獣の数をかなり盛ってるから、ダルバダは第一位かもしれないよ」とラメルに教えた。
「なんで盛ってるんだ?」
「魔獣の多い領地は支援物資が幾らか配られるし、税金も少なめにしてくれるんだ。少しくらいなら盛ってもバレないし。だから、国全体の魔獣の数もあまり正確じゃない」
「ハハ、そういう理由」
ダルバダ共和国は腕の良い狩人であれば容易く永住権を得られ、身分証も発行してくれる。その代わり、狩人として地道に働く必要がある。
「ダルバダ共和国は治安が良くないというが本当なのかな」
焼き肉の夕食を終えるころアレシアがぼそりと尋ねた。
「永住権が簡単にとれるから治安が悪いと言われているが。どうかな。ログリア王国など王族からして凶悪犯罪者みたいなものだった。王都の犯罪率はひどかったが、表向き安全な国と宣伝していた」
ラメルはなかなか辛辣だ。恋人が謂れのない罪で火あぶりにされかけたのだ。
「あんな国は祖国ではない」と吐き捨てるように言っていたが、アレシアが逆の立場でもそれくらいは言うだろう。
「どこも行ってみないとわからないよな。私もログリア王国が恐怖政治を敷いているなんて知らなかったし」
「そういうことだな。私はアレシアと生きられるのならどこでもいい」
ラメルが躊躇いもなく告げる言葉にアレシアは頬が熱くなる。
「私も、だ」
照れくさいが気持ちを伝える。
ラメルに抱きしめられ、愛しい温もりに生きることを選んで良かったと思う。
あのとき決断したことを思い返すと胸の底から熱いものが込み上げてくる。ラメルが想いを告げてくれたおかげだ。
ぱちぱちと爆ぜる焚火の傍らで話をした。これからのことを。
今までは人目を気にしてあまり話せていなかった。
領地の皆はほとんどはアレシアの味方だとは思う。
思うけれど、むしろだからこそ、もしもの時のために気付かれてはならなかった。
知らなければ平和なこともある。
ふたりは名前を変えようと決めた。
ラメルは「ラム」だ。
ただの愛称ではないか、とアレシアは苦笑した。
「アレシアは、ヴィオでいいか」
とラムがやたら熱心に薦めてくる。
幼い頃に読んだ勇者の物語に出てくる強い姫君の名だという。
よほど気に入っている物語だったらしい。
アレシアは「強い姫君」がどんな役柄だったのか気になったが、ラムがそんなに望むのならと「じゃぁ、それで」と頷いた。
旅を始めて十二日目に国境の森が見えてきた。
最短の行路で来たおかげでかなり早い。魔獣を払い除けながらの旅だったが、ラムもヴィオも腕は良いので難なく進んで来た。
「あの森を超えればダルバダ共和国だ」
ラムの声がいつになく強張っている。
ふたりは街道ではなく森を突っ切る。
ダルバダ共和国に行くには、関所のもうけられた街道を馬車や騎馬で行くのが正規の道だ。それが、安全な道でもある。
だが、ヴィオが身分証を持っていないのでその道は使えない。密入国する。
魔獣の森は普通は通れない。多くの密入国者は、街道でも森でもないところを夜闇に紛れて突っ切ろうとする。
残念ながら上手くはいかない。
ダルバダ共和国もログリア王国も、密入国者を防ぐため街道周りの森は魔獣の間引きをしない。道なき道を行こうとする者は過酷な目に遭うだろう。
ログリア王国がわざと狂暴な竜種を定期的に放している、という噂がある。ラムは「噂ではなく本当だがな」と苦笑する。
ダルバダ共和国が文句を言わないので辞めないらしい。
「だが、それでも魔獣の森を突っ切るよりは、まだマシだと思われているんだ」
「へぇ。そんなに難易度高いのか」
「いや、ランデルエ公爵領の西にある魔獣の森とさほど変わらないと思う」
ラムは若干答えるのを躊躇した。
ラムが知っている情報では、ふたつの森の瘴気濃度は同等だ。それは、ふたつの森の危険度が同等であることを意味する。
ふたりは聖獣の手当てのために途中までは森に踏み込んでいる。奥へ行くほど凶悪な連中が出てきた。途中で引き返したので先はわからない。
だが、森を突っ切って国境を越える、という以外の選択肢はなかった。
「では、冒険の始まりか」
ヴィオがのん気に答えた。心なしか声がわくわくしている。
そんなヴィオの様子に、ラムは苦笑しながらも緊張が解けるのを感じた。
イクシーが結界の魔道具や方位計、魔獣避けの薬草を乾燥させたものを持たせてくれていた。至れり尽くせりだ。きっと、ふたりなら平気だと、そう思えた。
その日の昼ごろ。ふたりは国境の森に挑んだ。
十日後。
怪しげなローブ姿の人影が森の外れから辺りの様子をうかがった。
もう夕暮れが始まっている。
人の姿はない。
「おお。ラム、人家だ」
遠くを眺めていたヴィオが笑顔で振り返った。
「ああ。ダルバダ共和国に着いた」
過酷な旅の間、文句も言わず・・言えなかったともいえるが、付いてきた愛馬二頭も無事だ。
「今夜はどうする?」
「まだ国境を越えたてのほやほやだからな。二泊くらいは野宿で済まそうと思う。今夜はあの森でいいだろう」
ラムが人家から少し離れたところに見える森を指さした。
「わかった」
ふたりはしばらく森沿いに移動してから野営地と決めた森を目指した。瘴気を感じない森は十日ぶりだった。瘴気は人の健康には当然、害を及ぼす。ただ十日くらいなら、健康な成人であればなんとか耐えられる。
森で野営の準備をして落ち着くと、早速ヴィオがラムに浄化をかけた。瘴気払いだ。
「助かる。すっきりした」
ラムがヴィオを抱きしめる。
「お安い御用。魔力探知をしてもなにも引っかからないなんて新鮮だな」
ヴィオはラムの腕の中に抱かれたまま、小枝を焚火に放る。
このラムの抱き癖は旅の間中、始終あったのでヴィオはとっくに慣れていた。
ラムにしてみれば腕の中に温もりを感じないと安心できないのだ。
気楽に抱いているのではなく縋る思いで抱いている。
「ヴィオの治癒魔法があればなんとかなると思っていたが、本当になんとかなったな」
森では何度も怪我をした。幾度かは重症といえる怪我だった。
難敵は魔力探知で感知するたびに避けたが、毎度、回避が上手くいくわけではなかった。風狼の群れや巨大な鋼熊と遣り合ったさいに、ラムの脇腹とヴィオの太ももが深手を負った。ヴィオの治癒魔法がなければ旅を続けるのは困難だった。二頭の愛馬も歩き続けられなかっただろう。
「私の治癒魔法を当てにしていたのか」
「してた。それがなければ街道の横を夜中に進む経路も考えた」
「そうか。だが、国境警備の見回りがあるだろう」
「少しでも安全な辺りはな。そういう意味での危険度は同じかもしれない。だが、ヴィオの治癒魔法があるから、つい肉を切らせて骨を断つ戦略を選びがちで、おかげで怪我をしている気もするしな」
「それは言える。悪い癖かもしれない。治癒魔法があるから、という前提で闘っている面もあるかな」
「今後の課題にしよう」
まじめな話をしながらラムはヴィオの頬にキスをする。
まるで新婚状態だ。
ヴィオはつい笑ってしまった。
幸せだった。
ヴィオの治癒魔法は「秘密にするように」とラムによくよく言われていた。治癒魔法を秘密にするということは、人前でうかつに怪我をするのも不味いということだ。
ヴィオはラムの怪我はどうしたって治す。人前でやれば自動的に治癒のことが知られる。治癒魔法をもっている者は少ないのだ。
おおよそ、八百人にひとりと言われている。国によっても違うが、平均的に八百人にひとりだ。人口千人の村にひとり、治癒魔法の使い手がいる程度だ。
怪我や病気は治癒師にみてもらうものだが、ふつう治癒師とは薬を扱う知識を持っている薬師も含まれる。
そのうえ、ヴィオは魔力量が非常に高い。この両方を持っている者といえばごく限られてしまう。大きな特徴になる。
国境から離れながら野営をすること二泊目。
今夜のラムは少し無口だ。なにか考え込んでいる様子だった。
「ヴィオ」
と名を呼ぶ声が少し硬い。
「なんだい?」
ヴィオはラムに寄り添って座った格好で答えた。
「これからは、どうしたって町に出て人と会うことになる」
「そうだな」
ヴィオは頷いた。
「怖いんだ。ヴィオが誰かに見つかったら、と思うと」
「もちろん、その可能性は少しは残るだろうけど。それでふさぎ込んでるのか?」
「そうだ。きっと、アレシア王女が処刑されたことは、そうとう話題になっているだろうから」
ラムは昏い顔で頷いた。
「そうか? ログリア王国では人質の命など些細なもののような気がするが」
「マヌケなログリア王国ではそうだろう」
あの時のことを思い出したのか、ラムの眉間に怒りの皺が寄る、それはもう深々と。
「だが、ここは遠いだろう。身分証がなければ越えられない関所があるわけだし」
「アレシア王女は有名人の可能性がある」
「はぁ? 私が?」
それから語られたラムの話は、ヴィオにとっては意外なことだった。
ランデルエ公爵領の村長たちは、密かにアレシアの延命のために動いていたのだという。ログリア王国に訴えても危険なだけで無駄だったので、彼らはサウザル共和国に嘆願した。
サウザル共和国は、スワロフ領がバルゼー王国からログリア王国に返還されるのを後押しした。
その結果をよく考えるべきだった。スワロフ領にとっては余計なお世話だったのだ。
スワロフ領の民は返還されることなど望んでいなかった。
ログリア王国では、主だった組織のトップはどこも王族で占められている。彼ら王族の多くは、傲慢で無能で強欲だ。
ログリア王国では常識だった。
サウザル共和国はログリア王国と国境を接する隣国ゆえに、知っている者は多い。だが、どれほど酷いかは知らなかった。
ログリア王国の軍幹部も当然、王族だった。とくに軍に入るような王族は、最低でも無能な性悪、酷ければ無能で残虐と相場が決まっている。
案の定、スワロフ領に派遣されたのは、盗賊のごときログリア王国軍の中隊だった。領地は自国の軍に蹂躙されることとなった。
自分たちが余計なことをしたためにスワロフ領が苦しむこととなり、サウザル共和国は後悔していた。
良心的な国だ。人道というものを大事にする国でもあった。
自分たちが関わった返還騒ぎで、アレシア王女は「和平のために」ログリア王国へとやってきた。
それが「魔獣を溢れさせて隣の領に被害を出した」という、ありえない言いがかりで処刑されようとしている。村長らから「第三王子の愛人が隣の領の娘だから」という裏の理由も聞いた。
サウザル共和国は動いてくれた。だが、間に合わなかった。
サウザル共和国とログリア王国の王都がもっと近かったら、もしかしたら間に合ったかもしれない。
とはいえ、ログリア王国から穏便に逃げられたので、ヴィオとしてはこの結果で良かったのだが。死を覚悟していた時の辛さを思うと助けようと動いてくれたたくさんの人たちには感謝しかない。
サウザル共和国は情報発信力を持った国だ。
ヴィオも祖国で騎士をやっていたころ、サウザル共和国の情報誌をよく取り寄せて読んでいた。値段的にもそう高くはなく、それでいて興味深い世界の記事が多く載っていた。
深くまで真相を調べてあり、感心したのを覚えている。
「そういえば、サウザル共和国の情報誌はとても面白かったな。最後のページまで飽きない記事ばかりだった」
「だろう。あれはなかなかの戦略だ。情報発信という力を持っている」
「なるほど」
「記事をよく調べて書いている。だから信頼されているんだ。私は村長らの件は、アレシア王女の処刑間際になってイクシーから手短に聞いただけなんだ。だからこれは、あくまで私の推測だ。今回のアレシア王女の処刑も大々的に記事になって、世界中に発信されているはずだ」
「そうだとしても、私の顔とかは載せられないと思うんだが」
「イクシーは、ヴィオの姿を魔導具で撮っていただろう」
「王子への報告のためじゃなかったのか」
ヴィオはそういえば、と思い出した。
ヴィオが領民らの治癒をしているところとか、孤児院の護衛をしている姿をイクシーやジオンはたまに撮っていた。ヴィオは気にしていなかった。おそらく、王子へ報告するときに要るのだろうと思っていた。
「あれは領地向けで、村長らに送っていた。それで、王女は村のために魔獣の間引きや治癒をやってくれますよ、と知らせてた」
「なんだ、そうだったのか」
「まぁ、実のところ、王子からなにか言いがかりがあったときの証拠というのが主たる目的だったみたいだが。そのときも、村長らに王女の活動を知らせるためという理由をつけておいたほうが都合がよいからね」
「イクシーはつくづく優秀だったのだな。それに、知らないところで私を庇ってくれていたのか」
ヴィオは今更ながら、目が熱くなるのを感じた。
「それで」と、ラムは話を戻した。
「ヴィオは変装したほうが良いと思う」
「へ、変装?」
ヴィオは思わず声を裏返らせた。
「イクシーたちが撮った写真が情報誌に使われている可能性も考えて。ヴィオを男装させて、もっと国境から逃げようと思う。私の弟という設定で」
ラムが身を乗り出して熱く語り出した。
「いやいや、無理だろう。いくら何でも」
「無理じゃない。きっと可愛い少年になる」
「なんだ、その変態っぽい言い方!」
結局、ヴィオはラムに説得されてしまった。




