13)冤罪
アレシアがここに来てから一年と八か月が過ぎた。
早いものだ、とアレシアは振り返る。
ランデルエ領は、今は収穫の季節だ。魔獣が畑を荒らさないよう、地道に魔獣避けの薬草を植え続けたおかげでそう酷い被害はなかった。一安心だ。
イクシーは、各村長に「収穫物を隠すように」ごく密かに触れを出した。町長のジオン子爵も駆け回っている。隣のビスフェル領から支援要請が来たら面倒なので「収穫は魔獣に荒らされて激減した」と言ってやらなければならない。
こんなときは、領内は一致団結する。
イクシーはランデルエ領に赴任してから、なぜランデルエはビスフェル領にこれほどに格安で穀物を卸さなければならないのか不思議でならなかった。ほどなく隣がディアレフ王子の愛人の実家だからと気付いた。
どうにもならなかった。
その頃から、王族に対する不信は積もっていた。
けれど、ログリア王国では、子供に「王を崇めろ」と徹底して教育するし、素直な子ほど刷り込まれる。不幸なことに、イクシーは優秀で、素直な子だった。
素直なままに成長し、役に立つ文官として王宮に勤め、ディアレフ王子のためにランデルエ領に赴任した。
教育の賜だ。イクシーは国が望む通りの役人だった。王族への忠誠心は強かった。つい最近まで。
刷り込みが剥がれた時には憎しみに変わりかねないことを国はわかっていなかった。
収穫が落ち着いたころ。
予想通り、ビスフェル領から支援要請が届き、ディアレフ王子からも命じられ、なんとか無理をして搔き集めたと言ってやりながら、少しばかりの不出来な麦を運んでやった。
ビスフェル領はそうとう困っていたらしく、それでも喜んで受け取った。
運んだ領民が「珍しく感謝された」と呆れていた。
いつもは、上から目線で安く値引きさせられた麦を卸していた。腹立たしい隣人だ。
麦を運ぶ馬車の護衛をしていた衛兵から情報がもたらされた。
「ビスフェル領で珍しい多頭の魔獣が狩られたって?」
アレシアは思わず問い返した。
アレシアとラメルから聖獣の話を聞いていたイクシーやジーノらも嫌な予感がした。
ジオンにも情報を伝え、ビスフェル領での顛末をさらに詳しく聞いておいた。
狩ったと言っても、結局、失敗したようだ。首に毒の矢が刺さった状態で、多頭の魔獣は逃げたという。
アレシアは、明くる日にはすぐさま傷ついた聖獣を探しに向かった。
ビスフェルの領民らの話から、西の森のビスフェル領との境辺りと見当を付けた。
聖獣なら毒は効かないが、矢を抜くのは難しいだろう。
ラメルが一緒だ。他の衛兵や狩人は供にしなかった。傷ついた聖獣の神経を刺激してはならないからだ。
酒の瓶を持って行った。
聖獣を探して五日目。ようやく、取り巻きの魔獣を見つけた。
さらに森の奥へ踏み込む。
見つけたのは捜索開始八日目だった。
話に聞いた通り、首に痛々しい矢が刺さっている。やはり抜けなかったのだ。
「聖獣様。傷の手当てをさせてもらえないか」
アレシアはボールに酒を汲み入れ、そっと置いて後ろへ下がった。
聖獣は案外すぐに酒を飲みに来てくれた。
アレシアとラメルは、静かに聖獣に近づく。
打ち合わせた通り、ラメルとふたりで矢を握って固定し、ラメルが鏃の部分をよく切れるナイフで削ってから折りとる。そっと矢を抜くと、アレシアは水魔法で傷をきれいに洗う。
毒は聖獣には効いていないようで、傷口は爛れたりはしていなかった。
治癒魔法をかけるときれいにふさがった。
ボールにもう一本の果実酒を注いでおく。
様子を見ていると、酒を飲み終えた聖獣はしっかりした足取りで森の奥へと消えていった。
アレシアとラメルは、ようやく詰めていた息を吐いた。
だいぶ森の奥へと来ていたために帰るのにも五日かかってしまった。
聖獣の取り巻き魔獣肉を食べて過ごしていたのでアレシアもラメルも体は軽く元気だが、イクシーらにずいぶん心配をかけた。
聖獣の怪我を癒せたので、最悪の事態は免れたと思っていた。
アレシアとラメルが必死に聖獣を探したのは、ビスフェル領に降りかかる災厄は、すぐ隣のランデルエ領にも影響を与えるだろうと思われたからだ。
アレシアはもとより聖獣を崇める騎士だったので、そういうことがなくても探しに向かったが、領を守る意味もあった。
戻ってくると、イクシーが昏い顔をしていた。
「ビスフェル領は、かなりひどい状態のようです。領主は、魔獣にやられた傷がもとで亡くなったと知らせが来ました。もう十日も前です」
「あの息子が継いだのか」
アレシアは子息の顔を思い浮かべた。父親のロガン・ビスフェルを痩せさせて筋肉質にし、若くしたような男だった。父親よりも卑屈そうな目をしていた。
アレシアが父親に魔獣討伐に行くよう言われている間、ほくそ笑むような顔をしていたので印象は悪い。
「あの子息では、我が領との関係がよくなるかはわからないな」
「悪化しそうです。それに早くも我が領のせいでビスフェル領に魔獣が増えていると言いがかりをつけられています。アレシア様が魔獣を操っているなどと言うなんら根拠のないデマもちらほら流れているようです」
「・・なんでそうなる」
むしろ聖獣の怒りを少しでも鎮めるために、こちらは出来るだけのことをしているのだ。
「とりあえず、ジオンが説明に向かっています」
「道中、大丈夫か」
「ジーノ隊長がついています。ローリたちも。連中が聞く耳を持つかの方が心配です」
隣の領の情報は速やかにランデルエ領内の村々や領民に伝えられた。
イクシーもジオンも村長らを信頼している。
それぞれに癖の強い村長ぞろいだが、領を支えともに修羅場をかいくぐって来た仲間という意識がある。隣の領の情報は知っておく必要もある。
アレシアが謂れのない因縁をつけられていると聞きつけ、村長らはひどく心配していた。
まったくの言いがかりであり、本来なら心配はないと言いたいところだが、なにしろ相手は隣の領というよりディアレフ王子だ。常識など通用しない。
ただ、息をひそめて、性悪王子の注意が他に移るのを待つしかないだろう。
三日と置かずにやってくるラメルがドアをノックした。
ひどく控えめなノックの癖を、アレシアはとうに覚えてしまった。鍵などかけてはいない。
ラメルはいつも、ドアを薄く開けてすり抜けるように入ってくる。騎士よりも暗殺者と言った方が似合う動きだ。
ラメルは性急に体を繋げようとする。まるで、すぐにも温もりを得られないと凍えてしまうとでも言いたげに。
抱きしめられて、口付けを受け入れる。
ひとの体温が快い。ささくれ立つ心が安らぐ。
ふぅ、と吐息をつくと、アレシアを抱きしめるラメルの腕が強まった。
(不安・・だったのかもしれない)
人質を、甘く見ていた。
ログリア王国は、バルゼー王国よりよほどマシな国だと思っていた。まさか、恐怖政治国家とは思わなかった。
あのクソ親父め、と何度呪詛を吐いたかわからない。とんでもない国の人質にしてくれた。
ラメルに案じるような目で見られ、アレシアは微笑んだ。
ここに来て、領民の役に立てるようになり、生きがいができた。
油断していた。
だが、祖国を出るときは、覚悟を決めていたのだ。無残に死ぬこともあるだろう、と。
嫁入り前に逃げることも考えた。考えたが、すぐにその選択肢は捨てたのだ。逃げるのは敵前逃亡だ。
騎士だったアレシアにはできなかった。少なくとも、あのときは無垢だった自分には選べなかった。
今は、別の理由で選べない。
アレシアを逃がせば、ディアレフ王子はイクシーやラメルやジーノを許さないだろう。
肌を合わせると、互いの温もりが溶け合うようだ。
ラメルの指が、アレシアの体を這う。
アレシアはラメルの柔らかな髪を撫でまわし、口付けをする。
熱くなる。
でも、安らぐ。
今、この時は、ひとりじゃない。
体を繋げ、ラメルが荒っぽいキスをする。
我を忘れさせてくれるこの時が好きだ。
熱い息を閉じ込めるような口づけ。
「愛してる」
耳に注がれる優しい言葉は、聞こえなかった振りをした。
本当は、もう離れるべきなのだろう。
でも、アレシアには手放せなかった。
自分がこの世から消えても覚えていてほしい。
最後の我儘だ。
ランデルエ領からは、さらに少しばかり麦をビスフェル領に送ってやった。あまり気前よく送ると、ビスフェル領の連中はいい気になるのがこれまでの付き合いでわかってるので渋々送るようにしている。
麦を運ぶたびに様子を見ているが、ビスフェル領の状態はどんどん悪化している。領民は逃げ出しているという。
彼らはランデルエ領の方には来ない。ランデルエ領には魔獣がわんさかいると思われているからだ。
実際、以前までは、ビスフェル領よりもランデルエ領の方がずっと魔獣が多かった。
ディアレフ王子からの通達は、そんなころにあった。
アレシアは、あまり驚かなかった。
いつかありそうだ、と思っていたからだ。
「アレシア様を処刑するようにとディアレフ王子からの命令が下された」
イクシーが半ば呆然と書状を読んだ。
罪状は、魔獣を溢れさせ、ビスフェル領に被害を出したという。
ひと月後に、見届け役であるビスフェル領の文官が来る。
「隣の領の木っ端役人に頼むとは・・」
ジオンが絶句した。
ひと月というのは、長いようで短い。
自分の死刑執行だというのに、他人事のようだ。
アレシアは、今まで通りに暮らしていた。
イクシーもアレシアを拘束しようとはしなかった。
ジオンも、ジーノも、ラメルも、今までと変わらない。
「アレシア様、狼に食われたことにしませんか」
斃したばかりの焦げ茶色の巨大な狼を紐でくくりながらジーノが冗談をいう。
毛皮が良いので、引き摺ってでも運ぶのだ。
口調は冗談でもないが、言ってる内容は悪い冗談だ。
「惜しいな。タイミングが悪すぎる。見え透いているから却下だ」
アレシアは苦笑を堪えきれない。
ビスフェル領の連中が来たら牢に入ることになるだろう。この生活もあと少しだ。
ラメルはめっきり無口になった。
イクシーは忙しそうにしている。
アレシアは、イクシーには極力、近寄らないようにしていた。
生真面目で義理堅いところもある彼には、色々と苦痛だろう。
ラメルよりも、むしろ心配な気がした。
処刑予定日の三日前にビスフェル領の文官がふたりやってきた。護衛役の領兵がふたり付いていた。
ジオンは四人を町の宿屋に案内した。イクシーは彼らを領主邸に泊める気はなかった。
アレシアは、領主邸の地下牢に入っている振りをしていた。
イクシーが地下の書庫を片付けさせて地下牢風にしてあった。
ビスフェル領の文官は、地下牢で大人しくしているアレシアを確認すると宿に戻った。
アレシアが地下の部屋でぼんやりとしていると、イクシーとヴィルジニ村の村長がやってきた。
「ご相談があります」
イクシーがいつもの生真面目な口調で話し始めた。
「ヴィルジニ村で村の娘が強姦される事件が相次ぎまして。犯人が捕まりました。被害者のうち三人が自殺したり殴り殺されていますので処刑が決まっています。余罪がありそうですので取り調べを続けていましたが、口を割りそうにありませんので」
「そうか」
痛ましい事件だ、と胸苦しく思いながらアレシアは聞いた。
村長や村役人や主だった男たちが忙しい村は、治安が悪くなることがある。
そういえばジオンが衛兵を派遣する話をしていた。ヴィルジニ村がそうだった。
そいつと一緒の処刑は嫌だな、とふと思った。
「犯人の男は小柄で細身なんです。男の割に華奢な体をしておりまして。病気がちと言っていつも怠けている男でした。まさか彼が、と思われていたためになかなか捕まらなかったのですね。女性の中では長身のアレシア様と背格好が少し似ています」
イクシーの言葉に一瞬で言いたいことを理解してしまった。
「まさか、身代わりにするとでも?」
アレシアが苦笑した。
「そのまさかです」
アレシアは、首を左右に振った。
「ばれたら死ぬのはひとりじゃなくなる。気持ちは嬉しいよ」
「ばれません」
イクシーは、迷いなく言い切った。
「万が一がある」
「アレシア様」と、野太い声が割って入った。ヴィルジニ村の村長だ。
「捕まっている馬鹿者は私の孫ですよ。一人目の村娘を手籠めにしたときに捕らえるべきでした。馬鹿息子が、子供可愛さに『誘われた』という言葉を信じた。娘は痣だらけだったというのに。私が忙しくしている間に七人が被害にあった。病気がちだと自ら言い張って、仕事もしない孫でしたよ、裏でこんな悪事は働いていたくせにな」
村長が忙しくしていたのは村を守るために奔走していたからだろう。
アレシアはかける言葉も見つからない。
村長は眉間の皺を深めたままに話しを続けた。
「状況的にさらにあとふたりの行方不明者もあれがやった可能性が高い。乱暴して放置して、魔獣に食われたのですよ。私の友人の孫も犠牲になっている」
後始末を魔獣どもにやらせる、そういう犯罪は魔獣とともに増えるのだ。
注意喚起をしておかなかったことを今更ながら悔やんだ。
「魔獣を使った犯罪はより厳しく取り締まりを」
アレシアはつい口に出し、自分は罪人だったことを思い出して慌てて口をつぐんだ。
村長とイクシーはなぜかまるで泣きそうな子供のような目をした。
「そうしましょう。卑劣な犯罪ですよ。本来ならとっくに村人に殴り殺されているはずだった。村長の孫だったためにのうのうと生きている。イクシー殿から話しを聞いてからは、わざと生かしておきました。村の恩人のために体を使わせてやれば死んだ娘たちが浮かばれる。戯言を垂れ流すので喉を潰す薬を飲ませてやった。魔獣のエサにするからと引き摺ってきている。有能な執事にあとは託します。私は引退する予定だ。あなたと働けて良かった」
「村長・・」
アレシアが言葉を詰まらせている間に村長はひとつお辞儀をして出て行ってしまった。
「アレシア様」
「イクシー。少し考えさせてもらえないか」
「わかりました。ですが、私は失敗はしません。ご安心を」
イクシーは静かに部屋を出た。
心が千々に乱れ、抑えても息が荒れた。
生き残れる可能性が出てきてしまった。
死ぬ覚悟がしっかりとできた後にこれはきつい。
とはいえ、この死の間際でなければ、アレシアは自然な態度で暮らすことは出来なかっただろう。
だが、もう死ねば楽になれると、むしろ死の中に逃げようとしていたのも確かなのだ。
愚かな父親は二十歳の娘に国の人質という大役を押し付けた。
思うよりもずっと自由に、この国の外れにある領地で穏やかに暮らせた。
これからも、村人たちと植えた魔獣避けの薬草に守られて、畑の麦が実る様を見られるのだと思っていた。
望みを断ち切られるたびに心が疲弊した。
もう、死んでしまった方が楽なのだ。
ぼんやりとベッドに腰かけていると、小さなノックの音に次いでドアが軋む音が聞こえた。
顔をあげればラメルがいた。
ラメルはベッドに腰を下ろした途端、アレシアを抱きしめた。
「なぜ迷うのです」
いつもは男らしく頼もしい彼の声は涙にぬれたように湿っていた。
「ラメル・・」
「私を置いて逝くつもりですか。こんな形であなたを失ったら。私は、もう永遠に笑えない」
「だが・・」
「言い訳は聞きたくない。イクシーが、どれだけあなたを助けようと! 懸命に準備したのに!」
「だが、もしも・・」
「もしもなどない! あなたは、計画を聞きもしなかった!」
ラメルの責める言葉は泣き濡れて、アレシアの心を締め付けた。愛する者の嗚咽など聞きたくなかった。
「私は・・ただ」
「お願いだから。私と逃げてくれ。こんな国に置いていくな。幸せな計画をたくさん立てたんだ。お願いだ」
「ラメル」
アレシアは、ラメルを抱きしめ返し「わかった」と頷いた。
覚悟を決めた。
決めなおした。
生きる方向に、決めた。
そうとなれば、失敗は許されない。
生きるのだ、他の誰も犠牲を出さずに。
強姦魔は死んでもらうが。




