皇帝陛下と十三月の妃 6
抱き上げられたまま離宮に入る。
エントランスホールを図書室にしてしまう工事には、多くの人員が投入された。
見上げるほど高い本棚には、半分ほどの本が詰め込められている。
「……伝えていませんでしたね。たくさんの本を贈ってくださって、ありがとうございます」
「……気に入ったか?」
「はい! こんなに豪華な贈り物、少しだけ気後れしてしまいますが……。きっと、全部読むには何年もかかるのでしょうね」
本棚には、はしごがかけられた。
ちなみに、私がそのはしごを上まで登ることは、ビオラに禁止されている。
「……そうだな。何年も……」
「……」
……まただわ。
ふわりと床に下ろされてひるがえったドレスの裾。ようやく見えた陛下の表情は、少しだけ辛そうで、真っ黒な瞳は、どこか遠くを見ている
この十三月の離宮に、私が入る前から陛下は時々来ていたと言っていた。
きっと、何か思い出があるのよね……。
それは、もしかしたら、幸せと悲しみが混ぜこぜになったものなのではないかしら……?
背伸びをして、その頬にそっと手を伸ばす。
それは無意識だったから、直後になぜか手が掴まれ、心臓が止まりそうになる。
正面を向いた黒ガラスのような瞳。
真っ白な色合いの私が映っている。
その瞳がゆるく弧を描いた。
「……あの」
「……治癒魔法を使おうとしたわけではないのか」
「……お許しいただけるなら、使いたいですが」
「いや、遠慮しておこう」
私にできることなんて、ほとんどないから、せめて治癒魔法くらいかけてあげたい。
でも、望んでいないことをしたくはない。
そんなの、私の気持ちを押し付けているみたいだから……。
「……なぜ、そんな顔をする」
「私の顔、変ですか……?」
「泣きそうだ」
「そんなわけ、ないです」
静かなエントランスホールには、見つめ合う私たち以外誰もいない。
掴まれたままの手が、先ほど無意識に伸ばそうとしていた陛下の頬に寄せられる。
予想していたよりも、その頬は熱い。
それとも、熱いのは全身が燃えるようになってしまった、私の手なのだろうか。
「……幼い頃は、この離宮で暮らしていたんだ」
ギュッと手のひらに寄せられた頬と、閉じられた瞳を縁取る長く艶やかなまつげ。
「君が気に入ったという小さな部屋は、子ども部屋で、幼い頃の俺が暮らしていた部屋だ」
「えっ?」
なぜか分からないけれど、安心できる場所だった小さな部屋。
祖国から遠く離れたこの地に、元からの知り合いなんて一人もいなくても、不思議なことにその部屋にいると、ずっとこの場所にいたような気分になった。
「そうですか……」
「おい!」
今日も発動してしまった治癒魔法。
なぜ、こんなにも空気を読んでくれないのだろう。
「……わざとではないです。親切の押し売りとか、したくないですから」
それにしても、今日も頭が痛い。
きっと寝不足なんだと思う。
「……ちゃんと、眠った方がいいですよ」
「……そうだな。ここに来る時には、体調を整えるとしよう」
「そんなの、ますます来てくれなくなりそうです」
「……」
「あっ、ごめんなさい。たぶん、眠すぎて寝言を言ったのだと思います。だから、聞こえなかったことにしてください」
こんなにも抱きしめられるのは、いつ以来だろうか。本当は、いつ陛下が来てもいいように、毎日ニンジンケーキを焼いていたのに。
ニンジン嫌いだってきっと克服できる、お気に入りのケーキ。眠ってしまったら食べてもらえない。
そんなことを思って、本気で抗ってみたけれど、残念ながら、眠気には勝てなかった。
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