皇帝陛下と十三月の妃 4
◇◇◇
翌朝、本を夜中まで読んでしまったため少々ぼんやりしたまま、いつもよりも一時間程度遅く庭に出た。
「あ……。あれ?」
後ろに付き従う、侍女服姿のビオラは、あいかわらず表情を変えることがないが、私は予想外の出来事にあんぐりと口を開いた。
陽光がさんさんと降り注ぐ広大な畑では、たくさんの人が働いていた。
「あの……。ビオラは何か知ってる?」
「五回です」
「な、なにが……?」
急に回数を口にしたビオラ。
答えになっていないではないかと、首を傾げる私。
「皇帝陛下がお出ましになった回数です」
「――――え? そんなにいらしていないわ。三回ではないの?」
陛下がここにいらっしゃったのは、最初と、お野菜を持ってきてくれたときと、会議を抜け出してきたときの三回のはずだ。
「……ソリア様が、倒れて眠っていた間に、二回いらっしゃいました」
「そ、そう……」
なぜ、口元が緩んでしまうのかしら?
知らない感情。でも、これは嬉しいに近くて、なぜか心の奥底がムズムズする。
思わず、アテーナが飛び出してきそうになって、慌てて胸を押さえて気持ちを落ち着かせる。
「――――月に五回。皇帝陛下が、月に二回以上お出ましになった離宮は他にありません」
「……」
「すでに、この場所は王宮内からも、大陸全土からも注目を浴びてしまいました」
「……そう」
初日、お忍びのようにお一人で来られてから、なぜか皇帝陛下はいつも一人でこの離宮を訪ねる。
王宮内で襲われることなどないと思っているのだろうか……。
レーウィル王国は、王宮内であろうといつだって命を狙われるような場所だったから、気ままな皇帝陛下のことが心配になってしまう。
……だって、あの時もひどい怪我を負っていたもの。
皇帝陛下は、誰よりも強いという。
剣の腕も、自在に使いこなすという氷の魔法も……。
それでも、もちろん怪我をするし、疲れるし、病気にもなる。
皇帝陛下だって、やっぱりただの人間なのだから……。
「……つまり、皇帝陛下の御身の安全と、お越しになる場所を整えるためなのね」
「――――それもありますが」
「……他に何が」
「あなた様のためですよ?」
「えっ、私の?」
あからさまなため息を前に、驚いてすみれ色の瞳をパチパチ瞬くばかりの私。
確かに、皇帝陛下がいらっしゃる離宮の妃は、ことさら愛されているのだと、周囲が誤解するのは分かるけれど……。
「私を守ったり、私の居場所を整えることで、皆さんに何かいいことがあります?」
「……少なくとも私は、何度もソリア様に救われています。恩を感じていますし、誠心誠意お仕えして、お守りしたいです」
「……救った? え、いつの間に!?」
にっこり笑ったビオラの儚い美しさ。
ほとんど無表情のまま素過ごしているビオラだけれど、彼女の方がお妃様だといわれても、納得してしまいそうなほどの美貌だ。
黒い髪の毛は、太陽の光を浴びると緑色に輝くようで艶やかだし、猫のような瞳はとんでもなく長い睫で縁取られている。
「こんな風に、大切にしていただいたことは、今までなかったので……」
「なぜ……?」
「この国では、黒い色は不吉だとされています」
「……そう、この国でも」
幼い記憶で笑っている母の髪と瞳は、目の前にいるビオラと同じ色をしている。
東方出身で踊り子をしていたという母は、その美しさをレーウィル国王に見初められて、私を産んだ。
けれど、周囲からはいつも黒い色が不吉だと言われ続けていた。
一方、生まれた私は、レーウィル王国を象徴するような、真っ白な肌と、白銀の髪、そしてすみれ色の瞳を持っていた。
あの国には、私以外に王家を象徴する色を持って生まれた王族がいなかった。
……だから、王族たちは私のことを目の敵にしたのかもしれない。
「ビオラは、いい子だもの……。働き者だし、本当に助けられているわ。私の方こそ、こんなにお世話してもらったことがないから、少し恥ずかしいときもあるけれど、とても嬉しいの」
「……ソリア様」
色合いなんて関係ないと思うのは、私だけなのだろうか。
瞳の奥の方で浮かぶのは、ビオラと同じ、真っ黒な色合いの皇帝陛下。
――――その色合いが不吉だというのなら、陛下は、どんな子ども時代を過ごしたのかしら。
そんなことを思いながら、庭に視線をもう一度向ける。
ご高齢の庭師が、周囲に指示を出しながら庭というより、完全に畑になってしまった場所を整えている。
「――――あれは、西の端にしか生息しないという、幻の野菜」
「……ソリア様?」
苗を育てれば、風が吹く度に鈴のような音が鳴る、不思議なお野菜が収穫できるという。
「この地域で、育てることは可能なのかしら」
ベテラン庭師は、けれど迷うことなく周囲に指示を与えている。
もしかすると、すでにこの野菜については、彼の知識の中にあるのかもしれない。
私は、走り出した。夜遅くまで読んでいた貴重な文献には、その野菜についての情報はほとんどなかった。
……もちろん、他の離宮の妃たちの生家についても勉強したけれど、西の端は、まだ帝国の領土ではないから、その中にもなかった……!!
驚いた顔でこちらを振り返った庭師と、野菜談義で意気投合した私は、お昼ご飯になるまで、まだ見ぬお野菜について語り合ったのだった。
◇◇◇
そして、十三月の離宮が変わるのは、もちろん畑だけではない。
「ご無事で何よりです」
「姫様こそ……。よくぞご無事で」
白髪が交じっても未だ燃えるような赤い髪。幼い頃から、誰よりも信頼していた人が、私の前でひざまずいている。
離宮は、賑やかになっていく。
まるで、私の知らないうちに、運命の河にどんどん支流が合わさっていくかのように。
ヒーローへの恋心<<<野菜への愛
すくすく育つはずです……!
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