白い手
短いです。
翌朝、僕は例のアパート、裏野ハイツの前にいた。
妙に早く目が覚めて、焦燥に駆られるようにここまで来てしまった。
だけど、どうしよう。
部屋の場所は判っている。
後は、たずねる口実だ。これが意外と難しい。
窓辺の白い手が気になりました、とか馬鹿正直に言って訪ねるのは、ちょっとしたくない。
イタイ子認定は、断固拒否だ。
現に、今は見えないし。
手、どころか窓の存在も背の高い植木に邪魔されて、よくわからない状況だ。
窓があると思われる場所を見上げて、侵入方法を考える。
もちろん、合法的なやつだ。こんな所で、人生に汚点を付ける気はない。
でも、よく考えたらなんで、見えるときと見えない時があるんだろう。
見間違いではない、と思う。
スマホが鳴った時、それからあいつに呼ばれた時、どっちも意識が反れた瞬間に見えなくなってしまった。
それまでは、見えていたのに。
少なくとも、夕べ一緒にいたあいつは、見えないと言っていた。
今みたいに、植木が邪魔でそもそも窓がよくわからない、と。
なら、どうして、僕には見えたんだろう。
ここが廃墟ではないのは、入り口にある郵便受けをみれば判る。
チラシのある所と、ないところがある。使用者がいなければ、こんな差は出ないハズだ。
このアパートのへんな噂も特に聞いたことはない。
なら、尚更、昨日のあれは何なんだろう。
僕に見えて、あいつに見えなかった白い手。
僕だけに見えた、あの白い手。
僕だけに・・・・・・?
例えば、もし、そうだとしたら、あの白い手は、いや、その持ち主は自分が見える相手を待っているのかもしれない。
何かを伝えようとしてるのか、託そうとしているのか。
いずれにしても、僕を選んだんだ。あの白い手は。
あいつじゃ、なくて僕が選ばれたんだ。あの白い手に。
さっきまで、侵入方法を考えあぐねていたのが嘘にみたいに、僕は裏野荘の外階段を駆け上って、気がつけば二階のその部屋の前にいた。
ほら!やっぱり、そうだった!
部屋のドアは閉まっておらす、10センチほどの隙間を見せていた。
僕が選ばれたんだ。
言いようのない、高揚感が足元からこみ上げてくる。
その高揚感に後押しされるように、うっすらと僕を誘い入れるように開いているドアを潜った。
夏の日差しに慣れた目に、明かりのないその室内はひどく薄暗く感じられた。
それでも、見えないことはく、僕は靴を脱ぐのももどかしく、奥の部屋へと入っていった。
そこに居たのは、少女だった。
そうか、この子が僕を選んでくれたのか。あの、なんでも持ってる特別なあいつじゃなくて、僕を選んでくれたんだ。
ラノベの主人公のような気分だったのかもしれない。
このとき、僕は、彼女のお願いをなんでも聞いてあげるつもりでいた。
それが、選ばれた僕の、いや、主人公の勤めだと思っていた。
だから、こんな事になるなんて思っても見なかったんだ。
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僕は今、二階の窓から外を見ている。
僕の母さんが呼ぶ声がする。
「明美ちゃーん。早くいらっしゃい。置いていくわよー」
母さんの声が、僕じゃない、僕の知らない誰かを呼ぶ。
どうして、僕を呼んでくれないの?
通りに佇む少女がこちらを見上げて、でもすぐに誰かに呼ばれて去っていった。
――ニタリ、と嗤って。
お母さんが、私を呼ぶ声がする。
今日の午後、これから田舎のおばあちゃんの所へ、お墓参りに行くの。
そう、お盆だからね。
「はーい。すぐ行くー」
私は、返事をしてから、アパートを見上げた。
背の高い植木に囲われた、古いアパート。
でもそれは一瞬だけ。
私は、すぐに両親を追いかけるべく歩き出した。
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