第53話 教唆
綾と橘さんの服を選んだあと、雑貨屋で調理器具を物色していると俺の右隣に来た橘さんが話しかけてくる。
「そういえば霧島君って、お弁当も自分で作られているんですよね?」
「そうだね。毎日とまでは言わないけど、7割は俺が作ってるかな」
「なるほど……大変じゃないですか?」
「最初は大変だったけど、生活の一部になった今では"手抜き"を覚えたのもあってそこまで大変じゃないよ」
「"手抜き"ですか?」
「ああ。例えば冷凍食品でおかずを増やしたりとか、晩御飯の残りを使ったりとかね。あと晩御飯作る時に、弁当も一緒に作っちゃえば朝が楽だったりするし」
自炊を始めたばかりの頃は毎朝弁当を作っていたのだが、寝不足が続いた事でコンビニ弁当に切り替えた時期があった。
ただ、どうしても値段が高い事やラインナップに飽きが来てしまった事や、姉ちゃんの喜ぶ顔が見たくなった事もあって、ネットや本を読んで自炊の極意を学んだのだ。
例えば、パスタなどはレンジで茹でれば他のおかずを作る作業に手を回せるし、自然解凍OKの冷食を使えば時短になるし、世の中には弁当や料理を短い時間で済ませられるアイテムが溢れているのだ。
「なるほど……参考になります!」
「橘さんも自分でお弁当作ってるの?」
「流石に霧島君ほどの頻度ではありませんが、将来の為と思って週2回は自分で作るようにしているんです」
きっと手先の器用な橘さんの事だし、美味しいお弁当を作ってそうだな。
それに将来の為、か……。
もしかして一人暮らしとか、はたまた結婚した時に備えているのかなぁ。
「橘さんの旦那さんになる人は、きっと毎日美味しいご飯が食べられて幸せなんだろうな~」
「そ、そんな……! 私なんてまだまだ若輩者ですし、その……霧島君のご飯が食べられる方が幸せだと思います」
「そうかなぁ」
「……つまり、遼ちゃんと詩織ちゃんの手料理が毎日食べられる私が一番幸せって……コト?」
いつの間にか俺の左隣に来ていた綾が、意味の分からない事を呟く。
「その場合、俺と橘さんと綾が3人で暮らしている事になるけど、お前はそれでいいのか……?」
「え? むしろ最高でしょ。ねぇ詩織ちゃん?」
「ど、同居なんて……そんな……! まだ早いよ……!!」
橘さんは顔を赤らめて取り乱す。
「橘さん、俺と綾の冗談だからそんなに真に受けなくてもいいぞ?」
「いや冗談じゃないけど?」
「いや冗談だろ……」
まさか綾、本気で考えてたのか……?
「じゃあその場合、綾は何をするんだよ」
「んー、二人の応援?」
「せめて何かしらの家事をしろよ……」
俺は呆れて思考を放棄する。
将来、綾の旦那さんになる人は大変だろうな。
再び調理グッズに目を向けた俺は、パスタ用のトングを手に取りながらそう思った。
「あ~、遼ちゃんいましつれ~な事考えてたでしょ」
「……いや?」
「私だってお弁当作ってるって言ったじゃん」
そういえば以前そんなこと言ってたな。
「あれからも週1くらいでお弁当作ったりしてるんですケド~」
「そうなの……?」
「たまに私がご馳走になっているんですけど、綾ちゃんの手料理って美味しいんですよ?」
「マジ?」
思えば綾とおかず交換したときも、普通においしく食べたな。
「じゃあさっきはなんで食べ専みたいな事言ったんだよ」
「え~、だって二人のご飯の方が食べたいしー」
「私は綾ちゃんのご飯も食べたいよ……?」
「ホントっ!? じゃあ私も週1でお弁当作ってあげよっかな~」
その冗談みたいな話、まだ広げるのか?
まぁでも、実際綾や橘さんとのシェアハウスも悪くなさそうに思える。
もし俺や隣の二人に恋人が出来ず、進学先も一緒だったらそういう世界線もあるのかもな。
想像上の将来について楽しそうに話し合う二人を尻目に、俺はお会計へと向かうのであった。
~~~~~~~~~~~~~~~
二人とのショッピングを楽しんで、気付けば午後5時になろうとしていた。
流石にそろそろ切り上げるか。
「ぼちぼち帰って晩御飯作る準備しなきゃだし、この辺でお開きにするか」
「そうですね。帰ったらお洋服のタグを切ったりとかしないといけませんし」
「えぇ~もっと遊ぼうよー」
「綾ちゃんは夏休みの課題やらなきゃいけないでしょ?」
「うぅ……」
痛い所を突かれた綾は大人しくなる。
「そういえば綾の課題を見るって話、日程決めてなかったよな」
「あっそうじゃん! 今のうちにちゃっちゃと決めちゃおうよ!」
スマホを取り出す綾を見て、俺と橘さんも日程を確認する。
まぁ夏休み最終週とかで良いような気がするな。
姉ちゃんとの温泉は……夏休み最後だったな。
「再来週の木曜とかどうだ?」
「その日なら部活も休みだし、私は大丈夫だよ~」
「私も特に予定は入っていないので問題ありません」
「じゃあ日程は決まったな。一応言っとくけど、それまでにある程度は課題進めとけよ?」
「わ、分かってるよ~」
俺の言葉に気まずそうに答える綾。
この様子だと、全然夏休み課題が終わっていないんだろうな。
橘さんもそれを察してか、苦笑いを浮かべている。
「それじゃ、また今度な」
「はい。今日はありがとうございました!」
「またね~遼ちゃん!」
手を振る二人を見送った俺は、姉ちゃんから『今日はハンバーグが食べたい!』とメッセージが来ていたことを思い出して、帰ろうとした足を止めて食品売り場へと向かう。
メインがハンバーグとなると、スープも一緒に作った方が良さそうだな。
確かコンソメを切らしていたし、塩も残りが少なかったから調味料も買い出しておかないとな。
頭の中で買い物リストを構築していると、スマホを耳に当てて右往左往している中尾君の姿を視界の端に捉える。
見つかると気まずいと考えた俺は、彼の視界に入らないように迂回する。
決して中尾君の通話に聞き耳を立てていたわけではないのだが、よく通る彼の話が俺の耳に入ってくる。
「は、話とちがうじゃないか……! 僕は君から聞いた噂を信じていたのに……」
何やら通話相手と口論になっているようだ。
なにかあったのだろうか。
「……なるほど、もし君の言う通りなら、橘さんはもう彼の毒牙に掛かってしまっているんだね……?」
橘さん……?
それに毒牙って、彼女の身に何かあったのか?
俺は中尾君の通話内容が気になってしまい、身を隠して彼の話に聞き耳を立てる。
「そうだよね……僕しか彼女を救ってあげられないよね……。分かった、僕は彼と戦うって決めたよ」
その"彼"って、もしかして俺のことか? 昼間も橘さんが俺に毒されたなんて言っていた。
でも、どんな話を聞かされたら、そんな結論になるんだ?
「うん……え? 小野先輩が逮捕されたのも彼のせいなのか!? ……なんて卑劣な……っ!」
小野の名前まで挙がるとは、あの人の逮捕には俺の知らない隠された真実があったのだろうか。
もしかして通話の相手は、俺の知っている人物なのだろうか。
「情報をありがとう。……そうだね、夏休みはもう無理かもしれないけど、やれることはやってみるよ」
そう言って拳を握りしめる中尾君からは並々ならぬ決意を感じる。
「うん、君の名前は絶対に出さないって誓うよ……うん。それじゃ」
通話を終えた中尾君は、力強い足取りで出口へと歩みを進めると憎々し気に呟く。
「……霧島ぁ……! 僕の好きな橘さんを穢しやがって……絶対許さないぞ……!」
えぇ……怖ぁー……。
だが今の会話でいくつか分かった事がある。
まず中尾君は想い人である橘さんを救いたいという動機から、今後俺か橘さんに対して何かしらのアクションを起こしてくる可能性が高いという事だ。
そして、それを後押しする人物が居るという事も分かった。
何かをされる前にこの事を知れたのは大きいが、具体的にどう対策すればいいか皆目見当もつかない。
俺は今後の対策を考えつつ、食材の買い出しへと向かう事にした。
~~~~~~~~~~~~~~~
その日の晩、食事を終えた俺は姉ちゃんに中尾君の件を、それとなく相談してみる事に。
「あのさ、もし姉ちゃんを嫌っている人が、誰かに唆されて何かをしてきたらどうする?」
「なによ急に」
「いや、仮の話でさ。姉ちゃんの考えが聞いてみたくて」
「ふーん? そうね、まずは事実確認を取るわ。あたしを嫌っている人がやった事かどうか、検証する必要があるから」
そりゃそうか。
目の前で何かをされるとも限らないし、その人がやったのかどうか確認する方が大事だよな。
「そして、どうしてそういう事をしたのか、その人が置かれている状況や周囲の環境を踏まえて整理するの」
「ふむふむ」
「どうせ最初は遠回しなやり方で警告してくるだろうけど、あえて泳がすのよ」
「なんでさ」
「じゃないと犯人が警戒して、より回りくどいやり方に変えてくるかもしれないからよ」
なんだか、ハンターみたいな事をするんだな。
「そしてある程度その人に関する情報が集まったら、次は単独犯なのか確認するために、並行して関係者の調査も進めるの」
「え、その人を問い詰めてやめさせるだけじゃダメなの?」
「それだけじゃ、唆した人が別の誰かを使うかもしれないでしょう? 実際に手を出した人だけで話を終わらせるのは早いわ」
ほほう。つまり実行犯が複数人いるかもしれないし、そうなるように扇動した人物を本命に据えて調べなきゃいけないワケだ。
「そして大事なのは、扇動した人物の物的証拠を押さえる事と、実際に教唆する場面を目撃する事ね。そうすれば疑いを確証に変える事に繋がるわ」
「でもそれって難しくないか? 特に扇動した人物なんて、尻尾出す訳ないと思うし」
「そこで関係者への調査が大事になってくるのよ。例えば一時期を境に行動が変化した人とか、そういう話をしていた人とか、人物像が明確になる証言が取れれば犯人の特定につながるわ」
「それで、真犯人を見つけたらどうするんだ?」
「そんなの簡単よ。二度と手を出して来ないようにシメれば良いのよ」
なるほどなぁ……ってそんな事俺にできるか!
「まぁあくまでもあたしに限った話だけどね」
「そりゃそうだよ……ってか姉ちゃん、なんでそんなに詳しいの? もしかしてそういう目に遭った事があるとか……?」
「……マンガとかドラマを見てそう解釈しただけよ」
「そっか……そうだよな」
流石にそんなワケないか。
「逆に遼はなんでそんな事聞いて来たのよ」
「えっと……なんとなく気になってさ」
中尾君が何かしらのアクションを起こすかもしれないという話は、まだ疑いの域を出ていない。
それに、姉ちゃんを俺の問題に巻き込んでしまうのも良くない事だと俺は考えている。
「……ま、いいけど」
姉ちゃんは自分の部屋に戻って着替えを持って来たかと思うと、呆れた口調で俺へ言葉を投げかける。
「……遼ってばホント、お人好しね」
「え?」
「その優しさが……いや、それもまた遼の人生よね」
「何を言ってるんだ……?」
「気にしないで。でも、もしまた遼が大変な目に遭いそうになったらその時は……」
「また……?」
「……なんでもないわ。ただの言い間違いよ」
脱衣所に入っていく姉ちゃんの背中を見送りつつ思う。
ひょっとして姉ちゃん……中尾君の件、知ってるのか……?
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気付けば花火大会の前日となった今日、俺は姉ちゃんとリビングのソファに座って、お互いにダラダラと映画を流し見していた。
姉弟揃って何の予定もないし、四六時中会話しているわけではないので、部屋にはテレビから流れてくる作中の人物の声だけが響いていた。
ふとローテーブルの上に置かれた姉ちゃんのマグカップを見ると、飲み物はなくなっており底が見えていた。
「……姉ちゃんコーヒー淹れようか?」
「ん~、おしっこ行きたくなっちゃうからいい」
「一応女子なんだし"おしっこ"とか言わないでよ……」
「遼にしか言わないわよ」
「……それはそれで嫌なんだけど」
俺は姉ちゃん用の、俺と色違いの白いマグカップを手に取って冷蔵庫へと向かう。
「豆乳でいい?」
「遼が用意してくれるなら何でもいいー」
じゃあコーヒーでも良かったのでは?
遼は訝しんだ。
ラテ用に買った豆乳が残ってたし、それでも入れとくか。
俺は冷蔵庫から残り少なくなった豆乳のパックを取り出してマグカップに注いでいると、家のインターホンが鳴る。
「あたしが出るわ」
「ほーい」
そう言ってインターホンの前に行って、誰が来たのか確認する姉ちゃん。
『咲来さーん。お土産持ってきました~』
「朱音ちゃーん、暑い中ありがと~。すぐ玄関開けるわね」
どうやら福岡から帰ってきた朱音のようだ。
本来はもう少し早くこっちに帰ってくる予定だったらしいが、朱音の弟妹が体調を崩してしまい、治るまで滞在期間を延ばしていたのだ。
だが、昨晩通話したときに『二人とも体調戻ったから、明日にはそっちに帰る予定』って聞いてたから、帰ってきて早々うちにお土産を持ってきてくれたようだ。
姉ちゃんが玄関の扉を開けると、紙袋を携えた朱音が現れる。
「お邪魔しまーす」
「いつもありがとうね朱音ちゃん。もしよかったら上がってって」
「それじゃ、お言葉に甘えまして……」
靴を脱いでリビングへと上がってくる朱音を見て、俺は新しいコップを棚から取り出して残った豆乳を全て注ぐ。
「あっ、遼~」
「なんだ?」
「いつも通り明太子と辛子高菜買ってきたから、これ冷蔵庫に入れといてー」
「マジか。毎度毎度ほんとありがとうな」
「いいっていいって。ウチもよくご飯とか食べさせてもらってるし」
朱音からお土産を受け取り、冷蔵庫に入れる。
そして豆乳を注いだコップを渡しつつ言葉を掛ける。
「えーっと……お帰り、朱音」
「うん。ただいま」
「豆乳でも良かったか?」
「遼が用意してくれたのなら、なんでもいーよ」
「姉ちゃんと同じ事言うじゃん……」
朱音は嬉しそうに微笑むと、いつの間にかソファに戻っていた姉ちゃんの元へと歩いて行った。
いつもの日常に戻りつつある光景を目にした俺は、長い夏休みもそろそろ終わるんだなと感慨深く思いながら、お茶請けのひよこ饅頭と豆乳の入った姉ちゃんのマグカップを持って、二人のいるソファへと向かった。
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