第1章 第9話 ひとつまみの量
第1章 第9話
ひとつまみの量
グレッグは、娘の手が思ったより小さいことに気づいた。
毎朝、桶を運び、皿を洗い、客の残したパン屑を片付ける手だ。宿屋の娘としてよく働き、子供扱いされるとすぐ頬を膨らませる。だが藁をひとつまみ取ろうとする指先は、まだ細く小さい。
その横で、ソーマ・アルディスは真剣な顔をしていた。五つの子供らしい顔ではない。だが大人の顔でもなかった。分からないものを前にして、急ぎたい心を無理に押さえ込んでいる顔だった。
《鷹のくちばし亭》の裏口には、湯気、麦粥、濡れた薪、古い油の匂いが重なっていた。数日前までそこに強く混じっていた泥のぬるりとした臭いは、今は少しましになっている。
水の道を作り、沈み場を置き、壁際の溝には白い補修材を薄く塗った。
正直に言えば、グレッグは最初、貴族の坊ちゃんの泥遊びだと思っていた。リナが妙に期待するので見せてやっただけだ。だが、その泥遊びは宿の裏口を少しずつ変えた。少なくとも、鍋を持ったまま足を滑らせる回数は減った。
そして今度は、藁の量を決めるという。
「ひとつまみでは、だめなのか」
グレッグが尋ねると、ソーマは藁の束から目を離さずに答えた。
「人によって違います」
「そりゃそうだ」
「だから、同じ作り方になりません」
ソーマの言い方は硬い。だが言いたいことは分かった。
グレッグのひとつまみと、リナのひとつまみでは量が違う。下働きの少年トマのひとつまみも違うだろう。手の大きさ、力の入れ方、急いでいるかどうか。厨房なら、そうした差を味見と経験で埋められる。塩なら舌で分かり、水なら目で見れば分かる。
だが白い壁材は、塗ったその場では分からない。翌朝になって割れる。
それが厄介だった。
ソーマは木板に短い線を引き、リナの藁をその長さへ合わせて切らせた。そこまでは昨日と同じだ。今日はさらに、小さな匙を三つ並べている。木匙、貝殻、欠けた陶器の小皿。
「どれかを、藁の量を取る道具にします」
「匙で藁を量るのか」
「はい。つまむよりは、同じになりやすいと思います」
ソーマはまず、人の手の違いを見た。リナ、トマ、グレッグに、同じように藁をつまませる。
三人の藁は、並べると笑えるほど違った。リナのものは少なく丁寧だ。トマは多く取りすぎ、長い藁まで混じっている。グレッグのものは、ひとつまみというより一掴みに近かった。
「お父さん、多すぎ」
「手がでかいんだ」
「だから、だめなんだよ」
グレッグは言い返そうとしてやめた。リナが胸に抱えた小さな記録板を見たからだ。短い藁の絵と、二十回混ぜるという印がある。まだ子供の字だが、リナはそれを仕事の証のように大切にしていた。
役割を奪うつもりはなかった。ただ宿は忙しい。リナだけが藁を切り、混ぜるわけにはいかない。下働きにも覚えさせる必要がある。
リナもそのことに不安を感じているらしい。トマが藁に手を伸ばすたび、肩が少し強張る。
ソーマはそれを見ているのか、見ていないのか分からない顔で言った。
「藁係が増えるなら、リナさんが確かめる人になります」
「確かめる人?」
「長さと量を見る人です」
リナの表情が少し変わった。
グレッグは胸の内で小さく唸る。うまいことを言う。いや、本人にそのつもりはないのだろう。ただ必要な役を言っただけだ。だが娘には、それで十分だった。
仮説は単純だ。
手でつまむのではなく、決めた器で取れば作業者による差が減る。さらに、器からはみ出した藁を板でならせば、もっと揃うのではないか。
実験が始まった。
木匙は深すぎた。藁が絡まり、すくうたびに量が変わる。貝殻は浅く、少し傾けるだけでこぼれる。欠けた陶器の小皿は縁が低く、藁を乗せて木片ですっと払うと、比較的同じ量になった。
「これが一番よさそうです」
トマがすぐに陶器の小皿を使って藁を取った。だが、リナが眉を寄せる。
「長いのが混じってる」
量は合っているように見えても、切り損ねた長い藁が数本入っている。板でならしても残る。混ぜれば固まりになるだろう。
失敗だった。
「量だけではだめです。先に長さを揃えないと」
「だから言ったじゃない」
リナは少し強い声で言い、すぐに口を閉じた。トマが気まずそうに手を引く。
グレッグには、娘の中に役を取られたくない不安と、仕事を雑にされたくない怒りがあるのが分かった。幼いが、働く者の顔だった。
ソーマは怒らなかった。
「リナさんの言う通りです」
そう言って木板を差し出す。
「長さを見るのはリナさんにお願いします。トマさんは皿で量を取ってください」
「わたしが見るの?」
「はい。最初に気づいたので」
リナの背筋が少し伸びた。
修正は二段階になった。
まず、藁を木板の線に合わせて切る。長すぎるものはリナが取り除く。次に陶器の小皿へ藁をふんわり乗せ、平たい木片で縁を払う。押し込まない。押し込めば量が増える。
再実験では、リナ、トマ、グレッグの三人が同じ皿を使った。完全に同じにはならない。グレッグがやればどうしても少し多い。だが手でつまんだときほどの差はない。リナが長い藁を取り除くと、見た目のばらつきも減った。
次に、それぞれの藁で壁材を混ぜる。砂と藁を先に混ぜる。白石の練り物を三回に分ける。底から二十回返し、色を見る。リナが数え、トマが混ぜた。
途中でトマが速くやりすぎ、鉢の端に砂が残った。
「底まで返して」
リナが言った。声はまだ少し硬い。けれど、さっきの怒りとは違う。教える声になっていた。
トマは素直に頷き、木片を深く入れ直した。
グレッグは込み上げるものを感じた。娘が自分の仕事を人に渡している。不安そうにしながら、それでも教えている。小さな板を握り、間違いを見つけ、直し方を言う。昨日まで手伝っていた娘が、今日は誰かへ手順を教えている。
誇らしかった。
同時に、少し寂しかった。
子供は、こうして親の手を離れていくのかもしれない。
試験片は三枚作られた。リナの藁、トマの藁、グレッグの藁。どれも同じ陶器皿で量り、同じ手順で混ぜたものだ。塗った直後の見た目は、驚くほど近かった。
「前より揃っています」
「明日にならんと分からんのだろう」
「はい。乾いてから見ます」
その慎重さに、グレッグはもう笑わなかった。
翌朝、三枚の試験片にはどれも細いひびがあったが、大きな差は少なかった。グレッグのものは藁が少し多く、表面が荒い。トマのものは端に砂が少し残った。リナのものが一番きれいだった。
リナは嬉しそうにしたが、すぐ顔を引き締める。
「でも、トマのも前より悪くない」
「はい。道具と手順があれば、誰が作っても近いものができます」
グレッグは裏口を見渡した。壊れ桶。浅い溝。白い補修材。藁の板。欠けた陶器の小皿。どれも粗末だ。だが粗末なものが組み合わさり、宿の裏口を変えている。
そして今、その技術はソーマひとりの手から、リナの手へ、トマの手へ移り始めていた。
グレッグは娘の頭に手を置きかけ、やめた。仕事中に子供扱いすれば怒るだろう。
「藁係の親方だな」
「親方じゃない!」
リナは真っ赤になったが、その声は嫌がっている声ではなかった。
その日の夕方、グレッグは洗い場の先を見た。排水の終点の土場は、やはり黒く湿っている。表面には薄い油膜が浮き、酸っぱい匂いが前より強くなっていた。
裏口はましになった。溝も少し守れるようになった。人の手順も揃い始めた。
けれど水の行く先は、まだ傷んでいる。
「坊ちゃん。次は、あそこだ」
グレッグが呼ぶと、ソーマは黒くなった土場を見て静かに頷いた。
ひとつまみの量は、少し揃った。
だが宿の水は、最後に行き着く場所で別の問題を作っていた。
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