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第2章 第48話 土魔法の普通

第2章 第48話


土魔術の普通


 ロッカの仕事場は、フェルド老師の工房よりずっと音が大きかった。


 石を割る鉄槌の音。荷車の車輪が軋む音。作業員たちが声を合わせ、梁を引く音。


 風に乗る土埃には、乾いた粘土、砕けた石、汗の匂いが混じっている。ソーマは思わず目を細めた。昨日まで机の上で一粒ずつ扱っていた砂が、ここでは足元から壁のように広がっていた。


 同じ土だ。


 けれど、ここでは土は読むだけのものではない。人が歩くために寄せ、荷が通るために固め、形を変えるものだった。


 ナーシャは、昨日の洗い水と乾燥待ちの試料を見守るため、工房に残っている。今日はソーマとユーリだけが、フェルド老師に連れられて作業場を訪れていた。


「お前がフェルド爺さんとこの新入りか」


 声をかけてきたのは、日に焼けた腕をした若い作業員だった。短く刈った茶髪には土埃がつき、腰には短い鉄杭と木槌を下げている。


「ロッカだ。土属性。ここでは溝掘りと地ならしをやってる」


「ソーマ・アルディスです。よろしくお願いします」


「よろしくってほど大層なもんじゃない。土魔術なんて、掘る、寄せる、固める。それでだいたい飯が食える」


 ロッカは、浅い溝の予定線に手をかざした。


 乾いた土がざらりと左右へ寄り、幅のある溝が一息に伸びる。次に、底へ上から力をかけると、踏んでも崩れにくい地面になった。


 早い。


 ソーマは率直にそう思った。


 彼なら、まず土の粒の粗さや湿り気、石の位置を確かめようとする。けれどロッカは、必要なことを短く見て、必要な形へ土を動かす。作業員は待たずに次の工程へ進める。


「すごいですね」


「普通だよ。土属性なら、これくらいできないと現場では使えねえ」


 普通。


 その言葉は、ソーマには少し重く感じた。


 五歳の頃、土属性は地味だと言われた。建築の補助、道を直し、畑の土寄せ。だが、地味であることと簡単であることは違う。ロッカの仕事は、道と建物と、人の一日の速さを支えていた。


 別の場所で、ロッカが崩れた土山を荷車の脇へ寄せる。


 細かな土埃が上がりかけた。


 ユーリは、先に風下を見た。人も、乾かしている材料もない、空いた壁際を確かめてから、作業員の顔へ向かう流れだけを弱める。


 土埃は壁際へ薄く流れ、すぐに地面へ落ちた。


「お、助かる」


 ロッカが片手を上げた。


 ユーリは少し照れたように肩をすくめた。


 ソーマは、その様子を見ながら考えた。


 この世界には、前世のような電気も、機械で一定に回る攪拌具も、温度を数字で示す計器もない。荷は人と馬が運び、石は鉄槌で割り、袋は一つずつ手で縫われる。


 袋の大きさや縫い目には個体差がある。同じだけ入れたつもりでも、詰め方や袋の伸びで実際の量は変わる。細かな粉なら、縫い目からの漏れ方も違う。


 前世の研究室では、器具が条件の一部をそろえてくれた。


 液量は目盛りで読み、重さは秤で確かめる。温度や時間も記録できる。


 この世界では、魔術がその役目の一部を担っている。火属性は熱を加え、水属性は流れを整え、風属性は空気の動きを抑え、土属性は形を作る。


 けれど、魔術は人に宿る。術者の疲れや癖で、同じつもりの操作でも結果は揺れる。


 だからこそ、ソーマには、魔術を使う時にも比べられる道具が必要に思えた。


 透明な筒。一定量の水を量る印。時間を区切る砂時計。


 すぐに精密な道具は作れない。それでも、同じ器に同じ印まで水を入れられるだけで、昨日の水洗いや沈降の記録は少しましになる。


「おい、考え込んでるけど、やってみるか?」


 ロッカの声で、ソーマは我に返った。


「はい」


「この杭から向こうの杭まで、土を寄せて平らにしろ。水を含んだ塊が混じってる。急がなくていいが、荷車が通れるようにしろ」


 難しく考えない。


 それが、まず難しかった。


 ソーマは土へ手をかざす。粒の大きさ、湿り気、下の層、石の混じり方。いつもの癖で、土の中身を一つずつ読もうとした。


 すると、動かす前に情報が増えすぎて、手が止まる。


「何してる?」


「土の状態を見ています」


「見すぎだ。今は荷車を通すんだろ」


 言われて、ソーマは土を寄せようとした。


 だが、読む感覚と動かす力が混ざる。表面の乾いた細土だけが先に滑り、下にある湿った塊が遅れた。寄せた土山は片側だけ高くなり、固めようとすると湿った部分が横へ逃げて、端が崩れた。


「力が散ってる」


 ロッカは容赦なく言った。


「お前、土を細かく感じすぎて、全部を別々に相手してるだろ。現場じゃ、まず大きくつかむ。細かいところは、形を作ってから直せ」


 ソーマは崩れた土山を見下ろした。


 読むことが悪いのではない。今は、読んだものすべてに同時に手を出そうとしているのだ。


 観察の紙束に書く。


 土寄せ、一回目。杭間の作業区画。表層の乾いた細土のみ先行。湿った塊が遅れ、圧縮時に端が崩れる。


 条件の紙束には、こう書いた。


 読み取りを細かくしすぎた。土全体を一塊として扱えず。作業速度低下。


 ロッカは同じ土へ手をかざした。


「湿ってるところがある。端から押せば逃げる。先に上から少し押さえて、逃げ道を減らしてから寄せる」


 土の塊が一度ぐっと沈み、それから横へ動く。


 ロッカは何も見ていないわけではない。必要な分だけ感触を取り、迷わず操作へ移している。


「もう一回」


 ソーマは頷いた。


 今度は、土全体を一つの塊として捉える。粒の違いを追いすぎない。湿った場所があることだけを覚えて、上から軽く押さえ、横へ寄せる。


 まだ遅い。形も粗い。


 だが、さっきより崩れなかった。


「まあ、フェルド爺さんの弟子にしちゃ悪くない」


 ロッカは笑った。


「研究屋みたいだな」


「俺らは形を作る。お前らは理由を探す。どっちも土を触ってるのは同じだ」


 馬鹿にする響きはなかった。


 ソーマは、作った土の盛り上がりを見つめた。


 ロッカの土魔術と自分の土魔術は、別のものではない。


 現場では、必要な形を速く作ることを優先する。自分は、土の違いを見落とさないことを優先している。


 目的が違えば、同じ土属性でも使い方が変わる。


 昼休み、ロッカは布袋から黒麦パンを取り出した。袋の縫い目は少し歪んでいる。ほつれた端を、彼は慣れた手つきで結び直した。


「こういう袋も、全部手で縫うんですね」


「当たり前だろ」


「前にいた場所では、同じ形の袋をたくさん作る仕組みがありました」


「どんな仕組みだよ、それ」


 ソーマは少し言葉を選んだ。


「同じ動きを何度も繰り返す道具です。糸を通して、布を送り、同じ幅で縫う。人はそれを見守って、整えます」


「へえ。そりゃ袋屋が困るな」


「仕事の形が変わるかもしれません」


「怖い話だ」


 ロッカは冗談めかして言ったが、ソーマは黙った。


 便利な道具は、作れればよいだけではない。誰が使い、誰の仕事を変え、何を新しく必要にするのかまで考えなければならない。


 透明な筒一つでも、すぐに町を変えるものではない。


 けれど、液量をそろえられれば、染物屋や薬師、酒造りの仕事が少し変わるかもしれない。


 午後、ロッカは採石場の端へ案内してくれた。


 崖を切った場所には、層の違う土が横縞になって見える。上は乾いた赤土。中ほどは灰色の粘土。その下には砂利混じりの硬い層があった。


「ここを少し広げる。崩れやすいから、勝手に触るなよ」


 ソーマは頷き、崖の表面から離れた位置で土魔術を薄く伸ばした。


 灰色の粘土層の下端に、水を含み、まとまりが弱いところがある。見た目だけでは分かりにくい。けれど、土魔術で返ってくる抵抗が周囲より弱く、粒が締まっていないように感じた。


「ロッカさん」


「あ?」


「灰色の層の下に、少し柔らかい場所があります。確実ではありませんが、上だけ削ると、その下が崩れるかもしれません」


 ロッカの表情が変わった。


「どのあたりだ」


 ソーマは崖へ近づかず、指で位置を示す。


 ロッカは鉄杭を取り、そこへ慎重に差し込んだ。杭は途中から抵抗が弱くなり、抜くと先に湿った灰色土が付いていた。


「……水を含んでるな」


 ロッカは少し黙り、それからソーマを見た。


「気味悪いくらい分かるな。悪い意味じゃない」


 ソーマは、謝りかけて口を閉じた。


「便利だ。でも、これを何でもかんでもやってたら、確かに日が暮れる」


 ロッカは削る場所を半歩ずらした。先に支えになる部分を残し、湿った層へ水がたまらないよう、細い逃げ道を作ってから土を動かす。


「読む魔術も、使い所がある」


 ソーマはその言葉を記録した。


 読む土魔術。崩れやすい層の確認。鉄杭で湿りを確認。現場での使用は、危険が疑われる場所に限る。


 普通の土魔術が形を作り、読む土魔術が危うい場所を見つける。


 組み合わせれば、作業を遅らせずに、事故を減らせるかもしれない。


 帰り道、ユーリが言った。


「ロッカ、あれで結構認めてたぞ」


「そうかな」


「気味悪いって言う前に、悪い意味じゃないって付けた。あれは褒めてる」


「分かりにくい」


「現場の人間は、そんなもんだ」


 ソーマは少し笑った。


 宿へ戻る前にフェルド老師の工房へ寄ると、老師は今日の記録をざっと読んだ。


「普通の土魔術は見たか」


「はい。速くて、実用的でした。僕も、目的によって使い方を変えないといけません」


「違うから学ぶ価値がある」


 フェルド老師は、机の隅の小さな透明管を指した。気泡が残り、太さも完全にはそろっていない、粗いガラス管だった。


「測る道具が欲しいなら、まず筒からだ」


「作れるんですか」


「精密なものは難しい。だが、この程度ならラウゼンでも作れる。まずは同じ筒を使い、同じ印まで水を入れる。正しい体積を測る道具ではなく、同じ量を繰り返し使うための器だ」


 ソーマは、透明な管を見つめた。


「目盛りは、その後ですか」


「ああ。基準になる量を決め、印を刻む。筒の太さが不ぞろいなら、その誤差も知る。測る道具は、作った瞬間に正しくなるわけではない」


 それでも、道具作りの入口は見えた。


 同じ量の水。同じ時間。同じ器。


 魔術の強さや術者の癖を消すことはできない。だが、ほかの条件をそろえれば、何が違ったのかを探しやすくなる。


 ソーマは今日の最後に、こう書いた。


 測る道具は、魔術の代わりではない。魔術と材料の違いを比べるための、共通の足場になる。


 インクが乾くまで、ソーマは待った。


 窓の外では、ラウゼンの職人街がまだ音を立てている。手で縫われた袋、手で引かれる荷車、手でならされる土。


 そこに、土を読む魔術と、同じ量を繰り返すための小さな道具が、少しずつ加わっていく。


 世界は、まだ測りきれない。


 だからこそ、比べられるところから始められる。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

面白いと思っていただけたら、ブックマークや☆☆☆☆☆評価をいただけると次回更新の励みになります。

感想も一つ一つ楽しく読ませていただいています。

また次話でお会いしましょう!

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