第1章 第28話 できないこと
第1章 第28話
できないこと
器に向くかもしれない粘土を見つけても、良い皿はすぐにはできなかった。
白い崖下の崩土から採った灰白色の粘り土は、指に吸いつくようになめらかで、細くのばしてもすぐには切れなかった。薄板にして乾かすと、大きなひびは少なく、反りも以前より小さい。
だが、それだけでは器に向くと決められない。
乾燥の仕方。厚み。火の強弱。窯の中の置き場所。
皿になるまでには、まだ多くの条件が残っていた。
最初の採取以来、ソーマは白い崖へ何度か通った。もちろん、ひとりでは行かない。白石を採る職人が示した崩土の範囲で、オルグか従者の見ている前で、少量を採る。
斜面をえぐらない。雨の翌日には近づかない。白い石の筋や粉の多い場所は避ける。採った場所に穴を残さない。
それを守って、少しずつ土を集めた。
十歳の夏が近づくころには、同じ崩土の範囲から採った粘り土が、布包み一つ分になっていた。
ソーマは、その土をまとめてほぐした。根と石を取り除き、同じ器へ水を加え、布をかぶせて一晩置く。翌朝、木べらで何度も練り、赤い粒や砂の偏りが一か所に寄らないようにする。
土魔術は、ごく弱く使った。
皿の形を無理に整えるためではない。硬い塊や粗い粒、水のなじんでいない場所を探すためだ。
それでも、完全にはそろわない。
赤い粒の多いところもある。水を含みやすいところもある。土魔術で感じ取れるのは、偏りのすべてではなかった。
まず、ソーマは新しい粘り土二杯に、灰色の砂多め土一杯を混ぜた。以前から基準にしてきた配合である。
小皿を四枚作った。
同じ丸い木板を目安に直径をそろえ、木枠で厚みを確かめる。作り終えた時刻を木札に書き、四枚を湿らせた布の箱へ入れる。最後の一枚ができてから、同じ板の上に並べ、日陰の棚でゆっくり乾かした。
六日後、余った同じ配合の厚い試験片を一つ割った。断面に濃い湿りは残っていない。残り三枚の小皿も、色と重さの変化が二日続けて小さかった。
それでも、焼けば割れるかもしれない。
オルグの窯の端で焼いた結果は、三枚とも違っていた。
一枚は、火の当たりが強かった側の縁が片方だけ下がった。
一枚は、底にひびが入った。断面には黒っぽい部分が残っている。
もう一枚は形を保ったが、火が十分に通らなかったらしく、表面を爪でこすると粉が少しついた。
同じ土、同じ大きさ、同じように乾かしたつもりだった。
けれど、同じつもりだっただけだ。
粘土の中には赤い粒の偏りが残っていたかもしれない。皿の厚みも、完全には同じでない。乾燥棚の位置も、窯の中の場所も違う。
底のひびが残水のためなのか、火の回り方のためなのか、黒い部分が空気の少なさによるものなのか、ソーマにはまだ決められなかった。
観察。
小皿の底に木札を並べる。
一、火口寄り。縁が片側へ下がる。
二、奥側。底にひび。黒い部分あり。
三、外側。火が十分に通らず、表面がもろい。
書けば書くほど、胸の中に重いものが溜まった。
器に向くかもしれない粘土を見つけた。それでも、同じように器へ変えることができない。
昼前、オルグが庭へ来た。
小皿を見た彼は、鼻を鳴らした。
「窯の中の地図が要るな」
「地図ですか」
「どこに置いたら、どう火が回るかだ。皿だけ見てても分からん。火の道を見ろ」
火の道。
水の道なら、宿屋の裏口で何度も描いた。どこから流れ、どこに溜まり、どこで詰まるか。
火にも、通り道があるのかもしれない。熱が入りやすい場所。風が抜ける場所。灰が溜まる場所。冷えやすい場所。
ソーマは木板に、窯の簡単な絵を描いた。窯口、奥、火床、灰の流れ。前回の小皿を置いた位置も書き込む。
正確な地図ではない。窯の温度を量る道具もない。ただ、見た範囲を残すだけだ。
「次は、皿ではなく小さな板を使います」
「なぜだ」
「形を簡単にして、火の違いだけを見やすくします」
オルグはうなずいた。
「粘土は同じものを使います」
「本当に同じか?」
その問いに、ソーマは言葉を止めた。
同じ崩土の範囲から採った土でも、採った日が違えば湿りが違う。赤い粒の多いところと少ないところもある。
「同じだと、言い切れません」
「なら、そこからそろえろ」
修正。
ソーマは残った粘り土を、同じ桶の中でまとめて練った。水を含ませる時間をそろえ、砂分の多い灰色土も一度に混ぜる。そこから同じ量ずつ切り分ければ、完全ではなくても、前より近い試料になる。
水にほぐした土から細かな粒を分けるための大きな桶も、細かなふるいもない。
だから、できる範囲でばらつきを減らす。
水を加えすぎれば柔らかくなり、乾燥で縮みやすい。足りなければ、内部に硬い塊が残る。
ソーマは土を木板へ広げ、折りたたみ、また広げた。土魔術で、硬い塊や水のなじまない部分への抵抗を確かめる。抵抗が強い部分は、皿の形にしてから直さない。板の段階で切り開き、少し水を含ませてから練り直す。
それでも、何度目かに塊を割ると、中央には粉っぽい筋が残っていた。
「また残った」
悔しさはあったが、手は止めなかった。
粉っぽい筋を取り出し、水を少し含ませ、半刻置く。急いで練らない。以前、白い細粒を含む土で覚えたことだった。
半刻後、硬い筋は少し柔らかくなっていた。全体へ戻し、木板で押し広げ、折りたたむ。十回。二十回。三十回。
ようやく、前より均一な塊になった。
ソーマは、同じ厚みの小さな試験板を九枚作った。
指二本ほどの長さで、木枠と木片を使って厚みをそろえる。八枚は焼成用。残る一枚は、乾燥確認のために割る予備だった。
番号を振る。
一から九。
九枚を同じ板に並べ、日陰の同じ棚で乾かした。薄い布をかけ、風が片側だけに当たらないようにする。
棚の外側と内側では、乾き方に少し差が出た。ソーマはその位置も木札へ書いた。
四日後、九枚目を割った。
断面の色は、表面とほとんど変わらない。濃い湿りも残っていなかった。
ようやく、八枚を焼く。
リナが棚を覗き込んだ。
「今日は皿じゃないんだ」
「火の場所を見るための板です」
「板で分かるの?」
「皿より、原因を少なくできます」
リナは少し考えた。
「形を簡単にして、火だけ見る?」
「はい。そうしたいです」
「前より、実験っぽいね」
ソーマは少し笑った。
「前から実験のつもりでした」
「でも、前は泥と皿が頑張ってる感じだった。今は、ソーマが火を困らせようとしてる感じ」
不思議な言い方だった。
だが、少し分かる気もした。
火は見えない。温度も分からない。ならば、同じような板をあちこちに置き、火の違いを板に答えさせるしかない。
焼成の日、オルグの窯の端に八枚の試験板を置いた。
板はすべて、同じ高さになるよう古陶片の上へ置く。向きもそろえ、板同士の間隔も指二本分にした。
窯口近くに二枚。窯の奥に二枚。火床へ近い場所に二枚。外側の冷えやすい場所に二枚。
木札と地図に、番号、位置、高さ、向きを書く。
観察。
火の入り方は一定ではない。薪が燃えるたび炎が寄り、風で煙が流れ、灰が舞う。窯口近くは熱が入りやすいが、外気にも触れる。奥は熱がこもるが、灰のかかり方で変わる。火床近くは強い。外側は弱い。
仮説を立てよう。
火床近くは火が通りやすいが、反りや割れが出やすい。外側は火が足りない。窯口近くは温度の変化が大きい。奥は、今回の窯では比較的落ち着くかもしれない。
結果は、予想より乱れた。
冷めてから取り出すと、火床近くの二枚は赤く焼けたが、一枚は端が反っていた。
窯口近くの一枚は細かいひびが入り、もう一枚は大きくは割れずに残った。
奥の二枚は色が近い。だが、片方には黒っぽい部分が残っている。
外側の二枚は、火が十分に通らず、爪でこすると粉がついた。
同じ粘土から作り、同じ形に近づけた板。同じ日に焼いた板。
それでも違う。
ただ、違い方は前より読めた。
外側では火が足りない。
火床近くは強すぎる。
窯口は変化が大きい。
奥は二枚の結果が比較的近い。ただし、黒っぽい部分が残った以上、安定しているとはまだ言えない。
完全な答えではない。
だが、前より地図らしい。
ソーマは板を並べ、木札に書き込んだ。
火床近く。火は通る。反りあり。
外側。火が足りない。
奥。二枚の色は近い。黒い部分あり。
窯口。不安定。ひびあり。
オルグは記録を見て、低く言った。
「これで、次は皿をどこに置く」
「奥です。ただし、黒い部分が残らない位置を、もう少し確かめます」
「なぜ火床寄りではない」
「火は通りましたが、板が反りました。皿には強すぎるかもしれません」
「比較的、ということだな」
「はい。絶対ではありません」
その答えに、オルグはわずかにうなずいた。
「少しは仕事の言い方になった」
ソーマは胸の奥に小さな喜びを感じた。
だが、同時に限界も見えていた。
焼成温度は分からない。
火の色を見ても、正確な温度にはならない。薪の種類も毎回違う。風も違う。窯の中の置き場所も完全には再現できない。粘土もそろえきれない。皿の形も同じにならない。
できないことが、多すぎる。
帰り道、ソーマは八枚の試験板を持っていた。
成果はある。火の地図は前より詳しくなった。
だが、それで同じ皿が作れるわけではない。
屋敷に戻ると、ダリオが書斎で待っていた。
「うまくいったか」
ソーマは少し考えた。
「前より、分かりました」
「それは、うまくいったということか」
「半分は」
ダリオは続きを待った。
「火の場所による違いは少し見えました。でも、同じ結果を出す方法はまだ分かりません。粘土も、皿の形も、乾燥も、窯も、全部少しずつ違います」
「できないことが見えたのだな」
「はい」
その言葉は、思ったより苦かった。
できるようになった先に、できないことが増える。
粘土を見つけられるようになった。だから、粘土のばらつきが見える。土魔術が上達した。だから、制御できない厚みや湿りが見える。焼けた。だから、窯の不安定さが見える。
ダリオは静かに言った。
「見えない限界より、見えた限界の方がよい」
ソーマは顔を上げた。
「そうでしょうか」
「見えなければ、越え方も探せない」
父の言葉は慰めではなかった。事実として言っていた。
その夜、ソーマは記録紙に書いた。
器に向くかもしれない粘土を見つけても、良い器にはならない。
粘土のばらつき。乾燥のばらつき。形のばらつき。窯位置のばらつき。
火の地図が必要。
温度が分からない。
同じ結果が出ない。
最後に、少し迷ってから書き足した。
再現性がない。
同じ条件をそろえ、同じ結果をもう一度出すこと。
前世では当たり前のように使っていた言葉だ。だがこの世界では、それを支える道具も手順もまだ足りない。
記録紙は増えた。木札も増えた。焼けた板も、割れた板も、机の端へ積み上がっていく。
それらを、どう並べれば次の答えになるのか。
ソーマには、まだ分からなかった。
できないことは、土や火の中だけではない。
自分の記録の中にも、迷路のように積もり始めていた。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
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感想も一つ一つ楽しく読ませていただいています。
また次話でお会いしましょう!




