4話:公爵令嬢リリアージュ・ローゼンラーク
公爵令嬢、リリアージュ・ローゼンラーク。彼女には、この世界とは別の記憶があった。
*
ゴミの散乱する狭いアパートの一室。莉愛は、母親と2人で暮らしていた。
外が暗くなると部屋に男性が来る。莉愛はその時間が、嫌いだった。
「元気にしてたか? お、また大きくなったか」
(今日はママがすきなひとの日だ……!)
男性が私を抱き上げる。この人の機嫌を損ねてしまったら、その後のママが怖い。私は、チラリと台所に立つママの横顔を伺った。……大丈夫、まだ笑っている。
「莉愛はいつもニコニコしてて可愛いなあ」
私は口角を上げ、目を細めて笑う。この顔をすれば、大人の機嫌が良くなることを知っていた。
カチャン、とキッチンからの物音が険しくなった。ママの機嫌が翳り始めている。
(なにか、この人の意識をママに向けないと……!)
「ママのグラタン食べたいな! りあ、ママのグラタン大好き!!」
以前、ママが作ったと言い張った「惣菜のグラタン」を、うっかり「買ってきたやつだ」と言ってしまった時は、数日間食事を抜かれた。喉の奥が震えるのを抑え、必死にママの顔を見つめる
「今日は雅也さんが来るから、頑張って作ったのよ」
振り向いたママの顔には、とびきりの笑顔が浮かんでいた。
(よかった、”間違い”じゃなかった)
「雅也さん」がいる時のママは、特に優しい。でも、彼が私ばかり構うのは嫌だった。
私ばかりが可愛がられればママが怖くなるし、かといって彼を無視すればすぐに帰ってしまい、後でもっと怒られる。
「ダメな子」「いらない子」「産まなきゃよかった」そんな言葉が刃のように降り注ぐ時間は、何よりも嫌だった。
(りあじゃなくて、ママとお話ししてほしいな……)
それが莉愛の切実な願いだった。
*
ある日、彼が家に来て、そのままママを連れて出かけようとした。
「ごはん、たべないの?」
玄関で尋ねると、彼は見たこともない冷たい目で私を見下ろし、一言も発さずに扉を開けた。ママも、一度もこちらを振り返らなかった。
*
次の日の夜、ボロボロになったママが一人で帰ってきた。
「おかえりなさい」
返事はない。ママは乱雑にキャリーケースへ荷物を詰め始めた。
「おでかけするの?」
服の裾を掴んだ手を、乱暴に払われる。なんだか、今この手を離したら、二度と繋げない気がした。
「まって! りあも行く!」
「……」
「やだ!おいていかないで!」
必死にママの足にしがみつく。
「離して」
「やだ!!」
心まで凍りつくような冷たい声。それでも、私はさらに強くしがみついた。――その時。
「離してって言ってるでしょ!!なんでいつも思い通りにならないの!?」
ガツン、と硬い衝撃。
ヒールで蹴られた。痛みと驚きで手が緩んだ隙に、私の体は宙を舞い、床に叩きつけられた。
「あんたのせいで、私の人生失敗よ!ホントに、産まなきゃ良かった!!」
バタン! ガチャリ。
鍵の閉まる音が、部屋に響いた。
(ママ…………?)
蹴られたのは初めてだった。ジンジンと拍動する頭を、震える手で押さえながら、私は閉じられた扉を呆然と見つめることしかできなかった。
外が明るくなって、暗くなって――それを何度繰り返しても、ママは帰ってこなかった。
(ごめんなさい。いい子じゃなくて、ごめんなさい。いらない子で、ごめんなさい……もうわがまま言わないから、かえってきて……)
莉愛の記憶は、そこで途絶えた。
*
「リリア! リリア!!」
目を開けると、心配そうに覗き込む豪華な身なりの男女がいた。
「奇跡だ……」
眼鏡をかけた医師が驚いている。彼によると、どうやら私は一度死にかけたところから復活したらしい。
それからは、夢のような日々だった。温かい食事、清潔な部屋、そして私を愛してくれる両親に兄。
半年を過ぎた頃、私はようやくこれが夢ではないのだと気づき始めた。
*
「聖女様! どうか、娘を助けてください!」
ある日の外出中、馬車の前に女性が飛び込んできた。腕の中には、私と同じくらいの女の子。
「リリア、できるか?」
父の問いに、私は頷く。なぜかやり方は分かる気がした。
女の子の額に手を当て、体内のどす黒い蛇のような塊を引き抜く。ズキズキと頭を刺すような痛み。それは、夢というにはあまりにもリアルだった。
すべてを抜き去ると、女の子がパチリと目を開けた。わあっと群衆から歓声が上がる。
「聖女様! ありがとうございます!」
「もう、大丈夫ですよ」
倒れそうな体に鞭を打ち、完璧な笑顔を作る。
(……ああ、そうか。だからみんな私に優しいんだ)
私が「聖女」で、必要な人間だから。
もう、いらない子じゃないから。
幸せの条件を知ってしまった彼女の中に、「聖女」への執着が芽生えた。
*
やがて、婚約者である第ニ王子・アレンと対面した。
「こんにちは。体調はいかがですか?」
絵本から抜け出したような王子様に、私の鼓動は激しく跳ねた。
(この人が将来の旦那様……?がっかりされないように、もっと完璧な「聖女」にならなきゃ……!)
勉学、マナー、音楽。
「やっぱりいらなかった」なんて、もう言われたくない。死に物狂いで全てをこなした。
*
転機は14歳の時。突如「聖女召喚の儀」が執り行われることになった。
信託が下りたというその儀式の最中、私は密かに祈っていた。
(お願い……誰も来ないで。転移なんてしないで……)
異世界からそのままの姿で現れる「転移」は、私のような「転生」よりも力が強い。もし私より優れた聖女が来れば、私はまた捨てられてしまう。
召喚の儀が終わり、転移の場合は人が現れるという魔法陣には、誰も現れなかった。
(転生だ……!)
安堵したのも束の間、私は強烈な「聖魔法の気配」を感じ取った。
(……っ!? なに、この強大な力は……!?)
間違いなく、自分を遥かに凌駕する聖女がこの国のどこかに生まれた。
周囲を見渡しても、誰もこの異常なまでの魔力に気づいていない。
(私しか、気づいていない……?)
もしこの子の存在が知られれば、聖女としての私の地位も、王子の婚約者という立場も、すべて奪われるかもしれない。せっかく手に入れた、この温かい居場所をまだ失いたくない。
(ごめんなさい。……少しだけ、隠させて)
リリアージュは、生まれたばかりで隠し方も知らないその強大な気配に、隠蔽の魔法をそっと上書きした。
また″いらない子″にならないように……
「雅也さん」は名家の御曹司ですが、子供ができにくい体質で、跡取り問題に悩んでいました。
そんな中、何年か前に囲っていた莉亜の母が、自分の子を産んでいたと聞き、彼女の元を訪れるようになります。
物分かりのいい莉亜を彼も気に入り、頃合いを見て娘だけ引き取ろうと考えていました。
しかし、遺伝子検査の結果、自分の子ではなかったことが発覚。自分の秘密に付け込み嘘を付いた莉亜の母親に、口止めも兼ねてお灸を据えました。
莉亜を使って雅也さんに取り入ろうとしていた莉亜母の目論見は外れ、使用価値のない子供はお金と時間ががかかるだけで邪魔なので、捨てることにしました。
彼女はこの後逮捕されています。




