第1話-①
翌朝、俺は浅い眠りから目を覚ました。
病室の窓から差し込む朝日が、やけに眩しい。
寝返りをうって、その光に背を向ける。
「……夢じゃ、なかったんだよな」
今でも信じられねえ。
昨夜の、屋上で出会った“あの人”のことだ。
あの人は、俺を置いてそのまま走り去ってしまった。
俺はなにもできずに、そこから動けなかった。
月明かりに照らされた、長くてさらさらな金髪。あれは……。
「綺麗……だったな」
思わず口に出てしまう。思い出すとなんかこうドキドキしちまう。
――でも、それ以上に引っかかるのは……なんで泣きながら笑ってたんだってことだ。
俺は手のひらを見る。
あの時強く握りしめたせいで、手のひらにアザができていた。
「……もう一度、会えねえかな」
またしても口走ってしまう。
でもどうやってだ? 大学病院ってだけあってめちゃくちゃ広いんだぞ。
たった一人を見つけるなんて――
「ふむ、どちらさんにだね?」
「えっ? あぁ、昨日の夜に屋上で出会った綺麗な人……」
「へぇ~、そうかそうか。綺麗な美人さんねぇ」
――ん? ちょっと待て。俺は誰と話してるんだ?
この病室には、俺しかいなかったはず。
それに俺は美人なんて一言も……
俺は、声がした方へ顔を向ける。
「やぁ」
そこには、ベッドのてすりの陰から、ひょこっと顔を覗かせている謎のお姉さんがいた。
「おわっ!? だっ、誰だアンタ!?」
ビクッと肩を震わせて後ずさる。
なんか自然に話しちまってたけど、なんだこの人?!
「アンタとは失礼なのだね……よいしょっと」
その人は立ち上がり、髪をバサッとかき上げる。
そして胸の前に右手を構えてポーズを取り、えっへんと言わんばかりのドヤ顔をした。
「お姉さんは、黄崎アリア。入院生活なんと5年以上の、大ベテランなお姉さんなのだよ」
その人は白い患者衣を身にまとっていて、金色の長い髪がさらりと揺れた。
「……えーっと」
頭が追いつかなかった。なんというかツッコミどころが多すぎる。
ってか、入院にベテランとかあるのか?
「んーっ、どうしたのだい? そんなに見つめられたら恥ずかしいのだよっ?」
そう言うとお姉さんは、子供みたいに首をかしげる。
……にしても不思議だ。このお姉さんの姿は、昨日の屋上で出会ったあの人にどこか似ていたんだ。
俺は目をこすり、もう一度お姉さんに目をやる。
背丈といい、金色の長髪といい、俺が出会ったあの人と妙に重なって見えた。
見えた……んだけど。
「……なんかアホっぽいな」
「アホぉ!?」
しまった、口が滑った。
「なんなのだね君!? お姉さんにアホって!」
「いやだってなんか……ねえ?」
雰囲気は重なってる……のに、それ以外がまるで違う。
涙を流しながら微笑んでいたあの人と、この能天気そうなお姉さんが一緒なわけはないだろう。
「全くひどいのだねっ。せっかく相部屋でこーんな美人なお姉さんが一緒だというのに!」
今度は、よよよと膝からくずれ落ち、顔を覆った。
感情表現が忙しすぎるだろこの人……。
いやまぁ目鼻立ちがはっきりしてて、さらさらな金髪に目を奪われるのもわかる。
それに、緑色のキラッとした瞳は吸い込まれそうなぐらい綺麗だ。
でも……自分で美人って言うか?
「……って、俺の相部屋の人だったのかよ!」
「そうなのだよ! 嬉しいだろう! こーんな美人の……」
「いや全く」
「食い気味なのだねぇ!?」
お次はパッと立ち上がって、腕をぶんぶん振り回す。
そういや相部屋が誰なのか気にはしていたが、まさかこんな人だとは。
……とはいえ、そういうことなら。
「挨拶が遅れました。俺は、赤井タイヨウ。交通事故で入院した高校生だ。しばらく厄介になります」
俺はベッドの上で正座し、頭を下げる。礼儀は大切だ。
「おおう、急に真面目君みたいなのだね。こちらこそよろしくっ」
お姉さんもペコっと頭を下げた。さっきまでのおふざけがなかったので少し驚く。
「とにかく! お姉さんが一緒なのだから退屈はしないのだよ! お姉さんのことはお姉さんって呼んでくれたまえ!」
「あっ……はい」
と思ったがこの調子だ。
さっきから「お姉さん」がゲシュタルト崩壊しそうになる。
――と頭を抱えそうになったが、一つ気になることがあった。
「そういやお姉さんは、昨日はどこいってたんだ?」
少なくとも昨晩、この部屋にお姉さんはいなかった。
この人の雰囲気もあって、安直に考えるならもしかしてと思っていたが――
「……昨日は、別のお部屋で投薬中だったのだよ。ちょっと……大変でねっ」
お姉さんは、眉をひそめて目をそらした。
しまった。入院中なんだから、そういう日だってあるだろう。
「そっ、そうだったのか……悪い、余計なこと聞いちまった」
「……ふふっ、大丈夫なのだよ。意外と優しいんだね、君は」
お姉さんは俺の頭を撫でてくる。小さくて温かい手が、なんだかくすぐったい。
「お姉さんぐらいのベテランになると、やることが多くてね。特に昨日は……うん」
するとお姉さんは、両手で顔を覆ってしまう。
病気のことを、そんなに軽く触れていいわけがなかった。
「ごっ、ごめんお姉さん! 俺その……」
「タイヨウ君……」
慌てふためく俺に、お姉さんは両手を俺の顔に持ってきて――
「まあ、嘘なのだがねっ」
イタズラな笑みを浮かべ、人差し指で俺の頬をぷにっと触れてきた。
「嘘かよ!」
一瞬で心配が吹き飛んだ。
「だってお姉さんの病気は、手術したらちょちょいのちょいなのだよ。そんな大げさなものじゃないんだなっ、ひひっ」
ニヤニヤしながらお姉さんは俺の顔を覗き込む。
このぉ、適当なこと言いやがって!
なーにがちょちょいのちょいだ。俺は嘘が一番嫌いなんだ!
言い返さねえと気が済まん!
「アンタなぁ……ぅっ?!」
と思ったのだが――
「ん~っ?」
「っ……!」
いつの間にかお姉さんの顔が近い。
距離が近すぎて、心臓がドキドキしやがる。
やめろ!ほっぺをぷにぷにするな!
「う、嘘はよくねぇっすよ……?心配しちまうから……さ……」
顔をカーッと真っ赤にして、目をそらしてしまう。
女の人は慣れてねぇんだよ、俺は!
「……うん」
静かに視線を落とし、頬からお姉さんの指が離れる。
「あっ、えっ?」
なんだよその表情。さっきまでのノリとは全然違うじゃねえか。
なんて言ったらいいかわかんねえけど、見ちゃいけないものを見ちまった。そんな感覚だ。
もしかして、なにか気に障っちまって――
「もぉー、優しすぎる~! そんなに心配してくれるなんて照れちゃうのだよ~!」
今度は両手で、俺のほっぺをむにむにし始めた。
前言撤回。この人、完全に俺をからかって遊んでるだけだ。
というか距離感バグってないか!?
こんなにベタベタしてきやがって……!
「だーもう! いい加減に……!」
俺はお姉さんの両腕を掴み、ほっぺから強引に引き離す。
そもそもこの人に聞きたいことがあるんだ。
入院歴が長いのが本当なのだとしたら、お姉さんは屋上のあの人を知ってるかもしれない。
だから手がかりを……と思ったとその時。
ぐらっ。
「しまっ……」
勢いよくお姉さんの腕を掴んだのはいいが、事故の怪我でまだ思うように力が入らねえ。
このままじゃ、倒れる……!
「おやっ」
「あっ」
俺とお姉さんはもつれるようにベッドへ倒れ込み、マットレスが大きく沈み込んだ。
目の前には、お姉さんが目を丸くしている。
ちょっとまて、俺が押し倒してるみたいじゃねえか……?
しかもこっちは……お姉さんのベッドだ。
「あっ、ごめっ、これはその!」
まずいまずい、なにしてんだ俺!
早くどかねえと――
「……ねーえ、タイヨウ君。そういえば誰かとまた会いたいって言ってたのだね?」
「えっ、あっ、えっ?」
なんで今その話を持ち出すんだ。どう考えたってそれどころじゃないだろ!
俺はなんとかお姉さんに目を合わせまいと、視線を泳がせる。
「こーら、ちゃんとこっちを見るのだよ」
お姉さんは両手で俺の顔に触れる。
まるでお姉さん以外を見るなと言っているようだ。
やめてくれ!なにがしたいんだこの人は!
っていうかお姉さんのベッドから、くらっとするような甘い匂いがして、心臓がバクバクして……。
なんか、これ以上はダメになりそうだ……!!
「ねぇ、その誰かさんとお姉さん。どっちが綺麗だと思うのだね?」
「ぁ……そっ……」
この状況でなんてことを聞いてくるんだ、この人は!
まともに考えらんねえよ!この状況で!!
「迷うってことは、このお姉さんにメロメロなのだね~? こーんな美人を押し倒しちゃうくらいなんだから……」
「屋上のあの人ですね、はい」
「……んっ??」
お姉さんの言葉で、頭からすぅーっと熱が引いていく。
この人はこういうノリでからかってくる人だったな。危ない危ない。
このままお姉さんのペースに飲まれるところだった。
「屋上のあの人は、夜風に舞う髪がとても綺麗だったんだ」
「……ふ~んっ」
「息が止まるくらい、見惚れちゃって」
「……ふ〜〜んっ」
「でも俺、あの人に聞きたいことあって……」
「……ふ~〜〜んっ!」
「もしかして、お姉さんの知り合い……」
「……」
……あれ?返事がない。
その代わり、お姉さんはぷくーっと頬を膨らませていた。
まるで子供みたいに。
「あのー、お姉さん?」
「そーですか、そーですか。そんなにその人が綺麗でした、かっ!」
「うおっ!」
お姉さんは言い終えるなり、俺をどーんと突き飛ばす。
いきなりでよろめいたけど、なんとか尻もちをつかずに済んだ。
「いってぇ~!急になにを……!」
「そーんなに気になるなら、教えてあげよっか。その人のこと」
「なっ! ほんとか!?」
「入院歴5年以上を舐めないでほしいのだね。お姉さんはなんでも知っているのだよ」
ふふーんとドヤ顔をするお姉さん。なんでも知っているかはわからねえけど、説得力はあった。
これであの人の手がかりが……。
「ただーし!」
小さい手が、ピシッと俺を指さす。
「タダで教えるのもつまらないし、ここで一つお姉さんと勝負をしないかい?」
お姉さんはベッドの上で足を組んで、頬杖をつく。
「しょ、勝負??」
唐突な提案に、ぽかんとしてしまう。
「そんな勝負してどうするんだ? 教えてくれるならそれなりのお礼は……」
「ふんだ、そんなものはいらないのだよ。勝負しないのならこの話はなかったことにするのだね」
お姉さんは目をぎゅっとして、ぷいっと横を向いてしまう。なんでそんな不機嫌になるんだ。
……けど、ここで手がかりを逃すわけにはいかねえな。
「わかったわかった! どんな勝負でも受けてやる!」
「ふふん、乗り気になったね。これでまたお暇が潰せるのだね」
お姉さんは目を細めて微笑んだ。
「ちょっとまて。今聞き捨てならねぇの聞こえたぞ」
「なら、うーん勝負の内容はだね……」
「……聞いちゃいねえよこの人」
完全にお姉さんのペースだ。
はぁ、もうなんでもやってやるよ!
そう意気込んでいたら、お姉さんはポンと手を叩き「よしっ!」と言わんばかりの笑顔を俺に向けてこう言った。
「タイヨウ君、なんでもいいからお姉さんを喜ばせておくれ。それができたら答えてしんぜよう!!」
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