第41章―過去までの距離その16―
「俺と別れたいか?」
志生が言う。・・・私たちはあのままお互い何も語らずにベッドへなだれ込んだ。志生の勢いの波に私はあえて抗わなかった。そして大きな波が去った後、彼が私の髪を撫でながら言ったのがそれだった。
「・・・・・。」
私は答えなかった。どう言えばいいのか、この場になっても見えない。
「どうして何も言わないんだ?・・まだ怒ってるのか?だから携帯変えたんだろ?」
「・・・・・。」
「俺と口きくのも嫌か?」
ブルブルと首を振る。そうじゃないという風に。ただ、一言出てしまえば色んなことが止めどなく出てきてしまいそうで怖い。
「何か言ってくれ。俺は君に受け入れてもらえてるのか?」
「・・こうして寝ているじゃない。」
上手く返事が出来ない。志生が欲しがっている言葉がわかっていても、今までのように言えない。
「・・あの、富田さんのことだけど。」
「それはもういいの。」
「!?」
言ってしまって”やば。”と思う。
「もういいって?どういうこと?」
私はベッドから出て下着をつけた。志生の顔を見ないようにして。
「この前”終わった”って言ってたじゃない。ちゃんと話がついたってことでしょ?」
ベッドで志生が腑に落ちない顔でいるのがわかる。
「そうだけど・・。」
「ならもういい。聞きたくない。」
「聞きたくないって・・。だってそれで俺を拒否したんだろう?携帯まで変えて。納得できなかったんだろう?」
「・・・。」
どう言えばいいのかわからない。確かに彼女のことで志生に対して全くわだかまりがないと言ったら嘘になる。でも志生を信じる気持ちの方が、いや、志生を信じたい気持ちの方がそれを上回っていた。それよりも自分の背負ってる十字架の方がはるかに重いのだ。
「携帯を変えたのは・・。」
喉に重い塊が上がってくる。本当のことを言ってしまいたい願望が。でも。
「・・ゴメン。言いたくない。」
「言いたくない?・・なんで?・・よくわからないんだけど。萌の言ってること。」
わからないの、私も。
「うん・・。そうだよね。ごめんね。」
背中に???の視線が痛い。志生が戸惑うのも当たり前だ。このままじゃいけない。私はゆっくりと志生の方を向き、志生を見た。
「時間をください。」
「時間?」
「色んなことが混乱していて、今は上手く話せないし、話したくないの。」
「混乱?何が混乱してるの?俺のことじゃないの?」
「それもあるけど・・。あの・・」
「何?他にもあるの?・・何かあったの?」
「だから言いたくないの。あなたのことじゃない。」
「俺のことじゃない?萌、何があった?」
「・・言いたくない。言えない。ごめん。」
志生は黙って納得できない表情をしていた。その顔を見ていたら涙が出てきた。
「とにかく、時間をください。結婚も今は考えられない。」
「!!わからないよ、言いたくない気持ちはわかったけど、それだけじゃ何が何だか。・・俺と別れるつもりはないってこと?」
コクンとうなずく。
「でも、結婚は白紙にしたいってこと?」
コクンとうなずく。志生は本当に困惑した顔をしている。無理もない。逆の立場なら私も納得できない。
「・・。一つ訊かせてくれ。俺が原因じゃなくて、結婚を白紙にするって言ってるんだよね?」
「・・多分。」
「多分?・・男か?他に引っ掛かっている人がいるのか?」
・・・どうしよう。
「・・違う。・・私には志生しかいないもの。」
「じゃあ何故結婚はダメなんだ?」
どうしよう。どうしよう。
「すぐ結婚しなくちゃダメなの?もう少しこのままじゃいけないの?」
「そうじゃないよ。でも理由がわからないよ。言いたくない、男じゃない、俺でもない。・・納得が出来ない。」
「・・・・・。」
もう思いつく言葉がない。でもすべてを話す勇気なもっとない。私は俯いて泣くしかなかった。
「・・・わかった。萌。」
「?」
「君が何か抱えてるのはわかった。俺も1度君を泣かした。・・待つことにするよ。」
「志生・・。」
「でも、心の整理がついたら話してほしいし、結婚も考えてくれ。」
「・・本当にいいの?」
「いいも悪いも、萌がいなけりゃ結婚はできない。俺ひとりじゃ誰も式に来てくれないよ。みんな、嫁さんを見に来るんだから。」
・・・!言葉が出ない。言葉が出ない代わりに思わず彼に抱きつく。
「ごめんね・・、ごめんなさい・・。」
「でも、あんまり長く待たされたら困るなあ。会社の奴らになんて言われるか。」
・・そうだった。高峰さんにも。
「・・本当に迷惑かけるね。」
本当に申し訳ないことをしている。酷いことをしている。でもどうしようもない。
「いいよ。高峰さんにも適当に言っとく。」
私は志生の胸から聞こえる鼓動を聞きながら、ここ数日間で1番の安心感に包まれていた。やっぱりできない。この人を失うことはできない。どうしても。
そして私たちは久しぶりに飲んで食べて、ゆったりした夜を過ごした。多少ぎこちなかったが、それでもしあわせだった。でもずっと心の中で問いかけた。本当にこれでいいのかと。本当にこれでよかったのかと。