表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
まぼろしの跡  作者: 樹歩
PR
40/141

第40章―過去までの距離その15―

 駐車場に志生がいるのが理解できるまで一瞬間があった。そうだった。今日金曜日だった。

「どうして俺がこんなストーカーみたいなことをしなきゃならないんだ。」

「何故いきなり携帯がつながらないんだ。」

志生の言葉に返事が出来ない。

「アパートにいるのかわからないし、今日の君の勤務も知らない。」

・・・・。

「ここに来るのが確実かと思った。」

スーツケースを持っている。駅からじかに来たのだと思った。

「・・・何とか言ったら?」

ああそうか。何か言われたら返事をしなければならなかったか。それさえ私はわからなくなるほど参っているのかな。

「萌。」

どう言えばいいのだろう。どう言えば伝わるのだろう。事実を伝えることはできる。でも、真実(ほんとう)を伝えることはなんて難しいことだろう。難しいことだろう。何も言えずに私は、それでも車の助手席のドアを開け、志生に乗るように促した。

 車を出したものの、どこへ行ったらいいのやら。志生も黙っている。困った私はとうとう口をきく。

「どこへ行ったらいいの?」

志生は返事を返さず黙っている。私は仕方なく、あてもないまま適当に車を走らせていた。しばらくすると急に志生が

「明日勤務何なの?」

と訊いた。

「夜勤。」

と答える。これで今夜時間が取れることはわかってしまった。かといって今さら嘘を言っても仕方ない。

「そこのコンビニで停めて。」

私は志生の言うことに従った。コンビニで車を停める。志生が車を降りてコンビニに入っていくのをただ呆然と見ていた。しばらくすると両手に袋を持って志生が出てきた。

「何をそんなに買ってきたの?」

つい、今の状態を忘れて普通に声が出てしまう。

「飲むものと食べもの。」

「こんなに。」

コンビニで買うには目立つくらいの量だった。最も袋のひとつはアルコールであったが。スポーツドリンクの2リットルペットボトルも見えた。

「萌んちいって。」

「・・・うち。」

私は何となく気が進まなかったが、結局そのまま私のアパートに向かった。

 彼が降りる時あの大きなスーツケースも降ろしたので、今夜帰る気がないんだなと思った。長期戦になるのも仕方ないか・・。半ばあきらめてコンビニの飲み物のいっぱい詰まったビニール袋を持とうとすると志生が手を出した。

「萌はこっち持って。」

と私に食べ物の入った軽い方のビニールを出した。

「え、でも、志生重たいんじゃ・・」

という間もなく志生はスーツケースと重いビニール袋を持って階段を上がりだした。その後ろ姿を見て、私は改めて”この人は男なんだ。”と思った。立派な大人の男なんだ。私には重たい荷物もこの人にはそうでもないんだ・・。その姿は今の私の心情を妙に刺した。

 部屋に入り、電気をつけるため照明のスイッチを入れようとした時、後ろから急に暖かいものが覆った。

「・・逢いたかった。」

志生が私を抱きしめている。首の後ろに温かい志生の息がかかる。それはずいぶん懐かしい匂いだった。この数日間、私が恋い焦がれていた匂いだ。志生の匂い。自然に涙があふれてくる。何も言えない。言葉が出てこない。

「今週の仕事が今までで1番辛くて長かった。こんなに早く帰りたいと思ったこと無いよ。」

・・・。ずいぶん長く志生は私を離さなかった。私もそのままそのぬくもりに身をゆだねた。・・・恍惚。多分こういうのを恍惚を言うのだろう。今私は、世界中を飛んでゆく渡り鳥のように自由だ。砂漠を沈んでゆく太陽のように何も怖くない。私の心は・・心はどこまでも飛んでゆく。心はどこまでも太陽や月のように無限だ。そんな幸福感が私を包んだ。やがて志生はゆっくりと私の前に移ってくる。その間も私の身体から手を離さずに。そしてゆっくりとゆっくりと唇を重ねた。その唇が私の唇に重なるまでの時間が、私にはまるで永遠のように永く感じた。すべてがスローモーションだった。私は志生の背中に手を回そうとしたけれど、彼が私の身体全体を包んでいるため何も動けなかった。このまま時間が止まってしまえばいい。今、地震が起きて二人朽ちてしまっても私はいとわない。何も望まない。この人さえいればいい。そんな幻想が去来した。

 

「失くしてからじゃ遅い。」

潤哉の言葉がリアルによみがえる。わかってるよ。わかりすぎるくらいわかってる。私はどうしたらいいのだろう。私が守りたいものは何なのだろう。貫くべきは何なのだろう。誰への心なのだろう。誰への愛なのだろう。この人を失いたくない・・。その為に私は何を失うのだろう。何を捨てなければならないのだろう。何も告げずにこの人を手に入れるためには、方法は一つ。私が、私の心を捨てるしかない。真実ほんとうの心を。人間らしい敬いの心を。人ひとりの命より、自分の欲しいものを取ったという蔑むべき懺悔の心を。



























評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ