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まぼろしの跡  作者: 樹歩
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第35章―過去までの距離その10―

 プルプルプル・・。目覚ましが鳴る。もう朝になってしまった。頭が痛い。胃も痛い。だるい・・。何とか起き上がる。ため息をつき、布団を押しのける。またも不眠の夜が明けた。起きた瞬間思う。仕事に行く体調じゃない。まずいなあ・・。自業自得だけど。ふらついた足取りでキッチンへ行き、水を飲む。水道の蛇口さえ重く感じる。途端に吐き気が襲い、私は流しに今飲んだ水と胃液を吐く。やばい・・、胃が受け付けなくなってる。点滴の部類か!?私の体力は?シャワーに向かう前にバックから勤務表を取り出す。私の病院では各自の看護婦がそれぞれの病棟(自分が所属している所)の勤務表を持っている。見れば今日はだれが日勤で誰が夜勤かわかる。つまり人数把握ができる。しかし、それは逆に人手が足りないという現実を突きつけ”休めない”というプレッシャーも与えるのだった。見ると、仲のいい先輩と一つ下の後輩、そして私が日勤だった。3人か。月曜日。・・休めないなあ、やっぱり。ちょっと考えるがやはり行くだけ行こうと思いシャワーを浴びに行く。鏡を見ると瞼の腫れは若干引いていたが、酷い顔色だった。

 部屋に戻り、ふと気付き携帯を見る。ああそうだ、昨日電源を切ったままだ。電源を入れしばらくするとメールと、着信ありの表示が出た。予想通り志生からだった。メールを開く。

「おはよう。電源切ってあるようだね。よほど怒らせてしまったんだね。本当にゴメン。でも、昨日も言ったとおり俺は萌と別れたくない。せめてちゃんと話をしたい。その上でどうしても萌が俺とやっていけないと言うなら考えなければならないけど、今は嫌だ。とにかく金曜日に連絡するから。これを読んだら、空メールでいいから送ってくれ。無視されるのだけはツライ。じゃ、行ってくるね。」

・・・。志生。志生、ごめんね。あなたは優しい人だね。優しすぎて失敗しちゃうことあるけど・・、私よりずっとまともだよ。

「無視だけはやめてくれ。」

志生らしい。・・無理もない。志生は私が富田さんの件だけで怒っていると思っているから。私もこんな状況になるとは夢にも思わなかった。でも返事ができない。もう私の中ではその問題よりもっと大きなもので支配されているから。

 結局私は返事をしないで何とか身支度をし、ミルクティーだけ飲んで家を出た。



 月曜日はたいがいの病院は忙しい。もちろん病棟も。土日にできなかった検査やら処置やらでごった返しているからだ。私が夜勤明けで帰った土曜日の朝は比較的落ち着いていたが、昨日急患の入院があったようで朝の申し送りはそこから始まった。不思議なもので仕事に入ってしまえばどんなにだるくても何とか身体が言うことを聞く。でも、さすがに今日はツライ。申し送りが終わって処置の準備をしていると先輩が近付いてきた。

「萌ちゃん、なにかあった?」

「え、何でですか?」

「化粧しててもわかるよ。顔色悪いよ、昨日休みだったわりに。大丈夫?」

この先輩とは1つ違いでこの病棟で初めて一緒の勤務になったのだが、もう2年近い付き合いだった。しかも仕事ができる人で、私はよくカバーをしてもらった。(今もだが)

「ちょっと風邪気味で。大丈夫です。」

「そお?無理はダメよ。熱ない?熱あったら早退ね。患者さんにうつる方が怖いから。」

うちは外科病棟(もちろん他もそうだが)なので感染には特別ナーバスだ。

「熱はないです。大丈夫です。ありがとうございます。」

大丈夫じゃなくても大丈夫と言ってしまうのも看護婦の哀しい(さが)である。そうしてみんな倒れるまで働くのを私も何回も見てきた。朝から処置を済ませ、検査の患者さんの付き添いをし、ナースコールに走る。途中で何度もクラクラしながら。ただ、仕事中だけは何も考えなくて済む。辛い現実から逃げられる。

 昼休みになり、売店でお弁当を見ていると(さすがにお腹が空いた)、誰かが肩を叩いた。

「たまには一緒にお昼しようよ。」

先輩だった。

「お弁当も悪くないけど、レストラン行こうよ。」

売店の先に院内のレストランがある。いい匂いが売店まで流れて来ていた。

「はい、喜んでお供します。」

と先輩と歩きだす。レストランは一般の人も患者さんも利用できるのでわりと混んでいた。病院のレストランと言うと一般的にはレストランというより食堂というイメージが強いと思われがちだが、うちの病院のはメニューも豊富な方で味も良かったので(しかも安い)、近くの会社の人も利用しているらしかった。私と先輩は日替わり定食の食券を買い、セルフサービスの列に並んだ。サラダを取り、小さな冷ややっこに醤油をかけて行く。トレーに料理やご飯がそろうと空いてるテーブルを探した。

「萌ちゃん、あそこ。窓際で暑そうだけど。」

「でもそこしかないみたいですね。」

私たちはそのテーブルに向かい合わせで腰かけ、日替わり定食を食べ始めた。ご飯を一口入れた途端、胃がすごい勢いで動き出すのがわかる。半分くらい食べたあたりで胃が痛くなり始めた。でもひとりじゃなかったのが幸いして、なんとか気が紛れて食べ続けられた。先輩は食べてる間特に何も話さなかった。私も黙って食べた。食べ終わり、席を立ったところで先輩は言った。

「萌ちゃんろくに食べてなかったでしょ?」

私は本当にびっくりして先輩の顔を見た。

「別に何も訊かないけど、ちゃんと食べなきゃダメよ。私たちは体力勝負!」

そう言って見せる彼女の笑顔は私の胸を熱くした。そうだ。私には仕事がある。確かに看護婦を目指した理由はあの人が絡んでいる。でもこの仕事を続ける限りあの人をいつも意識してあげることができる。それは私があの人にしてあげられる数少ないことの中で、1番彼が望みそうなことのような気がした。そして、何より。私はこの仕事が大好きだ。だからこそ、それこそ身も心もボロボロだった今日もこうして出勤できたのだ。

「はい!了解です。有難うございます。」

私がにっこり答えたので先輩は幾分安心したようだった。私たちは並んで病棟へ戻るべく歩き出した。


























































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