第33章―過去までの距離その8―
その晩志生から電話はなかった。私も連絡を取る気にはならなかった。今の時点で自分の気持ちが整理つかないのに、詳しく話を聞いたところで解決するとは思わなかった。大体の話の見当も付いている。つまりは。・・・私がどうしたいのか。私が志生とどうなりたいのか。行き着くところはそこになる。
私は温かいミルクティーを飲んでいた。何も食べたくなかったし、もともと何もなかった。買いに行く元気もなかった。どんなに自分と志生のこれからを(別れるとしても)考えようとしても、頭に浮かぶのは志生と彼女がいる光景だった。昨日の夜は二人が抱き合っている場面しか浮かばなかったが、今は違う。志生が頭を下げている姿が浮かぶ。彼女のことは知らないが、よほどの覚悟で志生に会いに来たならば、見えも外見もなく、よりを戻すべく志生に泣きついただろう。私を見てと。今なら一緒になれるのだと。愛していると。忘れたことなどなかったと。志生はいちいち私との話はしなかっただろう。ただ、もう戻れないのだと、終わってしまったことだと言い、下げれるだけ頭を下げ続けたのだろう。それを思うとまるで自分がそうしたかのように心が痛んだ。だけど許してあげるまでの決心がつかなかった。
誰かにこの話を聞いてもらえたらと思った。でも何を言われても、結局自分がどうしたいかというところに行き着くんだと思うとそれをするのも面倒だった。私はミルクティーをだらだらと飲んでサボコにため息を聞いてもらい辛い淋しい夜をしのいだ。
その知らせが耳に・・というか目に飛び込んできたのは次の日の新聞だった。私はなるべく寝ようと思って、お風呂にも時間をかけて入ったつもりだったが、眠りは浅く何度も目を覚まし、その度に携帯を確認してため息をついた。志生は眠れているのだろうか。私と同じようにしんどい夜を過ごしているのだろうか。私とこの先どうしたいのか。そんなことが頭を廻った。そしてうとうとする。そうして長い夜が終わって、朝方カタンという音でまた目が覚めた。新聞がポストに落ちる音だった。
胃が痛い。丸1日半食べてないのだから当たり前だ。ミルクティーに使ったパウダーと砂糖くらいしか胃を守るものを入れていない。どんなに食べたくなくても、そろそろ何か口に入れなければ。明日は仕事。体調管理は看護婦(というより社会人)の大切な義務だ。プライベートは持ち込めない。
身体を起こすと、予想してたよりもっとだるかった。身体が重く感じて、軽く眩暈がした。昨日よりなお。ふらふらしながら玄関に向かい新聞を取る。テーブルに置き、キッチンへ向かう。何もないけど・・、と思いながらあっと思いだす。夜勤用のバックの中に栄養補助食品のスナック菓子があったはずだ。いつも夜勤の時は持っていく。支給される夕食は患者さんに出る食事ほぼ同じで、それはそれでいいのだが、たまに夜中にお腹が空くことがある。そういう時、栄養補助のお菓子やヨーグルトがあると重宝なのだ。しっかり食べてしまうと胃が重くなるし、消化にも悪い。この前の夜勤は志生と彼女のことでとても空腹なんて思わなかった。私は夜勤用のバックを覗く。そこには最近テレビでよくコマーシャルをやっている、ビタミンが豊富と大きく書いた菓子が2本入っていた。
「・・これでいいや。」
そしてミルクティーを茶葉を取り換えてから作り、全部揃ったところで座った。新聞を手に取る。一面からゆっくり眺め、興味のあるものは丁寧に眼を通していく。やがて紙面は地元の事件やニュースを扱うところになった。
・・そこに書いてある文面の題名を見た時、私は最初他人事のように”人騒がせな”と思った。記事としてはそんなに大きくない。小さい記事だ。窃盗で捕まったとか、幼稚園でプール熱が流行っているとか。それくらいのごくありふれた記事。でも内容の主人公が同業者なので細かく書かれた文面にも眼がいった。そしてそれを読んだ瞬間愕然とした。志生のことが頭から消えた。文字通り真っ白になり、眼の前は真っ暗になった。そこにはこう書かれていた。『W大学病院医師、院内で自殺』
まぼろしの跡をお読みくださっている方へ
私の小説、まぼろしの跡をお読みいただき、ありがとうございます。
本日、3月3日、第34章を更新したのですが、こちらの不手際で小説が消去してしまいました。遅くとも明日中には再度書きあげたいと思いますのでよろしくお願いいたします。また、すでに34章をお読みいただいた方、ほとんど内容は変わらないと思いますが、また1からに書きなおしになるため、表現が若干異なる部分があると思われます。ご了承いただきたいと思います。樹歩