エピローグ 御館の乱
数年して謙信が死んだ。
突然倒れて、そのまま帰らぬ人となった。あまりにも急なことで、遺言は何も残らなかった。何を考えていたのか、結局あれ以降、喜平次に越後を継ぐ気はあるかという質問をすることはついぞなかった。だからと言ってよいかわからないが、三郎と喜平次のどちらを後に据えるかについても、手がかりすら残さずにあっという間に亡くなった。
喜平次はもう二十四である。三郎を実の兄として慕いたかったあの頃とは、心持ちも身体もずいぶん違っていて、ありていに言ってしまえば、喜平次は大人になっていた。
けれども三郎のことを考えると、十六の自分が顔を出す。運以外に喜平次が勝てることがなく、いつでも人を惹きつけ、明るく話が面白かったあの三郎のことを、喜平次が嫌いだったことはなかった。あれから喜平次は三郎と大きな喧嘩も仲違いもせず、それなりに距離を取りながらうまくやってきていた。
実の兄であればよかったのにと、若い自分は何度思ったことだろう。三郎の方も、ああは言っていたけれども、越後を心地よく感じて喜平次を実の弟のように思いたかった日もあったと、喜平次はなんとなくだが知っていた。三郎がふとそうこぼしたと姉がこっそり教えてくれたことがあったし、三郎がそういうそぶりを見せたこともあったからだ。けれどももう自分たちは、謙信の庇護下にいたあの頃の自分たちではないのだ。
覚悟しろ。腹を括れ――そう言ったのは三郎なのだ。
例えそれが互いに殺し合うことを意味したとしても。
喜平次の命はもはや喜平次だけのものではないのだ。自分を擁立するたくさんの大人たちと、かつて子供だった、今ではもう青年となった近習たち、そしてその彼らが実権を手にする越後の民たちのものでもあるのだ。そしてそれは三郎も同じであった。上杉に養子に来たからといって、三郎が北条の息子であったという事実がなくなるわけではない。
喜平次は、この越後を北条に渡すわけにはいかない。
「いち早く本丸へ。そして金蔵を確保してしまいましょう」
屋敷の奥で采配を振るう喜平次に、与六が光る目をしてそう進言した。聞けば先ほど出た、喜平次の――景勝派の総意だという。幼い頃から与六とふたりで一つのように動いていた又五郎の方は、今回も与六と示し合わせ、すでに先回りして実働部隊の指揮を取り始めているとのことだった。さすがに早い。一人ではできないことをふたりでやってのけている。同世代の中でも抜きん出て才能を開花させつつあるふたりだったが、この混乱でまた力をつけるだろう。特に与六などは想像以上に化けるかもしれない。
喜平次は頷いて作戦を進めるように与六に命じた。そうして生前の謙信を思い出した。戦の時の、ではない。人がする報告を頷いて聞いている、普段の謙信のことだった。今の喜平次がしたように、人に任せて越後を想っていた謙信を。
与六が提言した金蔵には、越後の維持に絶対に欠かすことのできない金銀が眠っている。謙信の遺したものだ。これがなければ喜平次はこの先困るに違いない。だから与六の言う通り、金蔵を占拠する必要があった。
しかしそれはつまり、喜平次がこれを確保してしまったら、はじかれた三郎が困ることを意味した。あの、肝心なところでほんのわずかに間の悪い、兄と慕った額の綺麗な男のことを想った。彼の声がよみがえった。
「やっぱり、血がつながらない方がマシだ」
最後の望みをかけることにした……金蔵は、もしかしたらすでに三郎の手の内にあるのかもしれない。喜平次が金蔵を占拠できなかったら、それはあの三郎に珍しく運さえも向いているということで、きっと喜平次に勝ち目はない。金蔵ひとつ間に合わないようでは、喜平次もその程度なのだ。三郎の目論見は外れたことになる。三郎が言ったことは間違っていて、金蔵すら押さえられない喜平次は、龍のようであった謙信とは少しも似ていないということなのだ。
けれどももし、ここで金蔵を三郎より先に占拠できてしまったら、もうその先は腹を括ろうと思った。あの聡明な三郎の言う通りに、三郎と喜平次は本当の兄弟ではないのだから。そういう運命で繋がっている仲なのだ。
もし本当に三郎の考えていた通りに、自分が少しでも謙信と似ているのなら、ここで間に合わないというのはまずないことを喜平次は知っていた。あの聡明な三郎が言うことはだいたい正しいのだということも、やはり喜平次はよく知っていた。
喜平次は金蔵に間に合うだろうという強い予感があった。わずかに絶望を孕んだ予感であった。




