表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界大陸軍戦記-鷲と女王-  作者: 長靴熊毛帽子
第七章『斧打ちの国』戦争~鷲の飛翔~
128/128

第百十八話 大王橋の戦い 戦場の霧

「対岸に敵軍見ゆ」


 その報告を受けたときボナパルトはクルーミルと接収したばかりの村長の屋敷で朝食を伴にしていた。


「来たか」


 ボナパルトは即座に席を立ち、二角帽子を深く被ると足早に出ていく。クルーミルも慌ただしく席を立ち、侍女のスーイラが外套を肩にかける。


 空は太陽がこれから始まる惨劇を見ないようにカーテンを閉めたようにべったりと分厚い雲に覆われて薄暗かった。


「敵の数は」


 ボナパルトが昨夜から対岸を見張っていた師団長のボンに問いかけると、生真面目な彼は司令官の問いかけに「不明である」と率直に返した。


「昨夜は露営の灯りもなく対岸は警戒の騎兵がうろついている以外は静かでした。今朝になって歩兵の数が増してきました。夜間に偵察を出しておきたかったのですが、橋は敵に封鎖され、渡し船も見つからずで全く偵察ができていません」


「……」


 ボナパルトは望遠鏡をのぞき込む。ヴァノド河の向こう岸にはうごめく兵馬が見える。見えている範囲には三千ないし四千といったところだろう。とボナパルトは兵馬を見積もった。が、問題はこの船渡の村がそうであるように、対岸にも小高く盛り上がった丘がいくつかあり地平線を遮っているということだった。あの裏にさらに数千、数万の兵力が隠れていないとは言い切れない。


 全く、戦争とは丘の向こうにあるものを推測する技術なのだ。


 ボナパルトは忌々しくヴァノドの流れを見下ろす。この巨大な河は自軍を敵と隔てる天然の堀であると同時に、敵軍を自軍から隠す存在でもあるのだ。この河がなければもっと敵情がわかるものを。それはほとんど八つ当たりというものであって、ボナパルトの作戦はこのヴァノド河が敵の足を止めてくれることを前提に組み立てられているのだから、もし河がボナパルトの身勝手な思いを知ったら「恩知らず」とののしったかもしれない。


「彼らは攻撃してくるのでしょうか?兄は何か奇策を用いるかもしれません」


 燃えるように赤い瞳を細めて敵方を見つめるクルーミルが問いかける。彼女自身は軍事的な才覚に全く欠けており、ボナパルトに全幅の信頼を寄せている。それでも彼女は自分なりに問を立てて、ボナパルトに問うた。少しでも友と同じ視座に立ちたいと爪先立ちしているようだった。


ボナパルトは肩をすくめて村の一角を指さした。


「敵が来るなら死体の山ができるだけだ。戦闘にすらならない」


 ずらりと並ぶ9門の大砲が大王橋に砲門を向けて不気味に鎮座していた。敵が無謀にも橋を渡ってくるならば彼らは処刑の壁に立つ死刑囚のように一方的な銃撃と砲撃に晒される。敵もそれは承知しているだろうから、攻撃に出てくる可能性は低い。というのがボナパルトの見立てだった。


「奇策……何か手があるのかもしれない。例えば渡河可能な浅瀬があるとか。ボン、どうだ?」


「それについてはあり得ません。河の東西五キロにわたって騎兵を送って調べましたが、浅瀬はありませんでした。また、住民もこのあたりに馬で渡れるような浅瀬はないと言っています」


「よし」


 無謀を承知で蛮勇を誇って突進してくるならばそれもよし。橋を前にとどまるならばやがてテルマルタルの軍勢が追いついて包囲が完了する。


 敵が何をどうしようと勝敗は始まる前から決している。そうなるように軍を動かすのが将帥の力量であり、この点にかけてボナパルトは比類なかった。


 ボナパルトは望遠鏡をしまい込み、そばに控えていた副官であり義理の息子であるウジェーヌに押し付けるように渡すとクルーミルを振り返る。


「ダーハド軍がここまでくるのにあと二日はかかると思っていた。が、補給部隊を焼き捨てて全力で駆け付けたのだろう。彼らがあと半日早ければ戦いはどうなるかわからなかった。貴女の兄は名将だった。間違いなく」


 ボナパルトは過去形でダーハドの戦略眼の正しさと決断の速さを称賛する。


「兵を配置につけろ。一度や二度、やぶれかぶれの突撃があるかもしれん」


 ◆


 一方、南岸ではダーハド軍が集結しつつあった。その総数は三万近い。実はフランス軍と斧打ちの国の軍勢は河を挟んで僅か六キロの近くで野営し、夜を明かしていたのだ。


 ダーハドは軍を急ぎに急がせ、大王橋を目指していた。昼夜を問わない強行軍を行った軍は食事もろくにとる暇がなかった。道中の村にパンを焼かせ、食事を準備させてはいたがとても間に合わない。集めた小麦をパンに焼く暇もなく、多くの兵士はろくな食事もなくひたすらに歩かされ、疲労による脱落が相次いだ。さらに隊列が乱れ、指揮官の目が届かなくなると脱走が相次いだ結果、鉄門を出発したときは五万を数えたダーハド軍は三万まで目減りしていた。しかも、その軍の大部分は巨大な蛇のように大街道沿いに細長く散らばっており、戦闘に耐えられない危険な状態に置かれていた。


 軍をそのような危険な状態におき、無理に無理を重ねた行軍をしてなお、ダーハド軍は半日の差で大王橋を抑えることに失敗していた。


「陛下、北岸は敵の手に落ちました」


 二千の兵で船渡村を押さえていたものの、ボン師団の接近で撤退を余儀なくされたスヌエビラは己の判断を詫びた。徹底抗戦していればあるいは橋を守ることができたかもしれない。


「ボナパルトに南岸を押さえられなければそれでよい。例のものは集めてあるな」


「は、そちらは抜かりなく。周囲の村を回って併せて五十は集めました」


 豪奢な金髪を揺らしてダーハドは北岸を睨む。将兵に過酷な行軍を課したダーハドだったが、彼自身もまた昼夜鎧を脱ぐ暇もなく近衛騎士を従えて殿を務め、執念深く追いすがってくる草長の国の軽騎兵たちを撃退し続けてきた。彼はここに至るまで都度、5度の大規模な襲撃を退け、その都度に草長の国の騎士たちに手痛い損害を与えては追い返し続けてきたのだ。特に二日前には退却から一転して反撃に転じ、勢い余って追撃してきたテルマルタルの孫、ウルバルトに痛撃を浴びせて足止めを果たしている。


 軍が全面崩壊しなかったのはひとえにこの金髪の王と彼に従う黒色の騎士たちの獅子奮迅の働きであり、過酷な退却行を経てなお、王の人気は高く、兵士たちは王旗を見ると万歳の声を上げていた。


 だがこの士気の高さは言わば追い詰められた者が陥る熱病的な高揚であって、持続するものではないということをダーハドは心得ていた。テルマルタル軍を一時的にでも押し戻し、その一瞬、わずかな時間で勝利を勝ち取らなければならない。大河の向こうに布陣する名将を相手に!


「空をご覧ください陛下。今にも雷雨となるでしょう。さすれば、フランス軍の使う鉄砲は使えません。精霊が加護を授けてくれるのを待つのはいかがでしょうか」


 軍議に際して重臣の一人であるドルダフトンが進言した。彼は王都の陥落に際して、手勢を率いて雷雨に紛れて脱出した経験からフランス軍の武器の弱点を知っていた。


 ドルダフトンは精霊に意志について、その考えを王に披歴した。精霊は自分が戦いに臨む際、気まぐれに見るものを眩ませるまばゆい光を放ち見るものを恐れさせた。兵士の恐怖。それは軍司令官にとって悪夢そのものだ。いかに優れた兵がおり、いかに優れた武器を持っていたとて兵の士気が萎えてしまえば意味をなさない。戦いとは、相手の心臓に槍を突き立てることではない。相手の戦意を折砕くことが目的なのだ。相手を服従させるか、沈黙させる究極の手段が戦争なのである。


 戦略も戦術もなく、ただ相手に恐怖を与える精霊は何を望んでいるのか。恐怖心とは、生きていたいという生命の究極の意志の発露ではないのか。精霊は恐怖を呼び起こすのではなく、その人が真に望む願いを曇りなくてらしだしているのではなかろうか。


 ドルダフトンの発言は戦略を超えて彼の精霊哲学に踏み入っていたが、ダーハドは真剣にそれを聞いた。そして優美な髪を左右に振る。


「卿の思索は興味深い。だが、精霊について哲学的な思索を広げることは、今の私には不要だ。今後も不要だろう。精霊の思いや、意志になんの価値があるだろうか?必要なのは恩寵だ。今すぐ、雨を降らせたまえ!今すぐ、敵を恐怖に陥れたまえ! 今すぐ、我を助けたまえ!今すぐ!それができないのならば、なんの意味があるだろう?結局のところ、精霊の力を戦争に用いなかった古代の英雄たちは正しいのだ。己を救えるのは常に確かな己が血肉だけであり、精霊の気まぐれに国家の命運、まして己の命を預けることなど不可能なのだ!」


 王は精霊の存在を疑ったことはない。しかし、恃むこともまたなかった。


「雨が降るのは一刻後か、二刻後か……?その間にテルマルタルの老人が追いついてこないとも言い切れん。我々には不確かな精霊の恩寵を当てにすることはできんのだ。ただちに攻撃準備にかかる」


 ダーハドは列する諸侯たちを一望すると、ノラン伯の名を呼んだ。


「ノラン伯!卿に先陣の栄光を与える」


「はっ。先陣は武人の名誉。必ずや陛下のご期待に応えてごらんにいれましょう」


 声を高く応じたノラン伯は王の意図を洞察していた。


 ◆


 大王橋の南岸にノラン伯の手勢五百余りが並ぶ。美しい青色の盾と鈍色に輝く鎧とに身を固めた重装歩兵たち。


「対岸に敵が並んでいます。伯、はっきり申し上げますがこれは処刑です。王は自らの手で汚さず我々を殺すつもりです」


 ノランの家令を務める初老の騎士が吐き捨てるように言うとノラン伯は苦笑した。


「お前はいつも正直だったな。その通りだ。これは処刑だろう。王は、いや諸侯は我々を許す気はないらしい」


 ボナパルトが大山脈を超えてノランに殺到したとき、戦わず街を明け渡したのはノラン伯の城代であったが、伯自身も責任は免れなかった。彼の領地が徹底抗戦し、ボナパルトの足を止めていたならば今、このような危機に陥ることはなかったのだ。たとえノランが焼き払われて住民が皆殺しになったとて、徹底抗戦するのが義務であったのだ! それを怠り、自らの安寧を求めて王国を危機にさらすとは、ノラン伯許しがたし。そういう感情が諸侯に満ちていた。


「陛下は慈悲深いお方だ。我々に名誉の死をお許しになった。違うか?」


「伯はいつも物事を前向きに考えすぎでございます」


「まあ、そう言うな。我々がここで死ねば王も諸侯もノランを許してくれよう」


「……」


「それに、処刑となれば確実に死ぬが、先陣はそうではない。要は戦って生き残ればよいのだ。違うか?」


「全く、伯は前向きに考えすぎです」


 ノラン伯は声を上げて笑うと、ふと神妙な顔つきになって自分の横に控えてノラン家の旗を掲げているそばかすのある小姓を見やった。まだ十五にもならない子はぎゅっと唇をかみしめて死を見つめているようだった。


「フルクル家の子だったな。お前は確か」


 主人に呼ばれて旗持ちの小姓はそうです、と答えた。


「一つ頼まれてくれ」


 そういうとノランは腰に下げていた短剣を小姓に渡した。


「これを首都に留学している息子に届けてくれ」


「でも、旦那様」


「命令である」


 そう言って伯は旗を取り上げると、高々と掲げて見せた。青く染め抜かれた旗が美しく翻る。


「このノラン伯が諸君とともに行く。今日、私とともに血を流す者はどんな卑賎な者も以て貴き血の貴族と同列になるだろう。精霊よ、我らの武勇を照覧あれ!王よ、我らが忠勇を照覧あれ!」


 その声にノランの兵士たちは叫び声で応えた。押し寄せる死の恐怖に抗う生の雄たけびが南岸に満ち溢れる。


「前へ!進めッ!」


 石橋をたたき壊すような勢いで駆け抜けていく勇者たちは身を起こした巨人の身震いのような轟音と立ち上る煙の中へと消えて行った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
デカいとはいえ橋。 兵力を消耗し、長期戦に耐えられないダーハド軍は数の優位を活かしにくい戦場設定下にある……さて、どうするのか。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ