9 ひどいこと
当然、夢オチとかそういう都合のいい話のはずもなく。
目を覚ますと、そこはやはり、自分の部屋ではない。あまりよく眠れなかったな、と思いながら起き上がり、ごしごしと目を擦る。障子越しに柔らかい陽光が注いでいた。
制服のまま寝てしまったせいで、スカートは皺だらけになっていた。だが、妖の世界にアイロンなどあるはずもないので、我慢するしかない。
と思ったら、
「あるぜ、アイロン」
しわくちゃの服を見て、クロが言った。
「……あるの?」
「ある。電気式じゃないけど」
「ああ……そうか、炭火の奴?」
「そう」
クロが引っ張り出したのは、鍋みたいな形をした黒い塊である。桜子はスカートを脱いで――その間はきっちり布団をかぶっていた――クロにアイロンがけを頼んだ。
その手つきは手慣れたもので、丁寧だった。口を開けば憎まれ口ばかりで、自己中で自分勝手で横暴な超絶俺様野郎だが、黙って家事をしてれば普通に家庭的な主夫に見えなくもないから詐欺である。この性格のひねくれさえなければなぁ、などと思いながらじっと見ていると、視線に気づいたらしいクロが顔を上げて怪訝そうに眉を寄せた。
「なんだ?」
「え」
思わず見惚れ――いや、断じて見惚れてない、ただ見つめてただけだ、え、でも見つめてただけでも十分恥ずかしくない? とにかく見ていたことを誤魔化すために、桜子は適当に話題を放り投げる。
「えーと、こ、こっちって、電気は全然ないの?」
「ああ……全然ってわけじゃないさ」
クロは特に疑問に思わず回答する。作戦成功。
「たとえば……竜厳の屋敷は電気通ってるし」
狗の長老・竜厳の屋敷は、中までは入らなかったから解らなかった。ただ、外から見ても解るように、あの屋敷は洋風建築で、他の和風建築や、提灯の灯りで夜を明かす商店街よりは少し時代が進んでいるように見えた。
「大がかりな発電施設がないから、個人レベルでしか普及してないんだ。竜厳の屋敷はな、人間の世界からこっそりちょろまかした太陽光発電のパネルがあるらしい」
「ちょろまかしたの?」
確かに、人間たちに認知されていない妖怪が、人間の世界から何かを貰おうと思ったら、ちょろまかすしかないわけで。もしも身の回りで何か物が忽然と消えて不思議に思うことがあったら、それは妖怪のせいなのかも、しれない。
「それで、今日はどうするつもりだ?」
クロが綺麗に皺を伸ばしたスカートを放って寄越す。それをいそいそと履いて、支度完了。
「とりあえず、商店街で聞き込みかなぁ。虎央様を襲った犯人を見てる人は多いらしいし。猫たちは先入観ありそうだけど、他の種族なら、思い込みがない分、違った景色が見えてるかもしれない」
「ま、あまり期待しない方がいい。妖怪たちの目はだいたい節穴だから」
自分も妖怪のくせに、酷い言いようである。
「さぁて、さっさと聞き込みに行くぜ」
クロに促され、桜子は早速調査を開始した。
「行っくぞー!」
「狗の誰かが犯人なんじゃないの?」
「狗耳だったし」
「狗たちは猫のことよく思ってないし」
「狗ならやりかねない」
「駄目だー!!」
桜子は盛大に弱音を吐いてちゃぶ台に突っ伏した。茶屋の店員が騒がしい客を迷惑そうに一瞥したが、桜子の目には入らなかった。
午前中いっぱい商店街で粘ったが、でてくる証言はどれもこれもにたかよったか、総じて「狗が悪いんじゃん?」というものばかりで、有力な新情報はゼロ、何の成果もなかったと言える。体力にそこそこ自信のある桜子は、あちこち歩き回って地道に聞き込みをすること自体については、特に疲れるとは思わないのだが、まったく進展がないというのは精神的に疲労するのだ。
というわけで、桜子とクロの二人は昼休憩に入った。
「そんな簡単に新情報がほいほい出てくるようなら、狗猫どもの争いがここまでエスカレートするはずないだろ」
クロは特に落胆した様子もなく、呑気に茶を啜っている。
「犯人が狗じゃないと思ってる奴が一人でもいたら、長老にそう言うだろ。『つまんない喧嘩すんな馬鹿』ってさ。妖怪が、いくら他種族に関心のない事なかれ主義だっていっても、狗と猫がことあるごとに商店街で騒いで迷惑してるから、抗争解消にはむしろ協力的なはずだし」
「クロ、もしかして最初からあまり聞き込みに期待してなかった?」
「俺は基本的に何も期待してない。悪いパターンを考えて行動するのが世渡りの秘訣だ」
「はぁ……」
それならそうと最初から言ってくれれば、と思わなくもない。だが、疲労気味の桜子は、そのことで怒る気にはなれず、ただ嘆息した。
「ねえ、他に何をすればいいと思う?」
「さぁ、それを考えるのは俺の仕事じゃない」
「ちょっとくらい相談に乗ってよ。私に何ができるかな?」
「お前にできることを知っているのはお前だけだ」
「そうはいってもね……そうだ、私も半分は妖怪ってことはさ、何か特殊な力とかないの? こう、犯人探しに使えそうなやつ」
「緋桜は割と何でもできたが、それがお前にもできるかは知らん」
「ちょっとくらい、何かはできそうじゃない? だって、桜の花だって咲いたじゃない」
すると、クロはくすっと笑った。
小さく、しかし、どこか嘲りを含んで。
「めでたい奴だな。あれが自分の力だと思ってるのか」
「……え」
弛緩していた空気がすっと冷えた。
「あの場所、あの時間を決めたのは誰だと思ってる? 竜厳か虎央か、どっちかがお前の力を試そうとするだろうってことは読めてた。お誂え向きの場所を選んでやったんだ、例の桜を利用することも予測してあった。連中の考えることは単純なんだよ」
心底馬鹿にしたような調子でクロは種明かしをする。
「瘴気でやられた桜を戻す方法はいくらでもある。まあ、それなりに金を積む必要はあったがな。瘴気を浄化する聖水と、開花を促す灰……『千年堂』に少々ぼったくられた感はあるが、成果は上々だ。全員コロッと騙された」
「何それ……あれは、クロが仕掛けてたってこと?」
「当たり前だ、そうでなきゃ枯れた花が咲くはずがない。お前は、半妖とはいっても名ばかり。今日初めて自分の正体を知った半妖が能力を使いこなせるなんて、そんな都合のいいことがあるはずないだろう?」
それは確かにそうだろう。桜子も、自分に特別な力が使えるなど夢にも思わなかった。桜の花が咲いた時も、自分で何かをした自覚はなかった。
それもそのはずだ。桜子は、本当に何もしていなかったのだ。
クロは全部知っていた。知っていたのに、桜子に何も言わず、「これがお前の力だ」なんて嘯いて、まんまと桜子を担いだのだ。
こんな馬鹿げた話があってたまるか。桜子は歯噛みする。そして、絞り出すような声で問うた。
「じゃあ、あなたは最初から私に期待なんかしてなかったのね。私に何もできないと思ってて、私のことも長老たちもまとめて騙して、全部自分の掌の上で転がすつもりだったのね」
「そうだ」
桜子が苦労して紡ぎ出した問いに、クロは驚くほどあっさりと答えた。
その瞬間、怒りが振り切れた。
ばん、とちゃぶ台を叩いて、桜子は化け猫を睨みつけた。
「最低! 私はちゃんと公平に、桜鬼の名前に恥じないように、争いを収めようとしてたのに、最初から全員騙す気だったなんて! 私に、嘘っぱちの片棒を担がせて……こんなのってないわ!」
「お前にそんな文句が言えるのか?」
激情に駆られて叫ぶ桜子に対して、しかし、クロは怖いくらい無表情で、静かで、冷たい声を発する。
「俺は礼を言われこそすれ、詰られる覚えはない。俺が何もしなかったら、あの会合はどうなってた? お前は桜鬼である証拠を示すことはできず、猫も狗もお前を信用せず、全部ご破算だったはずだ。俺が手を出したのは、お前が力もロクに使えない能無しの半妖だからだろうが」
「それは……!」
桜子が吐き出した分、クロは同じだけ桜子を詰り、抉った。
「妖の世は、力がすべてだ。力のない奴は文句を言う資格もない。何もできないなら、大人しく駒でいればいい」
爪が食い込むほど拳を握りしめ、唇を噛みしめた。酷いことを言われている、何か言い返さなければ、と思った。だが、言い返せる言葉などなかった。それが悔しく、惨めで、目が熱くなるのを感じた。
こんな奴に涙を見せたくない――そう思った瞬間、桜子はテーブルの上の湯呑を取って、すっかり温んだ茶をクロの顔にぶちまけていた。
「馬鹿! そんなんだから仲間外れにされるのよ!」
捨て台詞と共に立ち上がり、桜子は逃げるように店を飛び出した。
★★★
後に残されたクロは、店中の視線にぐさぐさと突き刺されながら溜息をつく。そして、濡れた髪を拭こうともしないで、忌々しげに舌打ちをした。




