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生贄 宇宙を彷徨う  作者: タダ ユキ


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第5話 #3 賢者と星王

卵が孵化したのは、グァルが卵を預かってから、しばらく経った頃だった。


男は、その知らせを聞いて彼の住居を訪れた。


「ついに孵ったのか」


「ああ。昨日のことだ」


グァルの触角が、嬉しそうに揺れた。


「見ていくか?」


「ああ。ぜひ」


部屋の奥には、小さな個体がいた。


まだ殻の一部を身体に残している。


だが、男が想像していた姿とは違った。


小さな個体は、すでに自分の脚で立っていた。


ゆっくりと歩き、床に置かれた食物へ近づいていく。


そして、迷うことなく食べ始めた。


「……生まれたばかりだよな?」


「ああ」


「もう歩けるのか」


「何を当たり前の事を」


グァルは、そう答えた。


「もっとも、まだ知らないことばかりだ。危険なものを口にすることもあるし、周囲の状況を正しく判断できるわけでもない」


男は、小さな個体を見つめた。


生物としての基本的な機能は、ほぼ完成している。


地球の昆虫にも、孵化直後から自力で動き、食物を摂取するものは存在する。


だが、この種族は知能も高く、複雑な社会を築いている。


それなのに、生まれた直後から、これほど自立しているとは。


「親がいなくても、生きていけそうだな」


彼らの社会でら当たり前の事を世間話の様に子どもがいない無知さ故を前面に出しつつ誤魔化しながら聞いて行く。


「食物と安全な場所があれば、ある程度はな」


グァルは、少し考えてから続けた。


「だが、生きていけることと、正しく生きられることは違う」


男は彼を見た。


「正しく?」


「何が危険なのか。何をしてはいけないのか。他者とどう関わればいいのか。そうしたことは、生まれただけでは分からない」


グァルは、小さな個体が食物をこぼしたのを見て、そっと拾い上げた。


「この子は、いずれ社会に出る。そこで他者と暮らすには、知識が必要だ」


「なるほどな」


「だから、教えるんだ」


男は、もう一度小さな個体を見た。


生きるために育てるのではない。


社会の一員として生きるために育てる。


その違いは、思っていた以上に大きいのかもしれなかった。


*


グァルの生活は、以前と少し変わった。


仕事を終えると、彼は寄り道をせずに帰宅する。


食事を与え、危険なものを教え、周囲の状況を理解させる。


小さな個体が何かを間違えても、頭ごなしに叱ることはなかった。


なぜそれが危険なのか。


どうすればよかったのか。


同じことが起きたとき、どう判断するべきなのか。


時間をかけて説明していた。


ヌェルも定期的に訪れた。


彼女は子どもの様子を確かめ、成長を喜んでいた。


しかし、滞在時間は長くない。


しばらくすると、自分の住居へ戻っていく。


二人が不仲というわけではなかった。


必要があれば協力する。


子どもの将来についても話し合う。


ただ、互いの生活を一つにする必要はないのだ。


男には、少し不思議な光景に見えた。


地球では、家族という単位が社会の基本になっている地域も多い。


親子が同じ家で暮らし、夫婦が協力して子どもを育てる。


それが当たり前だと考える人々もいる。


だが、この星では違う。


子どもを育てることは、親だけの役割ではない。


社会全体が、その成長を支えている。


教育施設も整っていた。


子どもたちは、ある程度成長すると、同年代の個体と過ごす時間が増えていく。


そこで他者との接し方を学び、知識を得て、社会の規範を身につける。


親が教えること。


教育施設で学ぶこと。


社会に出てから経験すること。


それらが一続きになっていた。


「よくできた仕組みだな」


男が感想を漏らすと、グァルは不思議そうに首を傾けた。


「そうだろうか?」


「少なくとも、よく考えられている」


「昔からこうだったわけではないらしい」


「昔?」


「ああ。祖の時代には、こんな仕組みはなかったそうだ」


グァルは、部屋の壁に設置された端末を操作した。


そこには、この星の歴史をまとめた記録があった。


「興味があるなら、読んでみるといい。学校でも学ぶ内容だ」


男は画面を眺めた。


そこには、今の社会からは想像もできないような、古い時代の記録が残されていた。


*


この星には、王がいるのか…


男は、歴史の記録を読んで驚いた。


王政。


この高度な文明が、王政を採用しているとは思わなかった。


「そうだ」


グァルは答えた。


「ただし、昔の王とは少し違うらしい」


この恒星系には、文明を築いた3つの主要な惑星がある。


それぞれの惑星には、独自の環境や文化、産業が存在していた。


しかし、各惑星に王はいない。


3つの惑星を束ねる星王が、ただ1人いるだけだった。


各惑星には、星王の指針に従って行政を担う代表者たちがいる。


彼らは各地の事情に応じて政策を実行し、必要な調整を行う。


ただし、その代表者たちは王ではない。


王位を持たず、独自の王権を持つこともない。


星王の方針のもとで、各惑星の社会を運営する立場だった。


「帝国とは違うのか?」


男が尋ねた。


「歴史上、そう呼ばれた時代もあったらしい。ただ、現在の制度は、征服によって惑星を支配するものではない」


「では、星王はどうやって決まる?」


「選抜だ」


グァルは説明した。


星王は、血統によって決まるわけではない。


各惑星から候補者が選ばれ、長い時間をかけて教育を受ける。


政治、科学、歴史、経済、環境管理。


他の惑星の文化や社会についても学ぶ。


実際にさまざまな行政を経験し、判断力や能力を評価される。


候補者たちは、長年にわたって比較され、選抜されていく。


そして最後に、現星王が選んだ候補者たちを対象として、全星民による投票が行われる。


選挙では、候補者がこれまでに積み重ねた成績と、星民からの得票数が点数化される。


その総合評価によって、次の星王が決まるのだ。


「つまり、優秀なだけでは駄目なのか」


「そういうことらしい」


「人気があるだけでも駄目、と」


「その通りだ」


男は感心した。


現星王が候補者を育て、長年の実績を評価する。


そして、最終的には星民自身が投票する。


能力だけでも、人気だけでも決まらない。


少なくとも、制度としてはよく考えられている。


「面白いな」


「そうか?」


「地球にも似た仕組みはあったが、ここまで徹底してはいなかった」


「地球?」


男は一瞬、言葉を止めた。


「ああ……遠いところにある星の話だ」


「君は、空想が好きなんだな」


「まあ、物語を書くのが好きでね」


グァルは、興味なさそうにそれ以上は追及しなかった。


男は、ほっとした。


不用意な発言には気をつけなければならない。


この星で暮らすと決めた以上、余計な疑念を持たれるのは避けたかった。


*


さらに驚いたのは、この社会の治安だった。


「犯罪がない?」


「ああ」


「何千年も?」


「記録上、重大な犯罪は確認されていない。争いについても同じだ」


男は、思わずグァルを見つめた。


「一度も?」


「いや。歴史の初期には、争いも犯罪もあったそうだ。だが、現在の社会が成立してから、そうしたものはなくなった」


男は、しばらく考え込んだ。


犯罪がない。


争いもない。


しかも、数千年にわたって。


地球の歴史を知る彼にとって、それは簡単には信じられない話だった。


もちろん、制度がある以上、意見の違いや利害の対立は存在するだろう。


それでも、暴力や犯罪に発展しない。


それが、この星では当たり前になっている。


「どうして、そんなことが可能なんだ?」


「さあ。私も詳しいことまでは知らない」


グァルは端末を操作した。


「ただ、学校では必ず教えられる話がある」


画面には、古い時代の記録が表示された。


「祖の話だ」


*


彼らの祖は、特別な存在だった。


神ではない。


超常的な力を持っていたわけでもない。


彼らが祖と呼ぶのは、歴史上の1人の人物だった。


その名は、ヌァル=クェシェル=ヴァル・エルディアシュ。


初代星王。


賢者と呼ばれた人物である。


彼は、生まれつき身体が不自由だった。


脚がうまく機能せず、自力で移動することができなかったという。


彼らの祖先は、もともと非常に交戦的な生物だった。


何でも食べる。


食べられるものを見つければ、根こそぎ食べ尽くす。


その土地の食物が尽きれば、別の土地へ移動する。


移動先でも、同じことを繰り返す。


食料が豊富なうちは、それでも生きていけた。


しかし、個体数が増えれば、食物はすぐに不足する。


土地は荒れ、食料を巡る争いが起きる。


やがて集団は分裂し、互いに奪い合い、弱い集団から滅びていった。


長い目で見れば、彼らは自分たちの生存環境を、自ら破壊していたのだ。


そんな時代に生まれた彼は、若い頃から苦労した。


自分で食料を探しに行くことも、他の個体と同じように狩りをすることもできない。


周囲から助けられることもあったが、いつまでも誰かに頼って生きられるわけではなかった。


彼は考えた。


どうすれば、自分の力で生きられるのか。


どうすれば、食料を安定して得られるのか。


どうすれば、他者に頼りきらずに暮らせるのか。


そして、彼は学び始めた。


*


最初に彼が身につけたのは、計画的な狩猟だった。


獲物を追いかけることができないなら、獲物が通る場所に罠を仕掛ければいい。


一度に大量の獲物を捕らえるのではなく、必要な分だけを確保する。


食料が尽きる前に、次の収穫を準備する。


さらに彼は、植物を育てる方法を覚えた。


種をまき、成長を待ち、収穫する。


土地を荒らさず、次の季節にも食料が得られるようにする。


最初は、周囲の者たちも彼のやり方を理解しなかった。


目の前に食物があるのに、なぜ全部食べないのか。


獲物がいるのに、なぜ捕らえられるだけ捕らえないのか。


今すぐ得られる利益を捨てて、未来のために行動する。


それは、彼らの祖先にとって不自然な考え方だった。


だが、彼の周囲では少しずつ変化が起きた。


食料が安定した。


無駄な移動が減った。


土地が荒れにくくなった。


そして、食料を奪い合う必要も少なくなった。


彼は、さらに考えた。


空を観察し、星の位置を記録した。


天候の変化を調べ、季節の移り変わりを予測した。


やがて暦を作り、狩猟や農作に適した時期を判断できるようになった。


個々の経験に頼っていた知識は、記録され、共有されるようになった。


彼の知識は、彼だけのものではなくなっていった。


*


しかし、彼が本当に重要だと考えていたのは、狩猟や農作の技術だけではなかった。


協調だった。


一人でできることには限界がある。


誰かが食料を確保し、誰かが土地を管理し、誰かが記録を残す。


それぞれが役割を持ち、互いの知識を共有する。


そうすれば、一人ではできないことも可能になる。


彼は、身体が不自由だったからこそ、他者の力を借りなければ生きられなかった。


そして、他者の力を借りるには、相手にも利益がなければならないことを知った。


一方的に奪うだけでは、協力は長続きしない。


相手を利用するだけでも、いずれ関係は壊れる。


互いが生き残れる仕組みを作る。


そのためには、個々の欲求だけでなく、集団全体の未来を考えなければならなかった。


彼の考えに賛同する者が増えていった。


食料を安定して得られる集団は、そうでない集団よりも生き残りやすかった。


知識を共有する集団は、災害や環境の変化にも対応できた。


争いを減らした集団は、同じ相手と長く協力し続けられた。


彼らの暮らしは、少しずつ変わっていった。


それでも、すべてが順調だったわけではない。


古いやり方を捨てられない者もいた。


他者の成果を奪おうとする者もいた。


協調を拒み、自分だけの利益を求める者もいた。


彼の考えが広がるまでには、長い年月と多くの犠牲が必要だった。


やがて、彼の周囲には、知識を学び、記録を残し、集団をまとめる者たちが集まるようになった。


彼らは食料の生産だけでなく、教育や法律、行政に相当する仕組みを整えていった。


次の世代には、その仕組みが受け継がれた。


そして、その次の世代へ。


少しずつ、社会全体が変わっていった。


*


彼は、後世の人々から賢者と呼ばれるようになった。


彼の教えは、単なる知識ではなかった。


生き残るためには、目先の利益だけを追ってはいけない。


自分だけが豊かになっても、周囲が滅びれば、その豊かさも長くは続かない。


他者を理解し、知識を共有し、未来のために行動する。


その積み重ねが、集団を強くする。


彼らは、そうした考え方を社会の基盤に据えた。


もちろん、彼が1人で文明を作り上げたわけではない。


彼の考えに賛同し、実践し、発展させた無数の個体がいた。


失敗もあった。


犠牲もあった。


古い価値観との衝突もあった。


だが、長い時間をかけて、彼らは少しずつ変化していった。


祖先が持っていた攻撃性は、次第に弱まっていった。


他者との協調を重視し、知識を求め、問題を暴力ではなく話し合いや研究によって解決しようとする傾向が強くなった。


社会に適応し、協調的に生きる個体が生き残りやすくなったことも、その変化を後押ししたのだろう。


さらに、世代を重ねる中で、彼ら自身の性質も変わっていった。


単なる教育だけでは説明できないほど、社会全体の気質が変化していた。


彼らは、自分たちの祖先が築いた仕組みを守り、発展させていった。


たった数百年という恐ろしい速さで星をまとめた奇跡の人。


初代星王。


賢者、ヌァル=クェシェル=ヴァル・エルディアシュ。


彼の名は、今も歴史の中に残されていた。


そして、3つの惑星に広がった文明を束ねるため、星王制度が形を変えた。


*


男は、記録を読み終えた。


「……なるほどな」


思わず、そんな言葉が漏れた。


この星の社会は、最初から平和だったわけではない。


争いがあった。


犯罪もあった。


食料を奪い合い、土地を荒らし、集団同士で殺し合っていた時代もあった。


そこから、彼らは変わった。


長い時間をかけて、社会の仕組みを整えた。


教育を重視し、協調を教え、知識を共有した。


そして、その価値観が世代を越えて受け継がれていった。


彼らの社会は、地球から見れば、ほとんど完全なものに思えた。


王政でありながら、血統による支配ではない。


優れた能力を持つ者を育て、実績を評価し、星民の投票によって王を選ぶ。


その王も、独断で全てを決めるわけではない。


各惑星の代表者と協力しながら、文明全体を運営する。


そして、数千年にわたって争いも犯罪もない。


これほどの社会を築き上げた彼らは、確かに尊敬に値する。


だが、男には分かっていた。


地球人が、この仕組みをそのまま真似できるとは限らない。


人間は、長い進化の過程で競争と淘汰を繰り返してきた。


自分の利益を守り、資源を奪い合い、集団の中で優位に立とうとする性質も、その歴史の中で形作られてきた。


もちろん、人間にも協調性はある。


他者を助け、仲間を守り、社会のために自分を犠牲にすることさえある。


それでも、長い歴史の中で培われた性質は、制度を変えただけで簡単に消えるものではない。


この星の人々は、何千年もの時間をかけて、社会と生物としての性質を変えてきたのだ。


それを、地球人が同じように実現できるか。


男には分からなかった。


「すごいな、彼らは」


男は、端末を閉じた。


*


その日の帰り道、男はグァルの住居に立ち寄った。


小さな個体は、以前よりも活発に動いていた。


グァルは、その様子を見守っている。


「歴史を読んだよ」


男が言うと、グァルは嬉しそうに触角を揺らした。


「そうか。祖のことも読んだか?」


「ああ。賢者と呼ばれる理由が分かった気がする」


「私たちにとっては、当たり前の歴史だけどな」


「当たり前、か」


男は、小さな個体を見た。


この子も、いずれ成長する。


知識を学び、社会の規範を身につけ、独立していく。


そして、次の世代へと何かを伝えていくのだろう。


その積み重ねが、今の社会を作った。


「君たちは、いい星に生まれたな」


男がそう言うと、グァルは少し考えた。


「そうかもしれない」


それから、穏やかに続けた。


「だが、今の社会が当たり前になったのは、私たちが何もせずに手に入れたからではない。昔の者たちが、長い時間をかけて作ったものだ」


男は、うなずいた。


「そうだな」


彼らの平和は、偶然に与えられたものではなかった。


無数の個体が生き、学び、失敗し、考え、積み上げてきた結果だった。


その過程では、数えきれないほどの命が失われたのだろう。


だからこそ、彼らは平和を当然のものとして扱いながらも、それを維持する仕組みを大切にしているのかもしれない。


男は、窓の外に目を向けた。


この星の文明は、まだ観察し始めたばかりだ。


彼らがどのように生き、何を守り、何を未来へ残そうとしているのか。


もう少し、見てみたくなった。


「グァル」


「なんだ?」


「また、いろいろ教えてくれないか」


「私でよければ」


グァルは答えた。


その足元では、小さな個体が食物を口に運んでいた。


男は、それを見ながら思った。


この子が成長し、独り立ちする頃。


この星は、どんな姿になっているのだろう。


そして、自分はその時、何を見ているのだろう。


答えは、まだ分からなかった。

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