第6話-甘えたいとは言ってない!!
その日のロジーは、朝から情報班の職員にくっついていた。
正確には、情報班の職員の左腕に、両腕を絡めていた。
ぎゅう、と強く抱きついているわけではない。
肩から腕にかけて身体を預け、ぴっとりと隙間なく張りついている。
「第三観測区の受信記録、昨日の十八時十二分から欠損してるように見えるけど、これ欠損じゃないよ。観測対象が一時的に位相境界の外へ出てる」
ロジーは、くっついたまま空中の資料を指した。
職員は右手で端末を操作する。
「観測機器の異常ではないんですね」
「うん。機器は正常。だから保守申請はいらない。こっちを空間変動記録に統合して、調査班へ回して」
「了解しました」
「あと、昨日提出された惑星政府の報告書、時刻表記が現地標準時と監理局標準時で混ざってる。直さないと事故るよ」
「変換表を作ります」
「もう作った!」
ロジーの頭上に浮かぶデバイスから、小さな資料画面が開いた。
必要な時刻はすべて変換済み。
参照元も、誤記の可能性がある箇所も、すでに色分けされている。
職員は資料を受け取った。
「ありがとうございます」
「どういたしまして!」
明るい声だった。
いつものロジーだった。
ただし、身体はずっとくっついたままだった。
職員が資料棚へ移動すれば、ロジーも横歩きでついていく。
職員が立ち止まれば、ロジーも止まる。
別の職員から質問されれば、腕に絡みついたまま顔だけを向ける。
「ロジー、失踪船舶の乗員名簿について確認したいんですが」
「いいよ! 第二資料群の七番! でも現地登録名と保険加入名が違う人が三人いるから、同一人物として統合しないで!」
「三人の識別情報は?」
「今出す!」
何も滞らない。
むしろ、普段より少し処理が速い。
情報班の職員たちは、ロジーが腕にくっついていることについて、誰も何も言わなかった。
大人アピール。有能アピール。ちゃんとした職員アピール。
情報班では、普段から騒がしいほど自分を立派に見せたがるロジー。
今日は違う。
全員が気づいていた。
朝の業務開始時から気づいていた。
けれど、
どうしたんですか。
今日は甘えたいんですか。
寂しいんですか。
そんな言葉を一つでも出した瞬間、ロジーはきっと大きな声を出す。
「別に寂しくないけど!?」
「甘えてないけど!?」
「あなたたちより大人なんですけど!?」
たぶん、そのまま長い説明が始まる。
下手をすれば、本人も意識していなかった理由を探し始める。
今は円滑に仕事をしている。
業務にも支障はない。
なら、触れない方がいい。
情報班は、そう判断した。
もっとも、判断を共有する必要すらなかった。
別の職員が資料を持って近づき、ロジーがくっついている腕を一度だけ見た。
職員と目が合う。
互いに小さく頷く。
それで終わった。
◇
昼休み。
食堂のいつもの席には、先にレトが座っていた。
「ロジー、こっち!」
レトが大きく手を振る。
ロジーは食事のトレーを持って、レトの隣へ座った。
かなり近かった。
椅子と椅子の間に隙間はある。
それなのにロジーは椅子の端へ寄り、レトの肩に自分の肩を触れさせていた。
「今日の主菜、丸い!」
ロジーが皿を指す。
「ほんとだ!」
レトも覗き込んだ。
「これ、なに?」
「野菜とお肉を混ぜて丸めて焼いたもの!」
「なんで丸くしたの?」
「丸い方がかわいいからじゃない?」
「そっか!」
正しいかどうかは分からない。
二人はそれで納得した。
少し遅れて、エルが向かいの席へやってきた。
白髪のボブの毛先を淡いピンクに揺らしながら、ロジーとレトを見る。
「近いね」
「近いよ!」
ロジーが答えた。
レトも頷く。
「うん、近い!」
それだけだった。
三人は普通に食事を始めた。
ロジーは今日あった業務の話をする。
「観測記録の時刻がね、三種類も混ざってたの! 現地標準時と監理局標準時と、昔使われてた航行基準時!」
「三つも時間があるの?」
レトが驚く。
「時間は一つだけど、数え方が三つ!」
「じゃあ一つにすればいいのに」
「ほんとにそう!」
エルは丸い主菜を箸でつついていた。
「これ、転がる」
「食べ物だから転がして遊んじゃだめだよ」
レトが注意する。
「転がしてない。動きを見てる」
「それも遊んでるんじゃない?」
「観察」
「ロジーと同じこと言ってる!」
会話はいつも通りだった。
ロジーの肩だけが、ずっとレトの肩に触れている。
レトは何度か、隣を見た。
ロジーは楽しそうに喋っている。
いつも通り。
でも、近い。
とても近い。
レトは少しだけ黙った。
考え込んだわけではない。
ロジーが何を求めているのか察したわけでもない。
ただ、肩が触れているうちに、急にそうしたくなった。
レトは箸を置いた。
「ロジー!」
「なに?」
ロジーが振り向く。
その身体を、レトがぐいっと引き寄せた。
「わっ!」
小柄なロジーが、レトの胸元へ収まる。
レトは両腕を回し、ぎゅうっと抱き締めた。
「わたしがしたいの!」
ロジーは目を丸くした。
「何も聞いてないけど!?」
「でも、わたしがしたくなった!」
「そっか!」
「うん!」
レトは満足そうに、さらに腕へ力を込めた。
ロジーの頬がレトの肩に押しつけられる。
「レト、ちょっとくるしい!」
「じゃあ、これくらい?」
「それくらい!」
二人だけがくっついている。
エルは向かいの席から、それを見ていた。
少しだけ首を傾げる。
レトがロジーを抱いている。
ロジーも離れようとしていない。
二人とも楽しそう。
なら、自分もやりたい。
エルは椅子を降りた。
小さな足取りでテーブルを回り、ロジーの反対側へ来る。
「エル?」
ロジーが顔を向ける。
エルは何も説明せず、ロジーの脇へ両腕を回した。
ぴと。
反対側から抱きつく。
「二人だけ、くっついてた」
「あはは! エルも来た!」
「うん」
ロジーは、レトとエルの間に挟まれた。
右からレト。
左からエル。
二人の体温が、両側から伝わってくる。
レトは人間より少し温かい。
エルはふわりと軽く、抱き方も緩い。
ロジーは一度だけ目を閉じた。
エルが、ロジーの顔を近くから見た。
「ロジー、今日、ちょっとだけ変」
「えっ」
ロジーが目を開く。
「どこが!?」
「分からない」
エルは正直に答えた。
「でも、ちょっとだけ」
「私いつも通りだよ!」
「うん。いつも通りで、ちょっとだけ変」
「難しい!」
「難しいね」
エルはそれ以上考えなかった。
レトも聞かなかった。
ロジー自身も、理由を探さなかった。
三人はしばらく、そのままでいた。
食堂を通りかかった職員が、三人を見る。
レトとエルに両側から抱き締められたロジー。
視線が合った。
ロジーは少しだけ得意げな顔をした。
職員は何も言わず、静かに通り過ぎた。
触れない方がいい。
食堂でも判断は同じだった。
◇
昼休みが終わる。
ロジーは情報班のオフィスへ戻ってきた。
「ただいまー!」
「おかえりなさい」
情報班主任は、自席で午後の処理計画を確認していた。
「ロジー、午後は未整理資料の分類からお願いします。優先度は――」
「これでやる!」
ロジーは主任の隣まで駆け寄った。
そして、ごく自然に主任の膝へ座った。
何の確認もなかった。
主任の足の間に収まり、背中を主任の身体へ預ける。
頭上のデバイスが作業画面を展開した。
「午前中に届いた未整理資料、全部で六百三十二件! 重複が百七件、分類間違いが二十八件、提出先不明が九件!」
ロジーはさっそく作業を始めた。
主任は一度だけ、自分の膝に座ったロジーを見下ろした。
ロジーはもう仕事に集中している。
「最優先は?」
主任が尋ねる。
「敵性存在の移動記録! 次が神性存在兆候! その次が惑星政府からの緊急照会! 古い備品台帳は後!」
「期限順ではありませんね」
「危険度と確認に必要な時間で並べ替えた! 期限順だと緊急照会の裏にある敵性存在記録を後回しにしちゃうから!」
「妥当です。続けてください」
「はーい!」
主任はそれ以上、何も言わなかった。
ロジーも当然のように膝へ座り続けた。
資料が次々と整理されていく。
重複記録が統合される。
誤分類が修正される。
不足している参照元には問い合わせが飛ぶ。
機密区分の異なる資料は、自動的に分離される。
主任はロジーの頭越しに画面を確認し、必要な指示だけを出す。
「その記録は調査班にも共有を」
「もう共有範囲に入れた!」
「この証言は裏づけが必要です」
「関連する入港記録をつけた!」
「こちらは?」
「古い! 最新版がある!」
仕事は順調だった。
周囲の職員たちも、誰も何も言わない。
朝は腕。
午後は主任の膝。
そういう日なのだろう。
主任も、ロジーを降ろそうとはしなかった。
ただ、ロジーが画面を見るために身を乗り出しすぎた時だけ、落ちないように腰へ片腕を添えた。
ロジーは気づかず、次の資料を開く。
「これで最後!」
六百三十二件目。
分類。
照合。
参照元確認。
共有範囲設定。
処理完了。
頭上のデバイスに、大きな完了表示が浮かんだ。
ロジーは両腕を上へ伸ばした。
主任の膝の上で大きく背伸びをする。
朝から誰かにくっついて。
昼にはレトとエルに挟まれて。
午後は主任の膝で仕事をして。
胸の奥にあった、名前の分からない小さな隙間は、いつの間にかなくなっていた。
ロジーは振り返り、主任を見上げた。
満面の笑顔で、すっきりと言った。
「だいまんぞく!」




