第47話-副長はなんでいつも楽しそうなの?
惑星監理局の廊下で、副長が笑っていた。
声を上げて笑っているわけではない。監理班の職員から報告を受けている時も、手に持ったタブレットへ何かを入力している時も、口元には薄い笑みが浮かんでいる。
急いでいるようには見えない。困っているようにも、苛立っているようにも見えない。いつ見ても、少しだけ楽しそうだった。
中庭へ向かう途中だったレトは、副長の背中を見つめながら足を止めた。
「副長って、いつもにこにこしてるよね」
隣を歩いていたロジーも、副長へ目を向ける。
「してるね。笑顔のまま、逃げ道のない指示を出すよ」
「そんなに楽しいことでいっぱいの生活なのかな?」
レトの疑問は真剣だった。
戦闘班の訓練には痛いこともある。任務へ出れば怖いこともあるし、失敗すれば反省しなければならない。ジェレミーは局長室で難しい報告書を読んでいることが多く、職員たちも、ときどき疲れた顔で食堂へやってくる。
それなのに、副長はいつ見ても笑っていた。
エルも、廊下の向こうへ遠ざかる副長をじっと見た。
「楽しいこと、見つけるのが上手なのかも」
「それだ!」
レトは両手を合わせた。
「副長が何をしてるのか見たら、楽しいことが分かるかもしれない!」
ロジーの頭上に浮かぶデバイスが、すぐに大きな文字を表示した。
副長観察会
「いつも笑顔の大人、その秘密に迫る!」
「記録するの?」
「本人の許可を取ってないから、今日は撮影なし。目と記憶だけで観察します!」
そう言いながら、デバイスには一瞬だけ撮影用の枠が出た。ロジーは名残惜しそうにそれを閉じる。
エルは小さく手を上げた。
「あたしも、見る」
三人が顔を寄せ合い、副長に見つからない距離を相談している間にも、観察対象は廊下の角へ消えかけていた。
「行っちゃう!」
レトが慌てて追いかけ、ロジーとエルもそのあとに続いた。
最初に副長が立ち止まったのは、中央廊下だった。
作業用端末を抱えた技術班の職員が、小走りで近づいてくる。
「副長、第三訓練室の観測装置に誤差が出ています。魔力計測値が、実測より四パーセントほど高く表示されています」
「使用履歴は確認しましたか?」
「戦闘班の訓練終了後からです。ただ、機材の故障か、残留魔力の影響かはまだ判別できていません」
副長は手元のタブレットへ視線を落とし、すぐに答えた。
「原因が確定するまで、第三訓練室の使用を停止してください。午後の訓練は第一訓練室と第五演習区画へ振り分けます。観測装置を先に交換すると原因まで失う可能性がありますので、現状を保存したまま魔術制御部へ連絡を」
「分かりました」
「戦闘班への連絡はこちらで行います。あなたは原因の切り分けを優先してください」
職員は頷き、来た時と同じ速さで廊下を戻っていった。
壁際の柱から顔だけを出していたレトが、声を潜める。
「歩いて、お願いして、何か書いた」
「お願いじゃなくて、訓練室の使用停止命令だよ」
ロジーが訂正する。
「副長って、あれが仕事なの?」
「事故が起きる前に訓練室を止めて、原因を残したまま調査させて、代わりの訓練場所まで決めたの。今の、結構すごいよ」
「でも、歩きながらだったよ」
「副長は、だいたい歩きながら何か処理してるからね」
副長はすでに次の場所へ向かっていた。
三人は柱から柱へ移り、植木の陰を通り、通路の装飾台を盾にしてあとを追う。エルは隠れるたびに身体の半分ほどが外へ出ていたが、本人は完全に隠れているつもりらしい。
次に副長を呼び止めたのは、外務班の職員だった。
「副長、連携機関への回答案です。三案まで絞りました」
副長はタブレットへ送られた文書を確認する。
「第一案は要求が強すぎます。こちらの正当性は伝わりますが、相手側が受け入れられる余地がありません。第三案は譲歩が多く、現地支部の独自判断を止められない。第二案が最も適切ですね」
「では、第二案を採用でよろしいですか?」
「ええ。ただし、第一案にある調査権限の範囲と、責任者の明示だけは第二案へ移してください」
職員は該当箇所を確認した。
「修正後、念のため第四案も作成しましょうか」
「必要ありません。第四案を増やす時間があるなら、第二案を完成させてください。選択肢の数と、判断の質は別のものです」
「承知しました」
「提出前に、別の職員へ一度読んでもらうように。あなたは同じ文章を見すぎています」
「そこまで疲れている顔をしていましたか?」
副長の笑みが、ほんの少しだけ深くなった。
「顔ではありません。第二案の末尾に、同じ一文が二度書かれています」
職員は目を見開き、慌ててタブレットを確認した。
「……本当だ」
「新しい外交作法でなければ、休憩を推奨します」
「違います。休憩してきます」
「賢明です」
職員が去ると、副長は何事もなかったように歩き始めた。
隠れていたレトは、自分の口元へ指を当てた。
「今の!」
「なに?」
「職員さんをからかった時、副長、いつもよりここが上がった!」
「口角?」
「うん。さっきより楽しそうだった!」
エルも、副長の横顔をじっと観察する。
「ほんとだ。少し上がった」
レトの目が輝いた。
「あれが副長の楽しいことなんだ……」
重大な秘密へ辿り着いたような声だった。
「人をからかうのが、副長の楽しいことなんだよ!」
ロジーは一瞬だけ黙った。
完全な間違いとは言い切れなかった。
「だから、いっぱい職員さんに話しかけてるんだ。きっと、からかうために話しかけてるんだよ!」
「仕事の指示が先だからね?」
「でも、最後にからかった!」
「そこは否定できないけど!」
エルは、遠ざかる副長のタブレットを見つめた。
「あの板は、からかえる人の一覧?」
「案件管理用のタブレット!」
「からかい案件」
「普通の案件だよ!」
ロジーは、副長の仕事を二人へきちんと説明しようとした。
訓練室の使用停止も、外部機関への回答も、対応が遅れれば別の部署や惑星を巻き込む急務である。副長は暇だからゆっくり歩いているのではない。優先順位を瞬時に整理し、周囲を慌てさせずに処理している。
冗談も、ただ相手を困らせるためではない。疲れている職員に自分の状態を気づかせ、失敗を責めずに次の行動へ切り替えさせている。
ロジーは、そういう副長をかなり尊敬していた。
だから説明しようと、レトの肩を軽く叩く。
「レト、副長がやってるのはね――」
そこで、ロジーは言葉を止めた。
エルが、いつの間にかタブレット状のものを持っていた。
乳白色の板の縁には小さな星が並び、角から柔らかそうな雲の飾りが垂れている。先ほどまでは持っていなかったので、たった今作ったらしい。
「エル、それなに?」
レトが覗き込む。
「おしごとの板。副長、ずっと持ってるから」
表面には、丸みを帯びた文字が並んでいた。
エルのおしごとリスト
・ましゅまろみたいな枕を作る
・ロジーにためしてもらう
・レトもつかう、あたしもつかう
・しあわせになる
エルは二人へ画面を向けた。
「急ぐ仕事」
レトは大きく頷く。
「最優先だよ!」
「最後の項目まで目的が明確。かなり良い業務計画だね」
ロジーまで真剣に評価する。
レトは、自分も副長の真似をしたくなった。
両手の間に透明な硝子質の魔力が集まり、薄い硝子板を形作る。ロジーのデバイスやエルの魔法アイテムのように細かな情報を表示することはできないが、硝子の内部には青白い熱が封じられている。
レトが指先を動かすと、熱がゆっくりと移動し、大きな文字になった。
ふくちょうのまね!!
「できた!」
「業務内容じゃなくて、遊びの名前しか書いてないよ」
「一番大事だからいいの!」
ロジーも頭上のデバイスからホログラムを展開した。複数の入力欄と細いグラフが並び、何か重大な情報を処理しているように見えるが、表示内容はすべて架空だった。
「では、副長業務模倣訓練を開始します!」
レトは硝子板を片腕で抱え、背筋を伸ばした。副長らしい余裕を出そうとしているのか、口元に薄い笑みを作る。ただし力を入れすぎて、少し悪そうな顔になっていた。
「エル、ましゅまろ枕を用意してください。最優先です!」
エルはタブレットを胸元に抱え、先ほどの職員の真似をする。
「至急、用意します」
レトはさらに副長らしく、落ち着いた声を作った。
「明日の朝の目覚めは、エル、あなたにかかっています」
「責任が重い」
エルは神妙な顔で頷いた。
ロジーが架空の報告を上げる。
「副長、枕の試作品が十二個あります! 全部かわいくて選べません!」
「全部採用です」
「保管場所がありません!」
レトは、先ほどの副長の口元を思い出し、少しだけ口角を上げた。
「ロジーの部屋には、まだ置けますね」
「からかった!」
「副長っぽいでしょ!」
エルもタブレットへ新しい項目を追加する。
・ロジーの部屋に十二個置く
「エルまで!」
レトは嬉しそうに笑った。
「やっぱり、人をからかうと楽しいね!」
ロジーは、副長の仕事について説明するのをやめた。
大人の余裕で監理局全体の急務を処理している副長が、その余裕のせいで三人から「からかえる人を探しながら歩いている人」だと思われている。
そのほうが圧倒的に面白かった。
副長観察会は、その後も少しだけ続いた。
副長は廊下を歩き、監理班の職員から報告を受け、作業の優先順位を変更した。別の職員には不足している資料を指摘し、最後に小さな冗談を添えて送り出した。
そのたびに、副長の口角はほんの少しだけ上がった。
レトはすっかり納得していた。
やがて副長は、監理班のオフィスへ入っていった。
扉が閉じたのを確認し、レトは緊張を解いて大きく息を吐く。
「観察終了!」
「では、最終結論をどうぞ」
ロジーが促す。
レトは硝子板を抱え直し、胸を張った。
「副長は、困ってる職員さんを見つけて、お仕事の指示を出します」
「うん」
「そのあと、からかいます」
「順番としては間違ってないね」
「つまり副長は、お仕事をしながら、からかえる人を探してるんだよ!」
エルもタブレットを見ながら頷いた。
「副長の楽しいことは、人をからかうこと」
三人は一仕事終えた満足感とともに、中庭へ戻ろうと振り向いた。
すぐ後ろに、副長が立っていた。
足音はなかった。声もなかった。先ほど監理班のオフィスへ入ったはずなのに、いつの間にか三人の背後へ回り込んでいる。
口元には、今日いちばん深い笑みが浮かんでいた。
エルの肩が大きく跳ねる。
「ひゃっ」
レトは硝子板を胸へ抱え込み、廊下中へ響く声で叫んだ。
「副長ーーっ!?」
ロジーだけは一歩下がりながら、状況確認を優先した。
「叱られ案件?」
「いいえ」
副長は穏やかに答えた。
「あなたたちがずっと尾行してきたので、お返しです」
ロジーは副長を指さした。
「大人げない!」
「あなたたちに合わせました。子供の仕返しです」
「自分で子供の仕返しって言った!」
レトは頬を膨らませ、足を踏み鳴らす。
「もうっ! 副長のいじわる!」
エルは驚いて上がった両手をゆっくり下ろし、何事もなかったような顔を作った。
「ぜんぜんびっくりしなかった。ほんとだよ」
「そうですか」
「ほんとだから」
「承知しました」
それ以上追及されなかったため、エルは逆に不満そうな顔になった。
「信じてない言い方」
「信じていますよ」
「口角が上がってる!」
レトが指摘した。
副長はレトを見る。
「よく見ていますね」
「やっぱり!」
レトは硝子板を抱えたまま、副長を指さした。
「副長の楽しいこと、分かったよ。人をからかうことなんでしょ!」
「それは否定しません」
即答だった。
ロジーが声を上げる。
「否定しないんだ!」
「楽しいものは楽しいですから」
「ほら!」
レトは勝ち誇ったが、すぐに首を傾げた。
人をからかう時、副長の笑みが少し深くなることは分かった。しかし副長は、誰もからかっていない時にも笑っている。
最初に抱いた疑問は、まだ全部は解けていなかった。
「でも、副長は、なんでいつも楽しそうなの?」
副長は、三人を見渡した。
「あなたたちがいるからですよ」
「えっ……」
レトの怒った顔が、一瞬で崩れた。
ロジーの頭上デバイスが、音を立てずに録画を開始する。
エルは副長を見上げた。
「あたしたちがいると、楽しい?」
「ええ。あなたたちがいると、局内の騒音と報告外案件が増えます」
「悪いことみたいに言った!」
レトが抗議する。
副長は気にせず続けた。
「ですが、廊下で声が聞こえている間は、三人とも無事だと分かります。静かな時には、何かを企んでいないか確認する楽しみもある。以前の私は、廊下を歩きながら次の問題だけを考えていましたから、悪くない変化です」
ロジーが口元を緩める。
「それ、ものすごく遠回しに言ってるけど、私たちと過ごす日常が楽しいってことでしょ」
副長は少しだけ口角を上げた。
「要するに、そういうことです」
レトは硝子板へ顔を半分隠し、落ち着かない様子で足先を寄せた。
「じゃあ、明日も騒がしくしていい?」
「規則の範囲内でお願いします」
「規則の範囲内なら、いっぱい?」
「その言い方をされると不安になりますね」
エルは自分のタブレットを見下ろし、仕事の一覧へ新しい項目を一つ追加した。
・副長を楽しくする
副長はその文字を確認し、いつもの笑顔で答えた。
「その仕事は、すでに完了しています」




