第44話-本格おままごとセット!
二週間後。
最初にそれを見つけたのは、ロジーだった。
惑星監理局、情報班の休憩スペース。ロジーは椅子へ深く座り、頭上のデバイスから展開した商品情報を眺めていた。
ホログラムに映っていたのは、流し台や作業台、コンロ、オーブンまで備えた子供用のキッチンだった。鍋やフライパンも付属しているが、飾って遊ぶだけの商品ではない。
説明欄には、はっきりと記されていた。
『実際に調理可能。安全制御付き本格ミニキッチン』
ロジーは実物大表示へ切り替えた。
半透明のキッチンが、休憩スペースの床から立ち上がる。作業台は身長百三十六センチのロジーが立てば、腰より少し上に届く高さだった。上部の棚まで含めれば胸元を越え、横幅も小さな家具と変わらない。
子供用のおままごとセットではある。
ただし、かなり本格的で、かなり大きい。
ロジーは椅子から跳ね上がった。
「レト!」
少し離れたテーブルで飲み物を選んでいたレトが振り返る。
「なに!?」
「これ!」
レトは駆け寄り、実物大で表示されたキッチンを覗き込んだ。淡緑色の髪が肩から滑り、エメラルドグリーンの瞳が一気に輝く。
「……小さいキッチン」
「そう! でも、ロジーちゃんが使うとちょうどいい大きさ!」
ロジーは作業台の前へ立ち、両手を置く仕草をした。表示だけなので手は透過したが、高さはたしかに使いやすそうだった。
「レトなら少し低いけど、普通に使える。エルにも合う。しかも、ほんとに料理できる!」
「おままごとなのに?」
「本格おままごと! 低温加熱式のコンロと、安全制御付きのオーブン! 循環式の水道も付いてる!」
レトは小さな鍋の表示へ手を伸ばし、それから真剣な顔でロジーを見た。
「これで、パンケーキ作れる?」
「作れる」
「クッキーは?」
「オーブンがあるから作れる」
「プリンは?」
「蒸す方式なら、たぶんいける」
レトは両手を握った。
「ロジー」
「はい」
「これは任務だね」
ロジーのデバイスに、新しい記録画面が開いた。
「作戦名!」
二人はほとんど同時に叫んだ。
「本格おままごと調理設備確保作戦!」
休憩スペースの端にいた情報班職員が、飲みかけのコーヒーを静かに机へ戻した。
ロジーは購入ページを開き、仕様と在庫を並べていく。
「候補はキャンディピンク、ミルクホワイト、彗星シルバー。写真だけならピンクが圧倒的にかわいい」
「彗星シルバー……」
「レトはそう言うと思った」
「わたしたちのために作ったのかな」
「メーカーはレトのこと知らないと思う」
「知らないのに?」
「知らないのに」
レトは少し考えたあと、表示されたキッチンをもう一度見た。
「じゃあ、すごい偶然だね」
ロジーのデバイスが購入会議の記録を作り始める。
本格ミニキッチン購入会議。
議題一、買うか買わないか。
結論、買いたい。
議題二、どの色にするか。
結論、現物確認が必要。
「レト、明日の一般区域外出枠、まだ空いてる」
「お出かけできるの?」
「外務班の職員さんが一緒に行ける日。申請は必要だけど、店舗も正規契約先だし、現物確認の理由もある」
レトはホログラムを閉じるより早く歩き出した。
「申請しよう!」
「待って、商品情報を添付する!」
二人は廊下へ出ると、早足で外出申請窓口へ向かった。走ってはいない。ロジーのデバイスが「歩行速度上限付近」と表示していたが、警告ではないので無視した。
窓口では、外務班の職員が申請内容を確認した。
「生活学習用小型調理設備の購入。現物の高さ、安全制御、付属品の材質を確認したい、と」
「あと写真映え」
ロジーが付け加えた。
「審査項目には入れません」
「大事なのに」
職員は人員配置を開いた。画面上では同行担当、周辺警護、回収待機の欄が順に確認され、すべてが使用可能へ切り替わった。
三人が一般区域へ出る際には、そばを歩く職員のほかにも人員が配置される。本人たちは知らないままだが、監理局にとっては特別な判断ではなく、いつもの外出手順だった。
「明日の枠なら申請できます。エルさんも一緒ですか?」
「これから誘う!」
「では、三名分で提出してください。集合時間に遅れないように」
「はい!」
外務班の職員は申請を受理し、二人へ確認票を返した。
「エルさんにも、明日の予定をきちんと説明してください」
ロジーがレトを見る。
「たぶん最初に、作るって言うね」
「言うと思う」
その予想を確信したまま、二人は中庭へ向かった。
エルはベンチに座り、花壇へ集まった小さな鳥を眺めていた。レトとロジーが近づくと、白髪の毛先を揺らして顔を上げる。
「エル、おでかけしよう!」
「買い物!」
レトが商品情報を見せると、エルは実物大表示をじっと見た。ロジーとほとんど変わらない高さの作業台に、流し台とコンロ、オーブンが並んでいる。
「大きい、おままごと」
「ほんとに料理できるんだよ!」
ロジーは、いつ「作る?」と言われても止められるように身構えていた。
エルは三色のキッチンを順番に見てから、立ち上がった。
「行く」
「え?」
ロジーの口が開いた。
エルは小さな鳥たちから離れ、レトの隣へ並ぶ。
「あたしも、お買い物行く」
ロジーの頭上でデバイスが素早く回転し、新しい記録画面が開いた。
「エルが成長してる! 買い物に誘われて、作るって言わなかった!」
「ほんとだ!」
レトも驚いた顔でエルを見る。
エルは少しだけ眉を寄せた。
「作るのと、買うのは別」
「分かってたの!?」
「分かってるよ」
エルはホログラムに映ったミニキッチンへ手を伸ばした。
「あたし、お買い物楽しみ」
レトは嬉しそうにエルの手を取り、ロジーも反対側から腕を組んだ。
それから三人は、申請が承認される前からホログラムの色を何度も入れ替え、棚へ何を置くかを勝手に決め、実物大表示のキッチンを囲んで遊び始めた。
申請はその日の午後に承認された。
翌朝、三人は転移区画で外務班の職員と合流した。身分証と緊急通信端末を確認したあと、職員が三人の顔を順番に見る。
「外出中の約束を確認します。ロジーさん」
ロジーは勢いよく手を挙げた。
「大きな声で騒がない!」
「お願いします」
「レトさん」
「知らない人に話しかけない!」
「呼び止められても、一人でついていかないでください」
「うん!」
最後に、エルが自分から答えた。
「魔法は使わない」
「はい。必要な時はこちらから伝えます」
転移ゲートを抜けると、淡い金色の空の下に商業区画が広がっていた。大きな看板と透明なショーウインドウが並び、通りを行き交う人々の間を、小型の搬送車両が静かに走っている。
レトは店先を一つ見るたびに足を緩め、そのたび外務班の職員から名前を呼ばれて列へ戻った。
「レトさん」
「分かってる! 離れないよ!」
返事をしながらも、視線は菓子店の回転する飾りへ向いている。
三人が通りの景色に気を取られている間に、同じゲートを抜けた旅行客風の男女が左右の歩道へ分かれた。少し遅れて到着した買い物客が、目的の店舗より先の交差点へ向かう。
外務班の職員は振り返らず、端末に並んだ配置完了の表示だけを確認した。
目的の店は、子供向けの生活学習用品を扱う大型店舗だった。
入口には小型の机や収納棚が並び、奥の展示区画には、実際に水や電力を接続した調理設備が設置されている。
その中央に、目当ての商品があった。
ホログラムで見た時よりも、ずっと大きく見えた。
本体はロジーの胸元近くまであり、作業台は腰より少し上に収まっている。流し台と二口の加熱台が横に並び、下部にはオーブンと収納棚、上部には小さな食器棚まで付いていた。
ロジーが作業台の前へ立つ。
「ぴったり」
腕を下ろしても肩が上がらず、鍋の中もよく見える。子供用として作られているが、ロジーやエルが日常的に使うには十分な大きさだった。
レトも隣へ立った。
「わたしには、ちょっと低い」
「でも使えるでしょ?」
「うん。ちゃんと混ぜられる」
エルは流し台の前へ立ち、小さな蛇口を見下ろした。
「水、出る?」
店員が近づいてきた。
「試用できますよ。こちらの商品をご覧になりますか?」
三人は外務班の職員を見る。
「店員の許可があります。どうぞ」
エルが蛇口をひねると、細い水が流し台へ落ちた。水量は少ないが、循環機構が働き、すぐに排水口へ吸い込まれていく。
「小さい川」
レトも覗き込む。
「ほんとだ。ずっと流れてる」
ロジーは蛇口の横から身を乗り出した。
「ちょっと待って、私にも見せて!」
「大きな声」
外務班の職員が短く言う。
ロジーは口元を押さえ、声を落とした。
「……私にも見せて」
店員から説明を受け、三人は順番に安全機能を確かめた。加熱台は専用器具を置かなければ作動せず、手が近づけば停止する。オーブンには温度上限があり、水道も一定量を超えると自動で止まる。
ひと通り確認したところで、色選びが始まった。
レトは彗星シルバーの前から動かなかった。
「きらきらしてる。これがいい」
ロジーはキャンディピンクの扉を開閉し、いくつもの角度から眺めていた。
「こっち。絶対かわいい。私が使った時の完成度が高い」
エルは二人から少し離れ、ミルクホワイトの作業台を見ている。
「エルは白?」
「うん」
「どうして?」
エルは展示用の赤い鍋を白い作業台へ載せた。
「食べものが、よく見える」
レトとロジーが同時に黙った。
ピンク色のカップ、黄色いボウル、焼き色の付いたパン。どれを載せても、白い作業台なら色がはっきり分かる。
ロジーのデバイスが三色の比較画面を閉じた。
「調理設備としての視認性……」
レトは彗星シルバーを名残惜しそうに見たあと、ミルクホワイトへ近づいた。
「あとから飾れる?」
店員が、交換可能な飾り枠や取り外せる装飾シートを見せてくれた。
「本体を傷つけない専用品があります。リボンやシールも貼れますよ」
エルが白い扉を指でなぞる。
「三人の色、つける?」
レトとロジーの顔が明るくなった。
「それだ!」
「本体は白! あとから三人で飾る!」
購入候補は、ミルクホワイトへ決まった。
次に、店員から試用コーナーへ案内された。購入前に実際の操作を確かめるため、小さなパンケーキを焼けるという。
レトはボウルを持ち、ロジーは計量器の前へ立った。エルは白い皿を用意し、外務班の職員は少し離れた場所から安全表示を確認している。
「粉、入れるよ」
「待って。規定量まで。レト、そこで止めて」
ロジーの指示に合わせ、レトが袋を傾ける。少量の粉が計量線へ届いたところで手を止め、卵と牛乳を加えた。
泡立て器を持ったレトの顔が、急に真剣になる。
「混ぜる」
「ゆっくり。飛ばしたら店員さんに謝ることになるよ」
「飛ばさない任務」
レトは力を抑え、慎重に生地を混ぜ始めた。泡立て器の周囲で白い粉が消え、次第になめらかな生地へ変わっていく。
「敵性なし」
ロジーが小声で言う。
レトが首を振った。
「敵じゃないよ」
「じゃあ、友好生地」
「友好生地だね」
エルがボウルを覗き込む。
「仲良くなった?」
「もうすぐパンケーキになるよ」
加熱台へ小さなフライパンを置き、生地を流し込む。安全表示が点灯し、表面に少しずつ泡が浮かび始めた。
三人は黙って泡を見つめた。
「増えた」
エルが言う。
「ひっくり返す合図!」
レトは専用の小さな返しを持ち、店員の指示を受けながらパンケーキを裏返した。少しだけ形が崩れたものの、生地は無事にフライパンへ戻る。
焼き上がったパンケーキは、三人の手のひらほどの大きさだった。
エルが用意した白い皿へ載せると、淡い焼き色がよく見えた。
「白で正解だったね」
ロジーが言うと、エルは少しだけ得意そうに皿を中央へ動かした。
三人で一枚を分ける。
レトは一口食べると、すぐに笑った。
「おいしい!」
ロジーも頷く。
「初回試作としては成功。少し形が曲がったけど、それも手作り感!」
エルは自分の分をゆっくり食べた。店頭で売られている菓子よりも薄く、焼き色も均一ではない。それでも、皿に残った最後の一口を見てから頷く。
「おいしい」
「でしょ?」
レトが身を乗り出した。
エルはもう一口食べた。
「作ったから、もっとおいしい」
それで、購入は決まった。
本体は監理局へ配送されることになり、三人は付属品を一つずつ選んだ。レトは星型の抜き型、ロジーはハート型のシリコンカップを手に取る。
エルが選んだのは、模様のない白い小皿だった。
「それでいいの?」
ロジーが尋ねる。
「うん。作ったものが、よく見えるから」
エルは帰り道も、小皿の入った袋を手から離さなかった。
監理局へ戻ったミニキッチンは、技術班と生活班の検査を受けた。安全制御や設置場所、火傷防止、使用範囲まで確認されたあと、食堂横の共用スペースへの設置が許可される。
ミルクホワイトの本体へ、三人は購入した専用の装飾を取り付けた。
レトは青と銀の星を扉の端へ並べ、ロジーはピンク色のリボンと小さなハートを棚へ貼る。エルは白い作業台の隅へ、淡く光る透明な飾りを一つだけ選んだ。
完成したキッチンの前へ三人が並ぶ。
ロジーの頭上で、記録画面が開いた。
「本格おままごとキッチン、完成!」
レトは星型の抜き型を掲げた。
「これでパンケーキ作れる!」
エルは小さな蛇口をひねる。
「小さい川もある」
少し離れた机では、同行した外務班職員が報告書を作成していた。
重大な逸脱行為なし。
そこまで記入したところで手を止め、キッチンを囲む三人を見る。
レトは抜き型をどこへ収納するか迷い、ロジーは最も写真映えする角度を探し、エルは白い小皿を三枚並べていた。
外務班職員は、報告書へ一行だけ付け加えた。
三名とも、終始楽しそうだった。
その夜、三人は完成したキッチンの前で、第一回調理会議を開いた。
レトが小さな泡立て器を持ち、ロジーが記録画面を展開する。エルは三枚の白い小皿を、作業台の端へ等間隔に並べた。
「最初は、星型パンケーキがいいと思います!」
「賛成。でも、分量と焼き時間を先に決める!」
「皿は、これ」
エルが自分の選んだ小皿を指で押す。
「お買い物で選んだお皿に、みんなで作ったものを乗せる」
レトが嬉しそうに笑う。
「買うのも、作るのも楽しいね!」
「うん。でも、楽しいところが違う」
エルはキッチンの扉へ貼った三人分の飾りと、作業台に並べた白い皿を順番に見た。
「お買い物は、見て、選ぶのが楽しい。作るのは、できていくのが楽しい」
ロジーのデバイスが、その言葉を記録へ残す。
「エル、完全に分けて理解してる。成長記録、追加!」
「あたし、ちょっと前に分かったから」
レトが首を傾げた。
「わたしが、きらきらシール買えなかったときも?」
「あれは、レトが行けなくて泣いてたから」
エルはレトを見て、静かに続けた。
「買うことじゃなくて、行くことが大事だった。あのときは、レトが幸せじゃないと思った」
レトは少しだけ目を丸くしたあと、エルの腕へ寄り添った。
エルは白い小皿をキッチンの中央へ置く。
「今日は、お買い物も楽しかった。次は、作るのを楽しむ」
レトは泡立て器を掲げた。
「じゃあ、星型パンケーキを作ります!」
「待って。まだ作り方の確認が終わってない!」
第一回調理会議は、開始直後から意見が割れた。




