新学期の始まり
午前七時。
どこからともなく、ニワトリの鳴き声が聞こえてくる。
コケコッコー――
その声は目覚まし時計の代わりのように、高天原のあちこちに響いていた。
子供たちは次々に目を覚まし、布団から起き上がる。
今日からいよいよ、学園での本格的な生活が始まるのだ。
登校時間は八時二十分。
それまでの時間は自由だが、多くの子供たちは食堂で朝ごはんを食べ、部屋に戻って歯をみがき、小袖に着替えてから校舎へ向かう。
――少し緊張するな……
京子もそんな一人だった。
女子寮から校舎へ向かう道。
木造の校舎の前には、すでに何人かの生徒の姿がある。
「あ、いたいた!」
京子が手を振ると、樹と巽がこちらに気づく。
「おっはよう!」
羽華も明るく声をかけた。
「おはよう」
「……おう」
樹はやわらかい笑顔で、巽は少しぶっきらぼうに返事を返す。
四人は自然と並んだ。
この学園の制服は冬以外、裾の短い特殊な小袖を使用している。
着かたは基本自由で有るが、小袖のため制服は腰の辺りで帯で留めるのがふつう。
しかし巽は制服を羽織っていた。
「巽君、帯しないの?」
京子が聞くと、巽は短く答えた。
「しない」
子供が帯の結び方なんて知るはずがない。
結び方を調べる方法が有っても、男の子が調べられるはずがない。
そして子供が知っている、後で解くのに丁度いい結び方は一つしかない。
――ちょうちょ結びが、女の子っぽいからかな?
――ちょうちょ結びが、女の子っぽいからよね多分。
京子と羽華は同時に、巽が制服を羽織ってる理由をそう理解する。
ちなみに帯の色は、小袖とは対になる色。
色を円のように並べた時、反対側にくる色――いわゆる補色と呼ばれる組み合わせになっている。
たとえば空色なら淡い橙、青緑なら赤みのある色、といった具合に。
巽は、使っていない帯を形代に巻き付けている。
「それにしても、すごい人だね」
樹が思わずそう声をもらした。
一・二年生用の玄関前は、人であふれているからだ。
理由は単純。
一年生だけで九十九人もいる。
その全員が、自分の組と教室の場所を確認しながら動いているのだ。
二年生たちが巻き込まれて、やや迷惑そうにしている。
「一年生、形代見せろ! 案内してやる!」
そんな中、二年生らしき子が声を張り上げ。形代の種類で組が分かるため、一年生を誘導し始めた。
「それじゃ、またあとでね」
羽華が軽く手を振る。
「「うん、お昼に」」
「またな」
四人はそこで別れ、それぞれの下駄箱へ向かう。
靴を脱ぎ、番号を確認しながら入れる。
そのまま廊下へ上がり、自分の組を探して進んで行く。
「ここ……かな」
京子は案内に従って、一年生の鏡組の教室にたどり着く。
中に入ると、そこは和室だった。
広さはふつうの教室よりやや広い、四十畳ほど。
床は畳で、机は足の低い長机。二人一組で使う形。
イスの代わりに座布団が置かれている以外は、黒板や教壇などふつうの教室と大きくは変わらない。
すでに何人かの子供が座っていた。
京子は少し周りを見てから、空いている場所を見つける。
そこには、長い髪にメガネをかけた女の子が座っていた。
「となり、いい?」
京子が声をかけると、その子は少し驚いたように顔を上げ――
「うん。いいよ」
と、小さくうなずいた。
京子はその子のとなりに座る。
女の子は少し悩んでから、京子にたずねる。
少し申し分けなさそうに。
「……もしかして昨日、男の子たたいてた子?」
京子は一瞬固まる。
しかし自分が悪いと心で言い聞かせ、はずかしそうに答えた。
「転びそうなの助けてもらったんだけど、びっくりしてたたいちゃったんだ……」
「え、そうだったの?」
「うん。でもちゃんと謝ったら、許してくれた」
その言葉に、女の子は目を丸くして驚く。
「すごい…… 男の子にちゃんと謝れるなんて」
「そんな事ないよ」
「私、男の子と話すの苦手で……」
そう言いう女の子の顔は、少し困った顔をしている。
京子は笑顔で言う。
「私もそんなに変わらないよ。あの時は謝らなきゃって気持ちで、いっぱいだっただけだし」
すると女の子は、不思議な顔をして聞き返す。
「でも、もう一人。男の子一緒に居なかった?」
「樹君の事? 私、弟が居るんだけど。樹君は弟と同じ感覚で、男の子と居る感じはしないかな」
京子は、樹に『カワイイ』と言われとまどった事を隠しそう言うと、女の子は少し複雑そうな顔をする。
「それ、本人の前で言わない方がいいよ?」
「え、そうなの?」
「うん……」
本気で驚く京子に、女の子は少しあきれて返事をした。
そして、思い出したように自己紹介をする。
「そう言えば、自己紹介してなかったね。私、田中 珠代。よろしくね
」
「日向 京子。よろしく」
二人は名前を教え合うと、少しだけ空気がやわらぐ。
そして珠代は京子の髪を見て、うらやましそうに言った。
「いいなぁ、その三つ編み」
「これ? 羽華ちゃんて、同じ部屋の子にセットしてもらったんだけど」
「私、自分じゃちゃんと出来なくて…… 同じ部屋の子は元気な子で、こう言うの苦手なんだ」
少ししょんぼりした様子。
京子は笑顔で言う。
「リボンかゴムが有れば、私がやってあげようか?」
「ほんと?」
それからしばらく、京子が珠代の髪をセットし終わったころ。
スー トン
閉まっていた前側の引き戸が、そう音を立てて開いた。
教室に二人の大人が入ってくる。
一人はスーツ姿の女性。歳は三十代前半くらい。
もう一人は小袖に袴、坊主頭に髭の五十代の男性。
荷台に乗せて、段ボールを二つ運んで来た。
女性が前に出て、やさしく微笑んだ。
「初めまして、みなさん」
その声で、子供たちの視線は女性に集まる。
「私は鏡組、一年生の教科担当の朝比奈 律子です」
続けて、男性が口を開く。
「実技担当の源 晴信だ。体育と鬼道、鬼術を担当する」
京子は、その顔を見て――
――あれ?
どこかで見たような気がした。
だが思い出せない。
その間にも、二人は準備を進めていく。
段ボールの中から、巾着や教科書を取り出しながら配り始めた。
「これから配るものを説明しますね」
律子先生が言う。
「山吹色の大きい巾着はカバン用。小袖と同じ色の巾着は、形代入れに使ってください」
子供たちはそれぞれ受け取り、指示通りにしまっていく。
国語・算数・理科・社会・社会の副読本に国語と算数のドリル。
そして鬼道と鬼術1と書かれた本。
「それじゃあ――」
子供達が教科書や形代をしまい終えたのを確認し、律子先生が手を打った。
「これから始業式に向かいます。昨日と違って上級生たちや先生たちも居るけど、緊張しないでね」
その一言で、教室の空気が少し引き締まる。
「それでは形代を持って、玄関からグラウンドに移動して下さい。始業式の席順は決まってますから、名前をよく確認してください」
律子先生の言葉で、子供たちは小さな巾着を持ってグラウンドに移動していく。
京子は珠代に聞く。
「行こう、珠代ちゃん」
「うん」
二人は一緒に教室を出た。
転
昼休み。
食堂は朝とは違い、にぎやかな声で満ちている。
木の長机には子供たちが並び、湯気の立つご飯とみそ汁の匂いが広がる。
「巽君!」
元気な声と共に、京子が珠代を連れてやって来た。
呼ばれた巽は顔を上げる。
「よう、京子。他の二人は?」
その隣には、灰色の小袖に袴姿――坊主頭の男性が座っていた。
男性が京子たちの方に視線を向けたので、京子は少し驚いた様にその男性を見る。
「えっと確か…… 一年生、剣組の実技担当の……藤原 輝虎先生でしたよね?」
その言葉に、輝虎先生はにっこりと笑った。
「ほう。始業式の短い紹介で、よく覚えていたな」
「人の名前、覚えるの得意なんです」
京子は笑顔でそう答える。
「鏡組の日向 京子です」
「なるほど。君が“件の日向の君”か」
その言い方に、京子は首をかしげた。
「……何の話ですか?」
輝虎先生は巽に視線を向けて聞く。
「言ってよいか?」
「自分で説明します」
巽は少しだけ息をつき、言葉を選ぶように話し始める。
「昨日、羽華と一緒に女子の部屋回っただろ。その時、ビンタの理由も説明したよな」
その瞬間、京子の表情がくもる。
「……ごめんなさい。もしかして迷惑だった?」
「いや、逆だ」
巽は即座に否定した。
「変な誤解されるより、ちゃんと伝わった方がいいし」
その一言に、京子は少し安心した表情になる。
巽はその表情を見て少し微笑むと、あきれた顔で話しを続ける。
「ただ、そのせいで目立ってさ。ほめてくるやつもいれば、気に入らないやつも出てきて」
「あ……」
京子はすぐに理解した。
「それで、私の名前も出たんだ」
「そういう事」
話を聞いて、少し不安そうに京子はたずねる。
「ケンカ……してないよね?」
その問いに答えたのは輝虎先生。
「そこは問題ない」
穏やかな笑みを浮かべながら続ける。
「始業式の後に、少し“遊び”を提案してな。上手く収めておいた」
「遊び……?」
「授業の一環で、新聞でチャンバラを少し。女の子たちには悪い事をしたが、男なら勝負で勝敗が一番分かりやすい」
「そうなんですか?」
「まぁ、納得はしていたからなそう言う事にして欲しい」
京子は輝虎先生とそんな話しをしていると、巽の変化に気がついた。
「あれ……巽君、ちゃんと制服着てる」
今朝とは違い、巽は小袖をきちんと帯で結んでいる。
「輝虎先生に教えてもらったんだ」
少しだけ照れくさそうに巽は言う。
「黒は女の色だけじゃない。黒は北を表す色でもあって、北は毘沙門天と言う神様の守る方角だって」
その言葉に、輝虎先生が満足そうにうなずくと言う。
「その通りだ。黒は北を、そして勝負事や商売繁盛を司る毘沙門天の色でもある」
そしてふと、目を細め、真面目に言葉を続ける。
「だから私は、僧侶として。そして毘沙門天を信仰する者として。誤った認識を広めた羽華と言う女の子に注意をするため、巽と一緒にいるのだ」
――まぁ、羽華が悪いからいいか……
「それじゃ先生。私たちご飯取って来ますね」
京子はそう言って、珠代と共に昼食を取りに向かった。
しばらくして……
「あっ、いたいた」
羽華の明るい声がした。
京子はふりかけご飯を食べ終わり、おみそ汁をすすっている。
「輝虎先生も一緒に、どうしたんですか?」
近づいてくる羽華を見て、輝虎先生は静かに立ち上がる。
そして、にこやかな笑顔のまま言った。
「少し、君に話があってな」
その声は穏やかだが――
二人の間の空気は重い。
「なんですか?」
羽華は本気でビビった。
それから輝虎先生のお説教タイムが始まる。
その時間は五分ほどであったが、誰が見ても羽華に元気はない。
「そうだ巽君。改めて謝らせて」
突然羽華がそう言ったので、巽は心配そうに答える。
「いや、もう気にしてないから」
「それでもきちんと謝らせて」
――私の覚悟のためにも……
羽華はそう決意を決め、巽に謝る。
「今後、みんなが誤解する様な事は言わない。ごめんなさい巽君」
そして元気に珠代に声をかけ、珠代に付きそってもらって昼食を取りに向かった。
それとほぼ同じタイミングで、 今度は樹が女の子を連れて食堂に入って来る。
「みんな、おそくなってゴメン!」
樹のとなりに居るのは、昨日食堂で樹に話しかけて来た女の子。
「玉組は遠足してたんだ」
「遠足?」
輝虎先生が興味深そうに聞き返した。
「はい。すごくきれいな花畑に行ってきました」
樹は少し嬉しそうに言う。
その言葉と表情に輝虎先生はクスクス笑った。
「先生! 男が花畑ほめたからって、笑うのはどうかと思います」
巽が眉をひそめてそう文句を言うと、輝虎先生は笑いながら訂正する。
「違う違う、樹を笑ったんじゃない」
そして肩を揺らしながら言う。
「蕨先生が子供たちを引き連れて、花畑へ引率している姿を想像したら……つい」
不思議に思った樹が聞く。
「蕨先生と、仲が良いんですか?」
「いや、昔の仕事仲間だ。私が笑った事は内緒にしてくれ、蕨先生は私がキライだからな」
輝虎先生は少し考えてそう返事し、思い出した様に京子たちに質問をする。
「各組で聞いたと思うが、“揺れ”の犯人と鳥の声について調査している」
その言葉に、場の空気が少し重くなった。
「後で先生たちで話し合うが、君たち本人からも確認をしたい。剣組では鳥の声を聞いた者はいなかった。鏡と玉の組はどうだった?」
そして順に京子たちに視線を向けると、京子は答える。
「鏡組に、鳥の声聞いた子はいませんでした」
更にトレイを持って戻って来た羽華が続ける。
「星組も、鳥の声聞いた子はいません」
「お帰り羽華に珠代ちゃん。早かったね」
京子の言葉に羽華は笑顔で返事を返す。
「面白そうな話ししたから。珠代ちゃんに手伝ってもらって、早く戻って来ちゃった」
そして最後に……
「玉組は……」
そこまで言って、樹は隣の女の子を確認する。
女の子はぎゅっと樹のうでにしがみついている。
いや、少しふるえていると言った方がいいかもしれない。
「全員、鳥の声を聞いたそうです」
樹の言葉で輝虎先生は、蕨先生がなんで花畑に遠足をしたのか理解した。
――なるほど、だから外に鳥の声を探しに行った訳か……
そして思う。
――その優しさを明智殿に少しでも向けていれば、天下人に成れたものを……
輝虎先生は女の子に近づくと、頭を軽くなでながら言う。
「蕨先生が不安を消してくれたのに、悪い事をした。だが不安になる事はない」
穏やかな声。
「鳥の声は、危険を知らせるものかもしれない。だとすれば聞こえる者の方が、早く逃げられるはずだ」
更に少し間を置いて……
「それに先生たちが守ってくれる」
その言葉に、女の子の表情が少しだけ和らいだ。
輝虎先生は、心の中で静かに思う。
――問題ない。
――なにせ、天魔の王が君たちを守っているのだから。




