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矢久勝基、日記  作者: 矢久 勝基


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11月20日 死んじまえれば楽だけど

 まぁ昨日みたいなことを考えつつ、決して希望に目をキラキラさせているわけではない。

 夢ってさ。人生知る前は希望に輝いて見えるモノだけど、人生ある程度知ってくると、もはや引き返せなくなった旅路の終着点が薔薇色であることを渇望するためのモノになるんだよな。

 そんな、長い人生のトンネルの中……。今までもずっと挫折の繰り返しで、人生勝ったためしがない。いっそのこと死んじまってくれれば楽になるだろうに……とは、よく思うことだ。

 ところがところが、矢久の家系は皆様長寿ときている。ぽろっと死ぬことすらできゃしねぇ。


 人間ってヤツは、死ぬその日まで死ねないものだ。逆に言えばその日に死ぬと決まっていたら何をしたって死ぬ。大昔にバイクで百二十キロ出していた最中に転んだことがあったのに擦り傷で済んだ時から、俺の死生観はそのように定められている。

 つまり、死ぬ日までは死ねないんだから、何かをする際に死を恐れる必要はないし、死ぬとなったら何してもどうせ死ぬんだから、何かをする際に死を恐れてもしかたがない。

 ……そう割り切っている矢久の思考に共感できるなら、

『いつ死んでも本望であるように、今日までを全力で後悔なく生きていくべき』

という思考にたどり着くこともできるんじゃないかと思われる。

そこまで行けば、「いつ死んでも構わない」も、わりとポジティブな結果を生み出すんじゃね?


 ところで、先日ばーさまが亡くなった。

 親ではなく、祖母である。

 このばーさま、最期の方こそもはや寝てるだけの人になったが、もともと『いつ死んでもいい』と思ってたキライがある。

 ところが、いざ生の時間が少なくなってくると、『生きたい』と言い始めたらしい。

 さらに死が近づくにつれて、だんだん『生きていることの方が当然』という主張をしだした。自分が死ぬはずがない。5年後は、10年後は……と話していたようだ。


 そういう話を聞くだに、人間は自分の死を実感する程に、『生きたい』と思うものなのかもしれないと思う。つまり、矢久は〝死が実感できないから〟「生きることになんてそんな頓着はない」とか言えているのかもしれない。

『死を知るから、生の尊さが分かる』といえば、『大切なものは失った時にその大切さが分かる』というのと似ている気がするし、あるいは真理の一つなのかもしれないな。

 まぁ、そういうロジックの組み立てが、自作品の登場人物たちの死生観にもつながっているとは思う。


 ともあれ今は、今日死んだってかまわない。そう思っている。

 だけど、死ねないんだから、死ねる日まで全力で後悔なく生きるしかない。

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