騎士の挑戦/後篇
別荘での滞在も残るところ3日となった頃、日課となっている鍛錬の時間に、姫君はあまり浮かない顔で私にぽつりと尋ねた。
「あの、ディートリヒ様は、どうして私にこんなに親切にしてくださるんですか? 私が、ディートリヒ様の“どストライク”だからなんですか?」
姫君からの思いもかけない質問に、私は少々取り乱し、剣を落としてしまう。
「──ああ、これは失礼しました。思いもよらぬことを尋ねられてしまいましたので」
私が剣を落としたことで慌てて謝りだす姫君をとどめ、それから膝を付き姫君の顔を覗き込んだ。
「姫君、確かに最初にお会いした時はあなたの美しさに目と心を奪われました。
けれど、今はそれだけではありません。あなたの日々の振る舞いや、魔法使いとなるべく真摯に努力する姿、高貴な血筋であるにも関わらず謙虚さを忘れない心……私はあなたの持つそれらすべてに囚われています」
不安げに揺れる姫君の眼差しに、この私の思いがしっかりと届いて欲しいと願う。だが姫君の目は、よりいっそうの不安に染まり、悲しみすら帯びていくように感じられた。
いったい何が彼女にそれほどまでの憂いを感じさせているというのか。
「姫君、いったいどうなさったのですか? なぜそのような……姫君?」
突然姫君はぽたぽたと涙を流し、ごめんなさいと繰り返しだした。いったい何故なのだ。私は何を間違えたというのか。
「……ごめんなさい。私、ほんとうはぜんぜんお姫様じゃないんです。ただのエルなんです。偽物のお姫様なんです」
「姫君、いったい何をおっしゃるのですか?」
「ただのエルで、呪われた子なのに、こんなに親切にしてもらってごめんなさい」
「……姫君、落ち着いてください。順番に説明していただけますか?」
姫君が泣きながら断片的に話したことをかき集め、どうにか理解できたことは、やはり姫君は姫君に相応しい血筋であること、しかし、姫君自身はそう考えておらず、妖精の血筋として生まれた自分を“呪われた子供”として卑下しておられること、なおかつ、姫君は自身が好意を持たれる理由などないと考えておられることなどだった。
なんということであろうか。
「姫君、エリアンナ姫、あなたは何故そうもご自身を下に見られるのですか」
なおもしゃくりあげる姫君の姿に心が痛み、なるべく瞼が痛まないようにと、優しく涙を拭う。
「私が姫君を好ましいと思うのは、姫君が姫君でおられるからです。姫君は私に魔法か何かで偽った姿を見せていたのだと仰るのですか?」
ふるふると頭を振る姫君が、未だ涙を湛えた瞳を上げる。
「今は、素の、姿なんです」
「では、あなたは私を騙そうと、何かお芝居でもなさっておられるのですか?」
「お芝居は、してないです。でも、ちゃんとお姫様らしく見えるようにって、お作法とか、気をつけてて……」
「それは、どの貴族の令嬢も同じですよ。王女殿下であっても、なさっておられることです」
「そう、なんですか?」
「はい。妹のリアも同じです。あの子は油断するとすぐ令嬢に相応しい振る舞いを忘れてしまいますからね。
……姫君がそれほど負担に思われるのでしたら、私もリアやユリアのように、“姫君”ではなく、“エル”とお呼びしましょうか?」
こくこくと頷く姫君に、私は微笑む。
「私にとってはご褒美です……姫君を“エル”と親しくお呼びできることは。どうか、姫君……エルも、私を“ディーター”とお呼びください。親しい者たちにはそう呼ばれているのです」
「ディートリヒ様……」
「どうか、“ディーター”、と」
「……ディーター様、あの、私、よくわからないんです。
私と親しくしていいんですか?
私は呪われた子で、だからずっと塔に入れられてて、偽物のお姫様だから王子様も助けに来てくれなかったのに」
「──姫君、エル。あなたが何故そのような考えに凝り固まってしまったのか……あなたは紛うことなき姫君です。
……あなたがお望みであれば、私でよければいくらでも、私があなたの王子となりましょう。あなたのためなら、たとえどんなに高い塔の頂にでも、恐ろしい魔王の城にでも、必ずあなたを助けに参ると誓います」
「魔王の、お城……」
「はい。あなたのためならどこへでも参ります」
「……やっぱり、だめです。だって、私、お姫様にはなれないです。だって、私の寿命の半分は、100年は、私のじゃないし……ごめんなさい、やっぱり、私はお姫様じゃないです」
「100年? 寿命の半分?」
訝しむ私を置いて、姫君は再び涙をこぼすとぱたぱたと走り去ってしまった。
「……100年とは、いったい?」
その日、姫君は気分が優れないとのことで、姿を現さなかった。リアとユリアはたいへんな心配ようであったけれど、当の姫君が静かに寝かせて欲しいと言えば無理に押しかけることもできず、ただおとなしく姫君の回復を待つことしかできなかった。
私は、あの姫君の態度の変わりようがどうにも納得いかず……もしかしたらあの世話役である黒い妖精が何かを知っているのではないかと、彼の部屋を訪れた。
「カルシャ殿、少しよろしいだろうか」
扉をノックし、呼び掛けるとすぐに「どうぞ」という声が返ってきた。中へと入ると、窓際に置いた長椅子に寛いでいる黒い妖精がいた。
「カルシャ殿、少しエリアンナ姫についてお伺いしたい」
「どのようなことかな」
相変わらずの薄い微笑みを浮かべたまま、彼は私に先を促した。やはり、この黒い妖精は苦手だ。この赤い目に見られると、私の内面をなにもかも見透かされているような気分になってくる。
「カルシャ殿……エリアンナ姫は、なぜああもご自分を下に置こうとするのだろうか」
「なぜそのようなことを気にするのだ? 王の騎士よ、お前には関係のないことではないのか?」
「関係ないことなどではない。姫は真実高貴な血筋であり、そのご気性も立派なものだ。なのになぜあれ程までにご自分に自信を持っておられないのか……なぜなのか、何かご存知ではないのか、カルシャ殿」
「エルから話を聞いたのであろう? それがすべてであるよ、王の騎士。
あの子は血筋のわりに少々不遇な生い立ちで、周りのすべてに自分を否定されて育ったのだ。しかも、あの騎士は呆れたことに塔から引っ張り出した後、あの子を顧みることをしなかった。偽善であるうえに怠慢でもあるとは、まったくもって度し難い馬鹿者であるとは思わぬか?」
くつくつと黒い妖精が笑いながら話す内容に、私は言葉を失う。
「かわいそうに、あの子がわたしの元に現れたのは、もう13になろうかという歳であったというのに、常識らしい常識も知らず、教育もまったく受けておらぬという体たらくだったのだ」
たしか、姫君は来春、16になるのを待ってデビュッタントを迎えると聞いた。では、姫君はたった2年あまりという短い期間で、あれだけの作法や魔法を身につけたというのか。
「……では、姫君の100年が、ご自身のものではないというのは……」
「あの子は、それでもあの馬鹿者の命が惜しいと言うのでな、取引をしたのだ。
馬鹿者の命を救う代わりに、己の寿命の半分を差し出すと。だからあの子の100年はこのわたしのものであるというわけだ。
──わかったか? 王の騎士」
目の前の黒い妖精の話す内容に愕然とする。まさか、この者が“馬鹿者”と呼ぶのは……姫君が取引したというのは……ならば、この黒い妖精は。
知らず、背を汗が伝う。目の前の黒い妖精……いや、魔王は、笑みを浮かべて面白そうに私をじっと見つめていた。
「それでどうするつもりか、王の騎士よ」
私はごくりと唾を飲み込む。朝、姫にはなれないと涙をこぼす姫君に、あなたの王子でありたいと願ったのは、他でもない、自分ではなかったのか。
「……カルシャ殿、あなたがもし、私の思うような者であるなら……」
魔王が、首を傾げて私の言葉を待つ。
「私はあなたに挑戦し、あなたに勝って、姫君の100年を取り戻す」
「ほう」
魔王が、くつくつとまた楽しげに笑う。
「挑戦は受けよう。だが、待て。わたしにも都合というものがある。
……妖精郷の王妃殿下には義理があるのでな、来春にはあの子を無事成人させねばならぬ。お前の挑戦はその時に受けるとしよう。
それまで、せいぜい精進するがよい」
「……わかった。必ずあなたを負かす。それまで首を洗って待つがいい──魔王よ」
魔王の部屋を辞し、いつの間にかびっしょりとかいていた汗を拭う。かの者が、真に騎士カーライル殿が戦った魔王だというなら……王国一と称された騎士でも勝てない相手が魔王だということなのか。
だが、賽は投げられた。
私は必ず魔王に勝ち、姫君の100年を取り戻すのだ。
 





