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秦宗佐×鈴   『あなたがいい』

「失礼します」


 開け放されたままのドアにノックをし、鈴は部屋の中を控えめに覗きこんだ。


「あれ。誰もいないのかな」


 音楽イベントで『KISSME』に割り当てられた楽屋は練習室も兼ねた大部屋だった。天井が高く取られ、壁は薄いクリーム色だ。部屋の一辺は鏡張りになっており、ダンスの確認ができるようになっているが、今はカーテンで閉じられている。鏡張りの壁の対辺には、メイク用の鏡と椅子が4つほど等間隔に設置されている。

 中には人の姿はなかった。しばらく待っていたものの、廊下を頻繁に行き来するスタッフらしき人はあっても、知っている顔が入ってくることはなかった。食事用に解放された小ホールで遅い昼食を摂りに行っているのかもしれない。

 部屋の奥には2人掛けのソファ2つと1人掛けのソファ1つがローテーブルを囲むようにして置かれている。テーブルの上には誰かが持ち込んだらしいマンガコミックス、マンガ週刊誌、ライトノベルが十数冊無造作に積み上げられている。

 コミックスのひとつに興味を惹かれた鈴がソファ越しにそれを手に取った。そのはずみで、すぐ下の文庫本がばさりとテーブルの上に落ちてしまう。


「ん……?」

「きゃっ」


 ごそりと厚い布地が擦れ合う音と、くぐもった声が真下で聞こえ、鈴は身体をすくませる。二人掛けのソファの上で、大きな身体が猫のように丸まっている。焦点の合っていない、眠そうな瞳が鈴をぼんやりと見上げていた。


「よ、よかった、宗佐くんか……びっくりしたあ」


 鈴は胸の前で腕を交差させるようにして本を抱え、ため息をつく。驚いたせいか、どきどきと鼓動が速くなっているのがわかる。


「寝てました? ごめんなさい、起こしちゃって」

「……ああ」

「いま大丈夫です? ねむい?」

「ねむい」

「あはは。ごめんね。メンバーみんなに明日の件で用事があったんですけど、タイミングが合わなかったみたい」


 宗佐はあくびをかみ殺しきれず、ぼんやりした視界のまま、話かけてくる相手を見上げた。目が合った彼女は親しげに笑いかけて来る。のっそりと身体を起こすと、筋肉が凝り固まっているのか、ぎしぎしと音がした。


「みんなどこ行っちゃったんだろう、知ってますか?」

「みーは……センパイのトコ。霧森と鳴神は、……どっか行った」

「うーん。そっか。別件のお仕事ですかね。ちょっと確認してみます」


 彼女はしばらく考えるように唸ってから、持っている本を脇に挟んで持ち、首から下げている携帯を開いてどこかへ電話を掛けた。


「お疲れ様です、石川です。四人に確認したいことがありまして、今、楽屋にいるんですが、はいそうです。今日のイベントの。出直した方がいいでしょうか?」


 ソファの傍らに立つ彼女を見上げた宗佐は、その顔つきに既視感を覚えた。通話の途中だということには構わず、半袖Tシャツから伸びる二の腕をつんつんとつつく。目を丸くして視線を下げてきた彼女に、宗佐は自分の隣の座面を指で示した。


「え? あっ、すみません、大丈夫です。……はい、宗佐くんだけです」

「座って、ここ」

「あ、こちらは構わないです。わかりました」


 通話の途中で反論できないのをいいことに、宗佐は彼女の腕を掴み、隣に座らせる。電話口に応対しながらも、責めるような目が宗佐を見る。あ、と宗佐は声を上げた。


「20分後ですね。ええ、はい。ありがとうございます、失礼します。……もう、電話してるのに。宗佐くん、どうしたの?」

「あなた、鈴か」

「えっ、今!?」

「うん」

「寝ぼけてたってことですか? 誰だと思って喋ってたんですか。メンバーの居場所まで教えてくれたのに」

「うーん、……さあ?」

「さあって、もー。ボケないでくださいっ」


 色んな意味でいつもの調子を取り戻した宗佐に、鈴はがっくりと脱力した。

 と、脇に挟まれたまま忘れ去られていた本がばさりと床に落ちた。慌てた鈴が手を伸ばすよりも先に、大きな手のひらがそれを攫う。


「あっ、す、すみません」

「これ、おれの?」

「はい。勝手に手にとってしまってすみません。面白そうだなって思って……」

「うん、面白い。今度おれとみーの番組で話することになってるから、改めて読んでる」

「こっちの山になってるのも?」

「じゃないのも、あるけど、まあ、大体そう」


 宗佐は拾ったマンガを本の山の上に戻した。机の上に積み上げられたそれらは、多くのジャンルが混在しており、出版社やレーベル、主要購買層の違いはあったが、巻かれた帯に共通して『アニメ化』という宣伝文句が踊っていた。

 秦宗佐と大伴美有貴がMCを務めるアニメ専門チャンネルのナビゲート番組は、低年齢のライトなアニメ視聴者層から人気で、今年で3年目になる。変わらず支持されるために、二人で会話しながら楽屋で資料をチェックしているのだろう。

 感心するように机の上を眺めていた鈴は、美少女イラストが表紙の文庫本の下に、B5大の冊子があるのに気づいた。


「あれ、これは……」

「それ、台本、映画の」

「前に話してた深井監督のですね。もうクランクインしたんですか? 衣装合わせがあったのは話に聞いてますけど」


 宗佐が主演のその映画は、直木賞作家の小説を映画化したもので、一年後に公開が予定されている。深井和義監督は一部の間では有望視されている若手実力者で、宗佐が出演した舞台を観てその存在感に惚れこんだらしい。鈴の知人が衣装を担当しているので、ここのところよく話を聞くのだ。


「クランクイン、した。台本が出来てるとこだけ、やってる。これ……完全版、は今日来た」

「なるほど。出来立てほやほやなんですね」

「読もう」

「えっ、いいんですか?」


 宗佐に手渡された台本はところどころ折り目や読んだ跡にできる皺がついていて、まじめに読み通した形跡が見える。表紙はざらついて凹凸がある分厚い紙質で、タイトルと通し番号が印刷されている。表紙をめくって5、6ページの見開きにキャスト一覧があり、そのはじめに『橋本京一(主人公):秦宗佐』の表記があって、鈴はどきりとした。話で聞くのと文字で見るのはまた違った印象だ。


「あなたが相手役をして。おれは、自分の役、やるから」

「ええ?! 読むってそういうことですか?」

「うん」

「わたし演技なんてしたことないです。宗佐くんの邪魔になっちゃうんじゃないかな」

「ならない。あなたがいい」


 ちょうどいいシーンがある、と思った宗佐は、うろたえる鈴をよそに、シーン#38のページを開いて見せた。

 物語の中盤、主人公京一とその相手役みどりが、彼女の家で対話をするシーンだ。「京一」と「みどり」は、ちょうど今の宗佐と鈴のように、みどりの家の二人掛けのソファでお互いパーソナルスペースを保ちながら座っている。シーンにつけられた小タイトルは『みどりのぬくもり』だ。


「きみが言った言葉を覚えている?」


 宗佐は台本とにらめっこしたままの鈴に、「京一」として冒頭の台詞を囁く。救いを求めるように鈴がこちらをちらりと見たが、「京一」はじっと見つめるだけで余計な言葉を言わなかった。


「い、いいえ、わからないわ」

「そう。きみにとっては何気ない言葉だったのかも知れないけれど、ぼくにとっては救いだったんだよ」

「京一さん」

「きみはね、こう言ったんだ。『誰にも思われない人間なんていない』『要らない人間なんかいない』」

「いまでも思っているわ。だって本当にそうだもの。みんな誰かに思われているはずなの」


 「みどり」の台詞は台本通りをなぞっているだけだったけれど、「京一」は胸が詰まった感覚を覚え、眉を寄せた。「みどり」の言葉は「京一」が欲しい言葉とは少しだけ違うのだ。


「きみは変わらないね。いつだってあったかいんだ。でもぼくは、誰かじゃだめだよ」

「えっ」


 文字を追うのに必死になっていた鈴は、耳のすぐ近くに宗佐の吐息を感じてはっとする。台本のト書きに書かれている通り、「京一」が「みどり」に近付き、不安そうに「みどり」を見つめているのだ。


「ぼくはきみに思われたいんだ」

「わたし……」

「きみはぼくを抱きしめてくれる?」


 原作を読んでいない鈴には、これがどんな意味を持つ言葉なのかわからない。『許しを乞うように』と書かれているのに、なんだか告白をされているような気分になって、頬が熱くなる。


「きゃっ」

「きみはあったかいな」


 微動だにしない鈴の肩に、甘えるように「京一」は顔を埋めた。あたたかくて柔らかい感触が、頬に触れる。


「あの、は、恥ずかしいよ、宗佐くん」

「うん、やりすぎたね」


 宗佐は離れるのを名残惜しく思った。赤い顔で身動ぎする鈴のために身体をしぶしぶ離す。


「雰囲気、出た、ありがとう」

「あは、ホントですか。役に立てたならよかった」

「……なにか、分かった気がする」


 「京一」は二十二歳、宗佐よりも二歳年上の設定だが、精神年齢は宗佐とそう変わらなかったから、宗佐は「彼」を簡単に作り出せたと思っていたが、「みどり」への感情は今まで演じてきたものと少し違っていたらしい。

 親から愛されずに育った「京一」が「みどり」に感じているのは、この場面では郷愁と母性に過ぎない。唯一、彼に優しくしてくれた「みどり」という年上の女性に、母親から子どもへ与える無償の愛が欲しいとねだっているだけだ。このシーンは、ラブシーンになってはいけないのだ。


「あなたでよかった」


 その言葉の意味は、鈴には分からなかった。

 自分自身ですら今まで気づかなかった感情に、他人が分かるはずもない。宗佐は首を傾げる彼女を前に、甘えたくなる欲求を必死で押し殺した。

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