孝司×鈴 『音』
練習室の前を通りかかった鈴は、ギターの音色を耳にして足を止めた。事務所内部にあるレッスン室や練習室は完全防音のはずで、普段は静かなものなのだ。
不思議に思って探してみれば、いくつか並んだドアのうちのひとつがほんの少し開いている。
「あ」
孝司だ。彼はイスに座り、譜面台と向き合ってアコースティックギターを弾いている。
「……わあ」
ちょうどサビに入った。KISSMEの曲だ。鈴は思わず声をあげた。
切ない恋を表すバラード曲で、孝司のドラマの主題歌だ。アコースティックギター一本で表されるとより切ない印象を受ける。
「おい。お前、なにしてんだ」
「わ!」
ドアの前でぼーっとしていた鈴は、中から声を掛けられて慌てた。部屋の中をのぞけば、ギターを鳴らす手をそのままに孝司が呆れた顔をしている。
いや、正確に言えば譜面通りに弾かずにただ弦をはじいているだけだ。曲を練習するのをやめてしまったらしい。
「す、すみません。邪魔してしまって。音が聞こえたので」
「ああ、そこ開いてたのか。さっき飲みモン買いに行ったから、そん時かな」
「素敵でした。ありがとうございました。じゃあ、わたしこれで……」
「待て。すこし聞いてけよ。ただ弾くのも飽きてたトコだったんだ」
ギターを立て掛け、孝司がドアを開けて鈴を誘う。
鈴が一瞬ためらったのを見て、孝司は「急ぎの仕事ないならだけど」とつけたして首の後ろを掻いた。
「じゃあ、少しだけ」
「ああ。そこに余った椅子積んであるから取って座って」
「はい……。あの、孝司さん、どうしてギターを弾いていらっしゃるんですか?」
「趣味」
「えっ? 趣味ですか……練習室まで借りて?」
確かに申請すれば個人の理由でも使えるのだろうけれど、公私の別をきちんとする孝司らしくない。
鈴は椅子を運びながら、むっと眉を寄せた。
「ふは。悪い、嘘」
孝司は思わずといったふうに吹きだした。
この間初日を迎えた全国ツアーライブの最終公演でサプライズとして演奏するのだという。KISSMEには何公演もチケットを取るファンもいて、孝司はその人たちにも楽しんでもらいたいと考えていた。アンコールの曲を変えたり、一部を変えたセットリストを何種類か用意したりしている。今回のアコースティック・バージョンは二日間限定だ。
「へえ。なんだかもったいないです。あんなに素敵なのに」
いつもながら直球な褒め言葉だ。孝司はどうも、とありがちな反応しか返せない。照れくさくてギターを持ち、譜面をめくってごまかした。
鈴は孝司から見て左側、すこし離れた位置に椅子を置いて座った。
「おまえ、なんか聴きたいのあるか? 弾けるやつなら弾いてやる」
「えっ? 練習は」
「飽きたって言っただろ。なんかないの?」
「……じゃあ『エンドレス・ラブ』が聞きたいです」
「って、おれのソロ曲じゃねえか。何、好きなの?」
「はい。好きです」
なんのてらいもなく笑顔で頷かれては、弾かない訳にもいかない。まして、自分から言い出したことだ。赤面しそうになる恥ずかしさをこらえ、孝司は足を開きギターを構えた。なるべく鈴のほうを見ないようにしながら出だしのコードを確認する。
呼吸を整え、一度弦を鳴らせば意識は自然と音の方に向かっていった。
孝司は音楽が好きだ。自分で空間を創っていくことができるから。拙いときはただ鳴らすだけで楽しかったが、ある程度までゆくと何が表現できるかまで考えるようになった。ギター一本でどれだけ表現できるのか。人にも向き不向きがあるように、単一だけで表現できるものにもそれなりの限界はある。だけど、それがまた楽しい。
『エンドレス・ラブ』は切ない曲調と明るい曲調を融合させた実験曲だ。ポップス――あるいはアイドル曲が許す、裾野の広さで受け入れられているけれど、きっと無名のバンドが演奏したなら売れない曲になっていただろう。
孝司は演奏しながらちらりと鈴を見た。楽しそうにリズムを取りながら聞いている。ライブで観客の様子を確かめるくせでつい見てしまったけれど、不思議と照れたり恥ずかしいと思う感情はなかった。音楽がなせる力、なのかもしれない。
約五分間。一曲まるまる弾き終えた孝司に、鈴から大きく拍手が贈られた。
「素敵でした! 感動しました。格好良かったです。わたしだけしか聞けなかったのがもったいないくらいです」
「いいんだ。おまえが聞いてたんだから。おれは……鈴のためだけに弾いたんだ」
鈴はぴたりと拍手をする手を止めた。数秒の沈黙があって、ぶわっと一気に顔が熱くなる。手のひらを合わせたまま、表情を隠すように顔を伏せる。
「ありがとうございます。嬉しいです」
「ふは、なにそれ拝んでんの? 地蔵かよ」
俯いた頭にぽんぽんと孝司の手が乗せられた。
「御利益があるかもしんねーから撫でとくわ。ライブツアー成功しますように」
「じ、地蔵じゃないです……」




