霧森孝司×鈴 『嫌いじゃない』
「あの……」
「え? ……ああ、おまえか」
「お疲れ様です、霧森さん。隣、いいですか?」
テレビ局が打ち上げのために貸し切っていた焼き肉店は、座敷が2つに、4人テーブルが4つしかない小さな店だった。
現場の片づけに手間取っていた鈴は、打ち上げに参加するために駆けつけたものの、すっかり出来あがった酔っぱらいのどんちゃん騒ぎに入って行ける勇気もなく、小さなテーブルに固まっている事務所の経営陣に混ざるわけにもいかず、座敷の隅で静かにサラダをつまんでいた霧森孝司に声を掛けた。
「別に。いいけど」
孝司はちらっと店内の様子を簡単に眺めてから小さく頷いた。
『KISSME』のメンバーで孝司と年の近い、この打ち上げに呼ばれている者のなかで最年少の大伴美有貴は既に自宅に送られていってしまってもういない。
残りの二人は、普段から酒好きとして有名な鳴神シオンと秦宗佐だ。いつものようにタチの悪い酔っぱらい集団の中心で、シオンが絡み酒を展開し、宗佐が黙々と瓶ビールを空けているに違いなかった。
「失礼します。はあ、あったかいですね、このお店」
鈴は足を崩して座ると、上着を脱ぎ、邪魔にならないように孝司とは逆側に畳んで置いた。
孝司はウーロン茶を飲みながら、不思議そうにそれを観察する。
「何、お前今来たの」
「えっ、あ、そうです。あはは。ちょっと返送でトラブっちゃって」
「お前いなかったの気づかなかったわ」
「うわーん、それって、私が存在感ないってことですか?」
「違う。お前、色んな奴と仲良いだろ。だからそこらへんにいると思ってた」
孝司がじっと見つめて来るので、鈴は緊張した。小皿に取り分けていたサラダ菜が、緊張からくる手の震えでトングからこぼれてしまい、不格好な形で皿にのった。
思わぬことで不器用だと思われたかもしれない。鈴は恥ずかしさに頬が熱くなるのを感じた。
「そっか。おれの周りが静かだったのは、お前がいなかったからか」
孝司は自分の考えに没頭していたらしい。呟くようなその言葉に、一瞬安堵しかけた鈴だったが、その内容をよくよく考えてみれば安堵などできようはずもない。
「ちょっ!? 私そんなにうるさいですか?」
「いや、普通じゃねえの。お前がどうこうじゃなくて、こっちの話。おれと話す奴がそんないねーから、お前がいるといないとじゃ違うんだ」
「そうですかね?」
鈴は不思議に思った。孝司は仕事場ではかなり発言力のあるほうで、ぜひにと意見を求められる人物だ。打ち上げではまだ成人していないために、飲みの輪を外れることはあっても、相手をまったくされないとは想像し難かった。
自分以外の女性スタッフに孝司狙いの女の子が何人もいるのは、孝司自身も知っていることだ。
「何不思議そうな顔してんの。おれメンバーとマネ除いたらお前としか話しないし」
「え、そ、そうですかね。私、結構無視されてるような……」
「あー、それは、おれの機嫌が悪い時か、おれの嫌いな奴がいるときな。それは、無理」
箸を置いて考え込んだ鈴を見て、孝司はふっと表情を和らげる。
孝司が仕事場とそれ以外に明確な線引きをしていることに気づいている者は多い。それはたいてい敏い人間で、鈍い人間だけが孝司に話かけてくるのだ。その鈍い人間のなかで、孝司がまともに話をしているのが鈴ただ一人なのだった。
「おれ、基本、嫌いじゃない奴としか話さねえから」
「えへへ」
「何その反応?」
「それって好きってことですよね。うれしいです」
「……あっそ」
孝司の言う『嫌いじゃない奴』というのは案外狭い範囲だということを、鈴はすでに知っている。かといってイコールで好きだと捉えるのは単純化しすぎかもしれなかった。鈴はそれでもいいと思っていた。現に孝司は否定はしなかった。
そこへ、鈴が頼んだファジーネーブルと、焼き肉二人前が運ばれてきた。
「ちょっと失礼します、霧森さん」
店員が二人の前にある網を交換している間、鈴はテーブルをまわって既に空いた皿やグラスなどをまとめて持ってくる。数回繰り返して山になったそれを店員にさげてもらうよう頼む。
孝司はその間、たまにシオンが鈴を呼びとめるのを視界の端に捉えながら、何も言わず座ったままでいた。
「えっと、改めて、お疲れ様です、霧森さん」
「お疲れさん」
傍に戻ってきた鈴が、自分のグラスを孝司に向かって傾けてくる。孝司は中身が半分もないウーロン茶のグラスを持ちあげ、鈴の細身のカクテルグラスにコツンと当てた。
鈴はくすぐったそうに笑い、ありがとうございますと小さく礼をして口をつける。香りのいい桃と爽やかなオレンジのカクテルは、甘くて酸味がある鈴の好きな味だ。
「今日の霧森さんもかっこよかったです」
「そう、サンキュ」
「やっぱり、霧森さんには黒が似合いますよね。やっぱり、テレビじゃ重たいって思われちゃうかもしれないですけど、霧森さんの存在感がぐっとでて、私は好きなんです。――黒といえば、ボトムはもっと細身のものでもいいかもしれなかったです。霧森さんのキレーで長い脚をちゃんと見せたいのに、残念です」
鈴は膝立ちになり、大ぶりのトングを使って、自分の分と孝司の分のハラミを熱せられた網の上にのせた。
鈴のレギンスの布地から覗く裸足をちらりと見てから、孝司は網の上でぱちぱちと音を立て脂を垂らす肉に目線を戻す。
鈴はいつでもデザインTシャツにテーラードジャケット、レギンスにショートパンツ姿だ。たまにボトムがミニスカートになったり、契約の関係でスーツ姿になる以外の服装を孝司は見たことがない。
「お前、足フェチなの?」
「そんなことはないですけど。うーん、あっ、多分、霧森さんの足限定の足フェチです!」
「ふは、何それ」
「変ですかね」
網の上で充分に焼けたハラミの半分以上をかっさらうように食べてしまった孝司に、鈴は不満も言わず、自分の取分をもくもくと口に運んでいる。考えながら話しているために、ほかのことに頭が回らないのだ。
「変だよ。スゲー変。お前のそれ、本気だって分かってっから、マジ笑える」
「えー? どういうことです?」
鈴の考え方は単純だ。好きなものは好きで、それを表す言葉があるのなら、深い意味など考えずに言ってしまう。
孝司は鈴の世界はどれだけ輝いているのだろうと思った。毎日が美しくて光があふれていて、どこにも影なんかない世界。そんな世界なら、簡単に好きだと言えるんだろう。だが、そんな世界は、少なくとも孝司には生きづらいに違いない。
「そういうの、他の男には簡単に言うなよ」
孝司がぽつりとつぶやいた一言に、鈴はぱちぱちと目を瞬かせた。
「そ、そういうの? って? 霧森さんの足限定で足フェチってことですか?」
「……ふは、本当に分かってねーんだもんな。それはいーよ。どんどん言えば? むしろ言ったほうがいいな。特にシオンの奴とかに言って来なよ。今でいーよ? お前はおれの足が好きだ、ってさ」
孝司はそう言っていじわるそうに笑う。いくらにぶい鈴であっても、孝司が自分で遊ぼうとしているのだとわかる。
「うう。からかってますね。おかしいんですかね、足フェチ」
「おかしくねーよ。どんどんフェチ増やしていーよ。おれの身体限定で」
「ええ?」
「おれの魅力もっと見つけて欲しい、お前に」
ね、と小首を傾げながら、カメラの前で見せるアイドルの顔でやさしく微笑まれ、鈴ははっと目を見開いた。
もしかしたら、魅力を探すことで、孝司の仕事の役に立てるかもしれないんだろうか、と鈴は思った。いじわるそうな口調といい、アイドルオーラ全開の笑顔を向けられたことといい、十中八九、からかわれ遊ばれているのだろうとはわかっていたが、こういう何気ないことで仕事が広がるなんてことはよくある話だ。
「はい! 分かりました! 頑張りますっ!」
「ふはは。なんだお前、マジで笑える。おお、頑張れ頑張れ」
ぐっと拳を握りしめ、ファイティングポーズで気合いを表した鈴に、孝司は今日はじめて、屈託なく笑うのだった。