秦宗佐×鈴 『こっちに来て』
インターネット放送番組の公開収録イベント後、都内のとある居酒屋にて、打ち上げの二次会が行われていた。未成年である霧森孝司、大伴美有貴は一次会のみで帰ることとなり、それぞれのマネージャーに送られていった。二次会に参加したメンバーは、普段より飲酒を好むイメージのある、鳴神シオンと秦宗佐の二人である。
夜も更け、明日のスケジュールの都合で鳴神シオンが帰ることになってから、飲み会の空気はゆるいものになった。番組の打ち上げというよりも、スタッフ同士の懇親会という雰囲気だ。
鈴は、通常回と同じく今回も衣装を担当しており、打ち上げにもちろん参加していた。メイク担当の二渡という二歳年上の女性と馬が合い、一次会からずっと女子トークを繰り広げていた。
「鈴」
肩をつつかれて振り返った鈴は、あれっと声を上げた。
「宗佐くん? さっきまであっちにいませんでした?」
そこにいたのは唯一メンバーのなかで残っていた宗佐だ。先ほどまで座敷の端で番組プロデューサーと飲んでいたのに、いつのまにか移動してきたらしい。
「こっちに来て」
「……? はい、いいですけど」
宗佐は鈴に手招きして、部屋の隅の壁際に足を投げ出して座った。彼女は言われるまま、膝立ちで畳の上を擦るようにして移動した。
理由も聞かず、素直に寄ってくる彼女に、宗佐は感動しながらじっと見つめる。
彼女はTシャツにカーディガンを合わせ、ショートパンツの下にタイツを履いたいつもの姿である。その太ももは、むっちりとして、やわらかそうで、そしておいしそうだ。太ももと呼ばれる部位は彼女以外の多くの人間にもあるが、同じものとは思えないほど、宗佐には彼女のものが一番魅力的に見える。宗佐はそれに触りたいと思った。
「そのまま、ちょっとだけ……膝貸して」
「え」
宗佐は、隣に足を崩して座ている彼女の膝の上に頭をのせた。とてもふわふわして温かく心地がいい。自然に瞼が閉じてしまうほどだ。
それはそうするのが当然と言わんばかりの自然な動きで、鈴が押しかえす隙は全くなかった。ずっしりと重みが太ももと膝にかかる。宗佐が身を預けているのだ。目を閉じて寝に入ってしまった相手を放りだすわけにもいかず、鈴は困ってしまう。
「わっちゃっちゃ。石川……どーすんのよ」
「うーん……ど、どーしよー。あはははは、どうしてこーなっちゃったかなあ」
「そうねえ」
様子をうかがっていたらしい二渡が、鈴の前に来て宗佐の顔を覗きこんだ。浅黒く陽に焼けた肌色は、よくよく目を凝らして見れば赤く染まっていた。それも、目元と耳だけ、局部的にだ。これは一目見ただけでは分からないだろう。
「ちょーっとだけだけど顔赤いっぽいよ。酔っぱらっちゃったんじゃない?」
「そうなの? 宗佐くんって酔わないって聞いたけど」
「だって、そーしないとわけわかんないじゃんこんなの」
彼女でもない女性に膝枕を頼むような暴挙の理由は、二渡には『お酒のせい』以外思いつかない。二渡にとって、宗佐は次に何をするか分からないという意味で動物的ではあったが、常識の分別はあったように思う。
「なんか、石川に懐いてるって感じよ」
「懐いてるってなによ」
「なんつーか、動物みたいな、あー、えーと、なんだろ」
宗佐が二渡に野生動物みたいに警戒心をあらわにしていた姿を思い出す。むっつりとして会話が少ないイメージだ。こんなに気を抜いている姿もそうそう見ない。
「大型犬、てゆーか? そんなかんじ。こーしてみると、かわいいもんね。いーなー、かわいーなー。とかっつって、あたしは彼氏いるから、やられても困んだけども。ねえ石川、重くないね? 大丈夫? 無事?」
「ちょっとだけね。でも大丈夫だよ。ごめんね、二渡。話途中だったのに」
「いーよいーよ。しゃーないって。じゃ頑張って。あたしあっち行ってるわ」
「うん」
手を振って去っていく二渡を目で追って、鈴は間仕切りの襖を開け放した和室を見回した。飲み会はまだ終わる気配がなく、すこし離れた位置にいる二人に注意しているものはいないようだ。
そのことにちょっとだけ鈴はほっとした。身体を揺らさないようにして、ゆっくりと視線を下に戻す。
宗佐は左耳を下にして、鈴の腹のほうに顔を向けて目を閉じている。
彼の短く刈りあげた黒髪が、タイツにちくちくとささっていた。二渡の言うとおり、なんだか硬い毛質の犬を膝に載せているような気分だ。大きな身体を丸めて膝に頭を乗せ、頬を押しつけ、鈴に甘えるように大きめの鼻がひくひくと動いている。
宗佐の顔立ちはメンバー四人のなかでも目立った華々しさがないものだが、男らしく整っている。耳から顎にかけてのラインに、髭がうっすらと生え始めている。すぐ近くで見つめなければわからないような髪の生え際に小さなホクロが見え隠れしている。
頭部の重量が鈴の足全体にかかっているせいか、段々と感覚がなくなってきた。鈴が身動ぎすると、睫毛がふるえ、うっすらと茶色がかった瞳が現れた。
「宗佐くん。おはよう」
「犬、じゃない」
「あはは、聞こえてたんだね」
宗佐はぱちぱちと瞬きをして、ごろりと寝返りをうって仰向けになった。
鈴のウェーブの掛かったセミロングの髪がばさりと垂れ、宗佐の額をくすぐった。蛍光灯の光を背にした彼女の顔は濃い影ができていて宗佐からはよく見えない。彼女の声は責めるようでもなく全て許してくれるような優しさを持っている。
「おれを飼いたい?」
「はい? 何言ってるんですか」
「あなたが飼いたいなら、いいよ」
「飼いません。もう、変なこと言わないでください」
「普通の犬より、手が掛からない、たぶん」
「食費と酒代は間違いなく掛かりますね」
「そう、でも、自分で金出すよ、仕事してるから」
「どれだけ言っても飼いませんってば。何の話なんですか、もー」
宗佐の言うことはいつにも増して荒唐無稽だ。どうしたんだろうと鈴は首をひねる。
「ずっとこうしてたい、っていう話」
「え?」
「仕事した後に、あなたとこうして、ごろごろして、酒飲んで……すごくいいと思う、そういう生活、いいなあ」
「……宗佐くん」
なんだか告白しているみたいだなと宗佐は思った。勝手に言葉がぼろぼろ落ちていた。酒が入っているからかもしれない。
「適当に喋ってませんか?」
「うーん? そんなこと、ない。本気」
ぱっちりと開いた目が鈴を見つめた。見た目からはあまり酔っていないように思えたが、言動から鑑みれば怪しいものだ。
厄介だなあと鈴は思った。発せられた言葉は、受け取り手はそのままの意味に受け取ってしまうだろう。発言者がどのような状態であってもそれは変わらない。発言者が忘れてしまっても、受け取り手は覚えているというのに、無責任な話だ。
だから鈴は、酔っぱらった宗佐の言葉を本気にしないことにした。自己防衛のためだ。ともすれば勘違いしそうになってしまう。
「酔ってますよね」
「酔ってない」
「酔ってますよ」
「じゃあ酔ってる……たぶん」
その台詞自体が自覚症状のない酔っぱらいそのものだというのだ。鈴は呆れてため息をついた。
「もう帰りましょう、宗佐くん」
「やだ」
「えー。そんなこと言わないでください。これ以上飲んだら潰れちゃいますよ。ね。帰りましょう。園山さん呼びましょうか」
「……ねる」
「寝ちゃだめですよ。宗佐くん」
いやいやとかぶりを振る大きな身体は、鈴ひとりの腕では持ちあげることも立たせることもできない。宗佐は膝の上でごろごろと転がりうつ伏せになった。それは動物が甘える仕草とほとんど変わらない。
「石川!? ちょ、どうしてそうなったん」
さすがに気になったのか、様子を見に来た二渡が、その異様な光景を見て顔を引きつらせた。
「帰りましょうって言ったらこうなったよ」
「わけがわからないよ。さっきあたしが呼んだタクシー使いなよ。モーさんのために呼んだんだけど、分かってくれるっしょ。そろそろ来んでねかな」
「うわーん、ありがとー」
「泣くな泣くな、あんたは園さんにでも電話しね」
表を見て来るねと言って、二渡はスマフォを片手に座敷から出ていく。彼女のばたばたと忙しない動きに気がついたのか、何人かにからかうような野次を入れられて、鈴は笑って誤魔化した。
宗佐と美有貴のマネージャーである園山に電話を掛け、宗佐が飲みすぎたこと、タクシーに乗せたことを伝えると、園山からは連絡を早くよこすことを注意され、そのまま付き添って欲しいことと領収書をきるように告げられる。鈴には平謝りして了承するほかない。
間もなく二渡が男性店員と一緒に帰って来た。どうやら気を利かせてくれたらしい。二渡と鈴の二人がかりでも、大柄な宗佐を立たせることなどできなかっただろう。
店員に起こしてもらった大きな身体にジャケットを着せ、帽子を目深に被せると、若手のカメラマンがすすんで手を貸してくれて、男性二人が両脇から宗佐を挟んでそれぞれ肩に担いで歩かせた。
鈴は自分のコートと手荷物とともに宗佐の荷物を持って、痺れる足を引きずりながらその後を追う。
「石川、あんた一人で大丈夫なん?」
「おれも着いて行こうか」
「そんな、悪いです。住んでいるところ遠かったですよね」
「気にしなくていいのに」
タクシーの脇で二渡とカメラマンと問答をしていると、車内からぬっと腕が出て来て鈴を引っ張った。
「きゃ」
「行こう。……倉本さん、二渡さん、ご心配、ありがとう、ございます」
鈴は足に踏ん張りがきかないのもあって、すぐにバランスを崩してしまった。
宗佐は倒れこんだ鈴を座席に座らせると、小さく会釈をしてドアを手動で閉め、素早く運転手にメモを渡した。
「この住所。もう、出してください」
タクシーがゆっくりと発進すると、宗佐は身体から力を抜き、鈴の肩に寄りかかった。まだ一人余計な人物がいるけれど、後部座席は二人きりだ。その事実にほっとする。これが、あの余計な男が助手席にでも座って、ベラベラと話されていたらこの平穏はなかったのだ。そう思うとこの安堵がとても愛おしいもののように思える。
あたたかな優しい空間は誰にだって開かれていて、来る者を拒まず受け入れるだろう。けれども宗佐にとってはそれではだめなのだ。
「宗佐くん、まだわたし挨拶途中だったのに」
「……だって、だめだ。あなたが他に気がいってしまうから」
「もしかして、宗佐くん……、全然酔ってないんですか? 演技だったの?」
彼は答えの代わりに鈴の手を取り、その小さな手の甲に口づけた。
彼女からの返答はない。首元まで真っ赤に染め上げ、口元をうすく開いて茫然としている。彼女のこの表情を、誰にも見せたくない、一人占めしたいと宗佐は思った。このまま家まで連れていってしまおうか、そうしたらあたたかくて優しい空間が自分だけのものになって、宗佐はずっと心安らかに暮らせるだろう。
「マーキングしよう」
宗佐は鈴の肩に頬を擦りつけるようにして、わけのわからない衝動を誤魔化した。彼女の熱っぽく潤んだ瞳に映った自分自身は、とても醜い顔をしていた。彼女には知られたくない自分だった。
「マーキングって……犬の話? その話続いてたんだ」
「んー」
「やっぱり酔ってる」
ほっと胸をなでおろし、鈴は呆れたように笑った。宗佐が突拍子もないことを言いだすのはいつものことだと思ったからだ。支離滅裂なのも、酔っぱらっているせいに違いない。
そうじゃないといいと思った自分には、気づかないふりをした。




