放課後の残光
墨ヶ丘高校の放課後は、いつもどこか潮の匂いが混ざる生温かい風が吹き抜ける。
女子バレー部の練習を終え、汗を拭った一ノ瀬彩葉は、スポーツバッグを肩にかけながら体育館裏の裏門へと続く坂道を下っていた。夕闇が迫る中、自販機の赤い光がぽつんと足元を照らしている。
「巧、遅い」
自販機の横に寄りかかり、スマホを眺めていた人影に向けて、彩葉はぶっきらぼうに声をかけた。
振り返ったのは、男子バレー部副主将の逢坂巧だ。いつもコートの上ではドSな知性派として鳴らしている男だが、幼馴染である彩葉の前でだけは、少しだけ肩の力が抜けた、年相応のけだるげな表情を見せる。
「わりぃ。今年の1年は着替えるのも一苦労やけん。如月双子が部室でも『俺のロッカーの領域に入んな』っち喧嘩しよってさ」
「ふふ、やっぱり。門の前であれだけ派手にやりよったもんね」
彩葉は炭酸飲料のボタンを押し、ガコンと落ちてきた缶を巧へと放り投げた。巧はそれを片手で器用に受け止めると、冷たい缶を額に当てて小さく息を吐く。
「……で、どうなん? 噂の天才双子が入ってきて、男子部はモノクロを脱出できそう?」
彩葉の真っ直ぐな瞳に見つめられ、巧は缶のプルタブを引き抜いた。シュワリと弾ける音が、静かな夜の空気にとけていく。
「実力は本物ばい。煉のトスも、裂のレシーブも、1年のレベルじゃなか。……やけど、だからこそ歪み(ひずみ)も出る。特に2年の陸がな」
巧の言葉に、彩葉の胸が小さく痛んだ。真面目で不器用な2年生、長谷部陸。女子部のコートからも、彼が毎日誰よりも遅くまで残ってボールを拾う姿が見えていたからだ。
「陸、空回りしとった?」
「あぁ。あいつ、如月たちの派手なプレーに目を奪われて、自分のバレーを見失っとう。アイツにはアイツの泥臭い良さがあるとに、必死に『天才の真似』をしようとしてミスを連発しよる」
巧は静かに缶を傾け、夕暮れのグラウンドを見つめた。その瞳には、副主将としての冷静さと、不気味な後輩を案じる微かな憂いが混ざり合っている。
「鬼塚も九条も、気づいとう。やけど、こればっかりは本人が『自分の色』に気づかんと、どうにもならんばい。ウチは今、天才の光が強すぎて、周りがみんな影になってしまいよる」
彩葉は、巧の言葉を頭の中で繰り返した。
バレーは落とさない返すを繰り返すスポーツだ。だがそれだけではない。一人一人の個性が開花するからこそ輝くスポーツなのだと、彼女自身も信じている。
(みんな, 自分の形を必死に探しよるんだ。……だったら、私にできることは)
女子バレー部のエースとして、そして男子部を一番近くで見守る幼馴染として、彩葉の胸の中に、ある小さな決意の種が宿り始めていた。それは後に、体育館の2階席から鮮やかに掲げられることになる、あの『十人十色』の横断幕へと繋がる一歩だった。
「巧、あんたたち男子部、次の合同合宿で絶対に化けきらんね。置いていかれたら、女子部が先に春高の切符掴み取るばい」
「ハッ、言うねぇ。一ノ瀬エース様には負けんばい」
小さく笑い合いながら、二人は並んで夕闇の坂道を歩き出す。墨ヶ丘高校バレー部の、長く、そして熱い青春の夜が、静かに始まろうとしていた。




