第三話 PMは山で異質と遭遇する
馬車での長時間移動というのは、想像以上に過酷だった。
ガタガタと続く振動が、身体の芯にじわじわと蓄積していく。
街道は平坦な道ばかりではない。
凹凸のきつい場所に差しかかるたび、馬車が大きく揺れ、内臓が揺さぶられるような感覚に襲われた。
――バスや電車、車といった近代の乗り物が、いかに優れていたかを思い知らされる。
ガラン、ドシン!
何度目かの激しい音と共に、腹の底を突き上げられる衝撃。
俺は思わず奥歯を噛みしめた。
「ヨシダさん、大丈夫ですか?顔が真っ青ですよ」
向かい合わせに座るアニカが、心配そうに身を乗り出してくる。
俺は無言で手を上げて、大丈夫だと態度で示すと、軽く腰を浮かせた。
口を開けば何かが出てしまいそうだ。
「よわっちいわねー、オサム。ほら、場所代わってあげる。窓の外見てなさい」
隣に座るフネが、するりと俺に身体を寄せて、場所を入れ替えてくれる。
半分開いた窓の外に顔を突き出し、俺は外気をゆっくり吸い込んだ。
少しずつ、気分が落ち着いていく。
今日はこの後大事な会議もあるので、部下の資料に目を通しておきたかったが、そうも言ってられなかった。
外を眺めていると、キャビンの中の会話が自然と耳に入ってくる。
「ねぇ、リズちゃんの住んでるところってどんなとこなの?」
「えと……。山に囲まれて、例の鉱石が採れるので鉱夫が比較的多いですね。後は敵対国や魔物に狙われやすい地形なので、高い石壁に囲まれてます」
「んー。ちがうちがう!なんか、おいしいものとかある?名物的な」
「え、あ……あ?おいしいもの……ですか?」
「フーちゃんさん、エテルナ国は山菜料理が有名なんですよ。ね、リズさん?」
「は、はい。そうですね」
フネが依頼人のリズを困らせている。
こいつの頭の中では、食べ物のことが国勢よりも優先されるらしい。
俺は会話に耳を傾けながらも、視線は窓の外へ向けたままだった。
景色が流れていく。
どこまでも続く森林と、鬱蒼と茂る木々。
風に乗って鼻腔をくすぐる青い匂いが、俺の気分を徐々に晴らしていった。
三人の会話は、まだ止まらない。
「リズちゃんって、なんで一人で来たの?お父さんは?お母さんは?」
「母と父はお国で仕事があるので。それに……、どちらも流行病を患っているので」
「たいへんだねー。リズちゃん、まだこんなにちっちゃいのに」
「い、いえ。こちらに来る際は、護衛の方も雇っていただきましたし。比較的安全に来れましたので」
「そっかー。じゃあ、こっからはフネがリズちゃんを守ってあげるね!」
「リズさん、このお二人はとても優秀な冒険者ですから。安心して下さいね」
「はい。よろしくお願いします」
ぎゅう。
抱擁の音――
顔を室内に戻すと、フネが対面のリズを自分の胸に抱き寄せていた。
銀髪少女の見開かれた瞳と、俺の視線が一瞬交わる。
その瞳には困惑や戸惑いだけではない、不思議な感情が揺れているようにうかがえた。
「おい、依頼人が困ってるだろ。離せ」
「うー。だってリズちゃん見てたら、なんだかほっておけない気分になって」
名残惜しそうに抱き抱えたリズを、静かに手放すフネ。
少し乱れた髪を手櫛で整えながら、リズはほんの少しだけ微笑みを零した。
それはどこか大人びた笑みだった。
カーム山脈の麓で、街道は二つに別れていた。
馬車が止まり、わずかな静寂をおいてキャビンの扉が開かれる。
外はすっかり日が落ち、薄暗くなっていた。
「んー!つっかれたー!」
フネが真っ先に大地に飛び降り、大きく伸びをする。
続いた俺も、息を深く吐くと同時に腰を軽くひねった。
久しぶりの解放感に、強張った身体が少しずつ解れていく。
「はい、リズさん」
アニカが馬車から降りようとするリズに、手を差し出していた。
客室の扉は少し高い位置にあり、子供の足ではわずかに届かないのを気遣ったのだろう。
「ありがとうございます」
素直に礼を口にしながら、アニカの手を取り着地するリズ。
ふわりと揺れる銀髪が、暗がりに映える。
相変わらずその顔は表情が読みづらかったが、最初に会った時に比べればわずかに和らいだようにも思えた。
「皆さん、お疲れっす。今日はここまでっすね!」
馬車を降りてめいめいに身体をほぐす俺たちの元へ、トビーが近づいてきた。
彼は煙草をくわえながら、うまそうに紫煙を燻らせている。
仕事の後の一服、といったところか。
俺も元いた世界を思い出し、久しぶりに口寂しさを感じた。
「トビーさん、お疲れさまです。ここまでありがとうございました」
アニカが近づいてきたトビーに、頭を下げる。
彼女は、この二手に分かれた街道の先で、さらに馬車を乗り継いで目的のギルド支部へ向かうそうだ。
「いやいや。ギルドはお得意様ですし……。アニカちゃん相手なら、いつでもどこでも飛んでいくっすよ!」
「また、トビーさんったら上手なんですから」
トビーの軽口に、アニカは慣れたように笑って返す。
それから街道に出ると、少し歩いたところで俺たちを振り返って、大きく手を振った。
「では、私はこれで。みなさん、どうかお気をつけて!」
「あーちゃん、ばいばーい!」
フネがぶんぶんと手を振り返すのを尻目に、俺も小さく手を振る。
彼女の姿が完全に消え去るまで見送った後、一瞬静けさが場を支配した。
行き交う人々の足音だけが、耳朶を打つ。
「……さて、と。今日はここで野営っすね。明日はいよいよ、カーム山脈。お二人の出番もあるかもしれないっすよ」
トビーが手を叩き、それを合図に俺たちは野営の準備に取りかかった。
翌朝からは山道に入る。
魔物の襲撃もあるかもしれない。
となれば、落ち着いて仕事にとりかかれるのは今夜の内だけか。
「ピット。この後の会議までに、部下の資料をサマリーで纏めておいてくれ。テントの設営が終わったら確認する」
俺は道具を運びながら、地面を並走するモルモット型AIに指示を出す。
今夜も長い夜になりそうだった。
カーム山脈に入ると急な勾配が続き、揺れもこれまでとは質の違う荒さに変わった。
だが身体が慣れてきたのか、今日は景色を眺める余裕ももてている。
車窓から、切り立った峰が延々と連なる様。
先々まで、一面の深い緑の絨毯――
動物なのか魔物なのか判別つかない鳴声が、至るところから反響して不気味に木霊している。
そんな中を馬車は、ベテラン御者の導きで、昇降を繰り返し駆けていた。
「あ……魔物」
聞こえるか聞こえないかほどの、リズの小さな独り言。
俺が依頼主の言葉をもう一度聞き返そうとした瞬間、フネの頭上でピットが急に顔を上げて警告を発した。
「右方より敵影。識別個体:キリング・ウォルグ。数は、三体」
フネは横ですでに大剣を抜いて、腰を浮かせている。
馬がいななき、馬車が急停車すると同時に、前方からトビーの声が室内に響き渡った。
「……魔物っす!二人ともお願いします!」
「リズちゃん、中から出ちゃだめだよ!」
フネがリズの頭を優しく撫でると、車室を飛び出していく。
ピットがその後を追いかけ、俺も続いた。
「オサム、下がっててよ」
フネが剣を持つ手とは逆の手で俺を制し、魔物と対峙する。
出現したのは銀色の長い体毛を備えた、大人二人分ほどの体躯の巨大な狼。
全員一様に、銀の毛並みに蒼い筋が引かれている。
『――』
彼らは馬車を取り囲むように、じりじりと鋭い牙を覗かせながら無言で近づいてきた。
いきなり襲いかかってくるような真似をしない分、不気味さを感じる。
「弱点をマーキングしますか?」
「……頼む」
ピットの提案に、俺は小さく頷いた。
同時にキリング・ウォルグたちの額部分に、赤い矢印がARで表示される。
自立型AIがデータベースから魔物の情報を参照し、生体情報を可視化するピットの機能だ。
弱点を視認できるようにし、フネが叩くというのが俺たちの戦法。
――だが、魔物の反応は予想外のものだった。
『ナンダ、コレハ』
取り囲む内の一体が、低い声で口を開く。
明らかに意思のある言葉。
フネが攻撃をしかけようと動き出すのを止めて、俺は狼たちに声をかけた。
「言葉が分かるのか?」
『……』
しかし彼らは声がけには応じず、沈黙した。
その反応だけでも、ただの獣でないことが分かるが、果たして説得が通じる相手なのかは判別つかない。
避けられる戦闘なら、避けたいところだが、彼らは沈黙を守るだけで退く様子は見せなかった。
「どうするの?もうやっちゃっていい?」
『ナメルナ、ニンゲン!』
フネの軽い口調に、先ほど言葉を発した狼が低く喉を鳴らし、怒りを露わにする。
それと同時に、三体が同時にフネに襲いかかった。
二体が左右から彼女を挟撃し、中央から少し間をおいて残り一体が突進してくる、連携攻撃。
「ふっふーん。やっとフネの出番ね!」
フネは鼻息を荒くすると、その場で身を翻して、まず右方から疾駆する一体に回し蹴りを放つ。
強烈な一撃を食らって、山道の端まで吹き飛ぶ魔物。
巻き起こる粉塵。
しかし彼女はそれには一瞥もくれずに、今度は左から強襲する狼に向き直った。
鋭い魔物の爪が、彼女の胸部を穿つ直前。
片手で軽々と振り回された大剣の刃が、爪と激突し金切り音を鳴らす。
「ほら、いってらっしゃい!!」
楽しそうに爪を受け止めた剣を振り回すと、魔物は弾き飛ばされて、正面から突進してきていた魔物と激突した。
恐ろしい膂力だ。
『ガハァッ!』
激突した魔物がもみ合いながら、地を転がっていく。
さらに止めを刺そうと、フネが踏み込んだところで、リーダー格のキリング・ウォルグが血反吐を吐きながら立ち上がった。
よろよろとした足取り。
しかしその瞳は憎悪に濡れそぼり、フネの追撃を牽制していた。
『オボエテオケ。ツギハ、ヤツザキニシテヤル』
怨嗟の声を放ち、一際大きく雄叫びを上げる魔物。
それを合図に彼らは一瞬で、山の中に姿を消した。
「逃げちゃった……」
フネが呆れたように呟きを漏らす。
「流石っすね。あいつら、結構手強い魔物なのに、全く相手になってないじゃないっすか!」
静けさを取り戻した周囲の空気を、トビーの明るい声が破った。
彼は御者台から降りてくると、フネの腕前を絶賛しながらこちらに近付いてくる。
「美しいのに、半端ない強さっすね。これなら、旅も安心だ」
「えへへ。そう……でもあるけど」
フネがだらしない笑みで、反応を返した。
俺たちはその場でしばらく談笑を交わした後、再び出発するためにキャビンに乗り込む。
車内ではリズが、出ていく前と同じ格好で静かに座っていた。
「……?」
「どうした、フネ?」
扉を開けて足を踏み入れたフネが、一瞬動きを止める。
俺は彼女の背中にぶつかり、疑問を口にした。
――寸暇の間。
「ううん。なんでもなーい。リズちゃん、ただいま!」
しかし次の瞬間には、何事もなかったかのようにフネの元気な声が車室に響いた。
なんか乗り物って長時間乗ってると酔ってしまいますよね。
そんなことない?
というわけで、相変わらず遅筆の鈍行連載です。
気長にお付き合い頂けると幸いです。




