21.大国の足跡
その後の作業は、ひどく単調な繰り返しだった。
二箇所目の失踪現場である古びた木造建築の一室でも、ラピスは先ほどと同じように杖の石突きで床を叩き、青白い波紋を放って隠れた足跡を浮かび上がらせる。
すべきことは、可視化された無数の光の足跡の中から、つま先が扇状に広がる獣特有の――アニヴェクの痕跡を見つけ出すことだけだった。
結果は、想定通りというべきだろう。
うっすらと発光する足跡の中に、確かに獣の爪が食い込んだ巨大な足跡が紛れ込んでいた。
これで、一連の事件にアニヴェクという種族が深く関わっている可能性はより高まった。
さらに、一つ目の現場で見つけたものとは明らかに足のサイズと歩幅が異なっている。
つまり犯人は単独ではなく、複数のアニヴェクで構成された集団である可能性も浮かび上がってきた。
「さて、アニヴェクが関わっていること自体は確定とはいえないものの、その前提で動くだけの動機はできましたわね」
青白い光が空気に溶けて消えていく中、ラピスが静かに口を開く。
「次は特定といいたいところですけれど……もし連邦が関わっていたら、ひどく面倒なことになりますわ」
「大国が裏で動いているとなれば、生半可に関わるとこちらが危ないな。でも、このユーラシア王国にいる限りは安全ではないのか?」
不可侵と不死。
二つの強力な領律ドミネイトに守られたこの地であれば、大国の暗部であろうと容易には手出しできないはずだ。
だが、その楽観的な推論に対し、ラピスは首を横に振った。
「そうとも言い切れませんわ。システムによってリスポーンはできても、殺される瞬間の『痛み』までは消せませんのよ。それに、実力行使に出られずとも、四六時中ずっと付きまとわれる可能性もございますもの。……あと、わたくし自身はこちらの住人ではありませんので、あなたほど自由に動けない身ではありますの」
「痛みの問題は確かに厄介だが……君は、この国の住人ではなかったのか?」
探偵事務所まで構え、この街の裏事情に通じているのだから、てっきり不可侵の恩恵を享受しているものだと思い込んでいた。
わずかに目を丸くすると、ラピスは深紅の瞳を伏せる。
「ええ。ユーラシア王国の住民は領律によって大きな恩恵を受けている代わりに、一度でも住民ではなくなると、その資格を永久に失いますの。わたくしは過去に、自ら抜けておりますので」
語尾がかすかに震えたように聞こえた。
伏せられた長い睫毛の奥に、かつての所属にまつわる何か、取りこぼしたような深い哀愁がよぎる。
だが、その感情の揺れをすくい上げるより早く、彼女は顔を上げ、いつもの芝居がかった優雅な笑みを取り戻していた。
「まあ、それはいったんどうでもいいですわ。それよりも問題は、これ以上調査を続けるか……ということですわね」
杖を握り直し、真っ直ぐにこちらを見据える。
「とはいっても、ある程度目星をつけていたわたくしとしては、すでに答えは決まっているのですけれど。それなのにわざわざこれを話したのは、あなたに決断してもらいたいからですわ。進むか、そのまま終わるか。もちろん、この先であなたの力を貸して貰いたくはありますけれど、ここで終わったとしても、お代は請求いたしませんわ」
静まり返った部屋の中で、無言のまま思考を巡らせる。
頭の中で、リスクとリターンが急速に天秤にかけられていった。
今日この世界に降り立ったばかりの、レベルという概念すら持たない最下級ランクのプレイヤー。
それが、九大国家の一つである『名誉ミーム連邦』が絡むかもしれない連続失踪事件に首を突っ込もうとしている。
実際の痛みを伴う死の危険。
得体の知れないギルドを敵に回す恐怖。
常識で考えれば、ここで手を引くのが最も賢明な選択だろう。
だが、自分の掲げた理想を思い返す。
誰もが安心して挑戦できる土台を築き上げる。
そのための確かな国を創るのだ。目の前で理不尽に人々が消えていく事象から目を背けて、何が国の礎たりえるのか。
それに何より、目の前で皮肉げに微笑むこの優秀な探偵は、これから築く国において欠かせない「右腕」になるという確信があった。
ここで背を向けて、どうして彼女の信頼を勝ち取れるだろうか。
「……ここまでっていうほど、深く入り込んだ気はしていないが」
コートのポケットから手を出し、口角をわずかに上げる。
「乗りかかった船を降りるほど野暮ではないし、将来の右腕を失っても困るしな」
その答えを聞いた瞬間、深紅の瞳がわずかに見開かれ――やがて、呆れたような、それでいてどこか嬉しそうな笑みがこぼれた。
「ほんとお馬鹿ですわね。あなたなんかに収まる器ではないつもりですけれど、高く評価していただけていることだけは受けとっておきますわ」
羽根飾りを揺らしながら、小さく肩をすくめる。
「……まあ、ゲームを始めたばっかですのに、巻き込む形になって悪いですわね」
「気にするな。最初から大きな事件に関われて、私としてはうれしい限りだ。この行動が、大きな成長につながればなおいいがな」
「ふふっ。損だけはさせないですわ。得だけもないですけれどね」
杖を軽く回し、くるりと背を向けるラピス。
その小さな背中越しに見える窓の外では、首都ノヴァ・パトリアの空が少しずつ深い夕闇へと染まりつつあった。
ただの人探しから始まったランクEのクエストは、既に大国の影がちらつく危険な領域へと踏み込んでいる。
だが、胸の奥底で静かに燃えているのは恐怖ではなく、ゼロから盤面をひっくり返すような圧倒的な高揚感だった。
第二の人生における最初の試練として、これ以上のものはない。
彼女の後を追い、次なる真実が潜む闇路へと、迷いのない足取りで踏み出した。




