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異世界殺人―クロスゲート・サスペンス―  作者: 橘靖竜
第十二章 光影反転編

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第百八十二話 切り分ける光

第182話 切り分ける光



【現実世界・駅周辺対応点/規制区域内・朝】


駅前は、二つの街が折り重なったまま震えていた。


現代のロータリー。

白線。

バス停。

駅舎の柱。

その上に、異世界の石畳と石塔と古い街灯が重なっている。


どちらか一方に戻るのではない。

二つが同時にそこへ存在しようとして、互いを押し合っていた。


その中で、人々だけが取り残されている。


避難者の列。

警官の誘導。

駅員の声。

対策班のライト。

そして、ところどころに現れる黒い影。


「進んでください」


駅員の形をした影が言う。


「下がってください」


警官の形をした影が言う。


「整列しろ」


兵士の形をした影が言う。


「生徒はこちらへ」


教師の形をした影が言う。


どれも、正しそうな言葉だった。

だからこそ、人は迷う。


木崎は人混みの端で叫び続けていた。


「名前で呼べ!」

「役職で呼ぶな!」

「警官、駅員、先生、兵士って呼ぶな! 名前を呼べ!」


本物の警官たちも必死に続く。


「田村、右を押さえろ!」

「佐野さん、駅員を後ろへ!」

「真由さん、こっちへ戻って!」

「お子さんの名前を呼んでください!」


名前を呼ばれた人は、はっとしたように戻る。

黒い影の手が離れる。

だが、そのたびに別の影が生まれる。


駅員の形。

警官の形。

教師の形。

兵士の形。

係員の形。

役割だけをかぶった人影が、光路の外側で増えていく。


ラストは、そのさらに奥を歩いていた。


警官の制服。

黒と赤錆色の髪。

目の奥を流れる影と文字列。

その足元から、駅前の金属が少しずつ赤茶けていく。


ガードレール。

誘導灯の支柱。

仮設ゲート。

バス停の金具。

さらに、戻りかけた駅舎の柱の根元にも、錆のような赤茶が走った。


木崎が歯を食いしばる。


「戻りかけた現実まで食ってる……!」


ラストは、ぼそりと呟く。


「戻すなら……支えるものがいる」

「支えるものは……崩れる」


その手が、駅前ロータリーの中央に重なった石塔へ向いた。


石塔の根元と、現実のロータリーの白線が同時に赤茶ける。

現代の舗装と異世界の石が、混ざったまま劣化していく。


「木崎さん!」

警官が叫ぶ。

「ロータリー中央、沈みます!」


木崎は即座に答える。


「近づくな!」

「そこはもう道じゃない!」


次の瞬間、ロータリー中央の地面が、ぎしりと鳴った。


アスファルトなのか、石畳なのか分からない表面にひびが走る。

現実の白線が割れ、異世界の石紋が歪む。


人々が悲鳴を上げる。


光路は、人流の中心だけを細く守っている。

そこから外れた場所は、もう支えきれなくなり始めていた。


◆ ◆ ◆


【現実世界・湾岸方面/資材ヤード・朝】


日下部の画面は、赤い警告と白い線で埋め尽くされていた。


《STATION STRUCTURE / UNSTABLE》

《ROLE SHADOW / SPREADING》

《RUST INTERFERENCE / ACTIVE》

《CIVILIAN FLOW CORE / HOLDING》

《STATION AREA WHOLE / UNSUPPORTED》


村瀬が青ざめた顔で言う。


「人流中心は保ってます」

「でも、駅全体が……」


「持たない」

日下部が、言葉を継いだ。


自分で言って、喉が詰まる。


駅周辺を戻す。

それが第1試行だった。

今も人がいる導線だけは保てている。

でも、駅全体、ロータリー全体、建物全体を支えるには、光路が足りない。


いや、足りないのではない。


広げれば、影も一緒に乗る。


佐伯が画面を睨む。


「このまま光路を広げれば、駅舎全体を支えられる可能性は?」


日下部は首を振った。


「一時的には」

「でも、役割影と腐食も一緒に入ります」

「戻す範囲を広げるほど、混線も広がる」


城ヶ峰が低く言った。


「つまり、全部は戻せない」


誰もすぐに答えなかった。


その言葉は重かった。

分かっていた。

でも、言葉にすると、重さが違う。


木崎の通信が入る。


『日下部、駅前の人流中心はまだ持ってる』

『だが周辺構造は崩れ始めてる』

『全部見ようとするな。ここで欲を出すと人も持っていかれる』


日下部は目を閉じた。


全部を戻したい。

駅も、ロータリーも、道も、建物も。

避難者たちが見ている希望を、壊したくない。


でも、今広げれば、影も一緒に広がる。


「……切り分けます」


日下部が言った。


城ヶ峰が見る。


「何をだ」


「戻す範囲です」

日下部は画面に新しい枠を引く。

「駅全体ではなく、人流中心と避難導線だけ」

「構造物は今は追わない」

「ロータリー中央、駅舎外縁、重なった石塔は捨てます」


村瀬が息を呑む。


「捨てるって……」


「今はです」

日下部は言い切った。

「今ここで全部を支えようとしたら、全部が混ざる」

「人がいる導線だけを現実側へ寄せる」

「駅そのものは、あとでやる」


佐伯が小さく頷いた。


「苦いけど、それしかない」


城ヶ峰は短く命じた。


「全体へ共有」

「目標変更」

「駅全体ではなく、人命導線を守る」


日下部は通信を開いた。


『全班へ』

『第1試行目標を変更します』

『駅全体の安定化を一時断念』

『人流中心と避難導線の保持へ切り替えます』

『繰り返します。駅全体は追わない。人を守る導線へ絞ります』


その言葉が、現実側と異世界側へ同時に流れた。


◆ ◆ ◆


【異世界・転移した学園/体育館脇・朝】


ハレルは、その通信を聞いていた。


駅全体は追わない。

人を守る導線へ絞る。


言葉は理解できる。

だが、胸の奥が痛む。


駅が戻りかけていた。

人々がそれを見て泣いていた。

帰れるかもしれないと信じていた。


それを、今は全部守れない。


主鍵の熱が、手の中で震える。


「……駅全体は、追わない」


ハレルは自分に言い聞かせるように言った。


サキが横で頷く。


「うん」

「今は、人を守る」


リオは副鍵を押さえたまま、駅側の反応を見ている。


「範囲を絞るなら、こっちも合わせる」

「右側の避難導線だけに寄せる」


ノノの声が返る。


『お願い』

『ハレル、主鍵は中心を細く』

『リオ、右の導線』

『アデル、左側の支えを維持』

『ダミエ、学園側の外箱が揺れる。補助層を守って』


ダミエは短く答える。


「分かった」


レアは箱の中で、じっとハレルを見ていた。


「つらそうな顔」


ハレルは何も言わない。


レアは続ける。


「でも、それはたぶん正しい」

「全部戻そうとして全部壊すより、ずっとまし」


「お前に言われたくない」


「そうだね」

レアは、珍しく素直に頷いた。

「でも、私は壊れる側も見たから」


サキがレアを見る。


「壊れる側?」


レアの黒い片目の奥で、影が揺れる。


「全部を一つにしようとして、どこにも戻れなくなったもの」

「穴の向こうには、そういうのがいっぱいあった」


体育館の空気が重くなる。


ハレルは主鍵を握り直した。


「……なら、そうはしない」


声は低い。

だが、はっきりしていた。


「全部じゃなくても、今守れる場所を守る」


主鍵の光が、細く絞られていく。


広がる光ではない。

選ぶ光だった。


◆ ◆ ◆


【異世界・王都イルダ/北西区画・朝】


北西区画では、ジャバが笑っていた。


黒い獣影の群れが前線を押している。

王都軍兵の槍列が揺れる。

術師たちの光杭が影の体に刺さるが、前よりも輪郭が濃い。


ジャバは崩れた石壁の上から叫ぶ。


「どうした!」

「駅が大事か? 街が大事か? 学園が大事か?」

「全部守るんだろ! なら全部抱えて潰れろ!」


ヴェルニが爆風で狼型を押し返しながら怒鳴る。


「うるせえな!」

「口ばっか動かしてねえで降りてこい!」


ジャバは笑う。


「降りたらお前が喜ぶだろ!」


「喜ぶから降りてこい!」


アデルは、そのやり取りを聞きながらも左腕の副鍵へ意識を集中していた。


左側の避難導線。

駅周辺の人流中心。

そこへ薄く支える光を送る。


同時に、北西の結界も切らせない。


腕が痛む。

肩まで熱が上がる。

だが、広げない。

細く、必要な場所だけ。


イデールが後方から叫ぶ。


「アデル、光が広がりすぎてる!」


「分かってる!」


「分かってるなら絞って!」


アデルは歯を食いしばり、副鍵の光をさらに細くした。


支える場所を選ぶ。

守る範囲を切る。

それは、戦場で後退線を決めるのに似ていた。


救えない場所を認めること。

今救うべき場所を守り抜くこと。


アデルは息を吐く。


「前列、無理に押すな!」

「北西は保つだけでいい!」

「駅側へ力を割く!」


兵たちが応える。


ヴェルニが振り返らずに叫ぶ。


「なら前は俺が派手にやる!」


「やりすぎるな!」


「無理だ!」


「そこは努力しろ!」


ヴェルニは笑って、両手に炎と風を巻いた。


「〈爆炎旋風・第四級〉――『まとめて下がれ!』」


炎と風が渦を巻き、迫っていた獣影を前線から大きく押し戻す。

完全には倒せない。

だが、時間は作った。


その時間を、アデルは駅側へ送る。


◆ ◆ ◆


【現実世界・駅周辺対応点/規制区域内・朝】


現実側の駅前で、光路の形が変わった。


それまで駅全体へ薄く広がろうとしていた白い光が、ぎゅっと細く絞られる。


ロータリー中央からは光が引く。

石塔と白線が重なった場所は、支えを失ってさらに揺れる。


避難者たちから悲鳴が上がる。


「駅がまた消える!」

「戻ってたのに!」


だが、人々が立っている導線だけは、白く強くなった。


規制線。

避難者の列。

警官が名前を呼び合う場所。

子どもが母親の手を握っている場所。

そこだけが、光に守られる。


駅員の影が、その中へ入ろうとして弾かれた。

警官の影が、名前を呼ばれた本物の警官から離れる。

教師の影が、子どもへ伸ばした手を引っ込める。


木崎が叫ぶ。


「今だ!」

「人を光の内側へ!」

「駅を見るな! 人を見るんだ!」


本物の警官たちが動く。


「真由さん、こっち!」

「田村、右の列!」

「佐野さん、誘導板を下げて!」

「名前で呼べ! 名前で!」


人々も互いに名前を呼び始める。


「美咲!」

「お母さん!」

「健太、こっち!」

「山下さん、押さないで!」


名前が、光の内側で飛び交う。


役割ではなく、個人。

その声が、黒い影を少しだけ遠ざけていた。


ラストはその様子を見て、足を止めた。


「……名前」

「支える」

「面倒……」


彼の手が、再び仮設ゲートへ向く。


ゲートの根元が錆びる。

だが、交差灯がその前に置かれる。

白い光の節が作られ、錆の進みが鈍る。


木崎が叫ぶ。


「光の節を増やせ!」

「ラストの線を切れ!」


ラストは、今度は駅舎の柱へ手を向ける。


戻りかけた柱の一部が赤茶ける。

だが、人流中心から外れていたため、木崎は叫んだ。


「そこは捨てろ!」

「人を守れ!」


その声は、重かった。


捨てる。

戻りかけた駅の一部を。

人を守るために。


◆ ◆ ◆


【異世界・駅周辺/臨時防衛線・朝】


異世界側でも、同じ切り分けが行われていた。


駅前広場全体を包もうとしていた光が、人の列へ絞られる。

現実のロータリーの影は薄くなる。

だが、避難者の足元にある白線だけは強くなる。


指揮兵が叫ぶ。


「光の内側へ!」

「建物を見るな、人を見ろ!」

「名前を呼べ!」


兵士たちが互いに叫ぶ。


「ミルド!」

「リナの兄貴、こっちだ!」

「セム、子どもを押さえろ!」

「名前を呼んで下がらせろ!」


避難者たちも名前を呼び合う。

子どもが母を呼び、母が子を呼ぶ。

老人が隣の若者の名を呼ぶ。

兵士が民の名を聞き、それを繰り返す。


黒い兵士の影が、その声の中で薄くなる。

教師の影が、名前を呼ばれた子どもから離れる。

駅員の影は、現実側の光に弾かれるように揺れた。


完全には消えない。

だが、人の中心には入りにくくなっている。


術師が光具を見ながら叫ぶ。


「人の列だけ安定!」

「広場全体は不安定!」


指揮兵は迷わなかった。


「広場は捨てる!」

「列を守れ!」


その判断に、何人かが息を呑んだ。


広場は戻りかけていた。

みんなが見ていた希望だった。


でも、今は人の列だ。


光は細く、しかし強く、人の足元を守った。


◆ ◆ ◆


【現実世界・湾岸方面/資材ヤード・朝】


日下部の画面に、変化が出た。


《TARGET / CIVILIAN FLOW CORE》

《FLOW CORE / STABLE》

《STATION WHOLE / UNSTABLE》

《ROLE SHADOW / REPEL PARTIAL》

《RUST INTERFERENCE / LIMITED》


「人流中心、安定!」

日下部が叫んだ。

「駅全体は不安定ですが、人の導線は持っています!」


村瀬が涙をこらえるように息を吐く。


「よかった……」


佐伯はすぐに記録を取る。


「第1試行、目標変更後、人流中心安定」

「駅全体の安定化は失敗、または保留」

「避難導線の保持は成功」


城ヶ峰が短く言う。


「言葉を選べ」

「失敗ではない。切り分けだ」


日下部は頷いた。


「はい」

「切り分けです」


木崎の通信が入る。


『こっちはまだラストがいる』

『だが、人の列は崩れてない』

『名前が効いてる。光の節も効いてる』


城ヶ峰が答える。


「そのまま維持」

「欲を出すな」


『分かってる』


木崎の声は荒い。

だが、折れてはいなかった。


◆ ◆ ◆


【異世界・転移した学園/体育館脇・朝】


ハレルの手の震えが、少しだけ収まった。


主鍵の光は、細く、強く、駅周辺の人流中心へ伸びている。

広がらない。

全部を包まない。

でも、守るべき場所を支えている。


ノノの声が入る。


『人流中心、安定』

『駅全体は不安定』

『でも、人は守れてる』


サキは目に涙を浮かべていた。


「よかった……」


リオは深く息を吐く。


「まだよくはない」

「でも、最悪は止めた」


ダミエも静かに言う。


「選んだ結果だ」


ハレルは主鍵を見た。


選んだ。

駅全体を追わないと。

人を守ると。


その結果、駅の一部はまた揺れた。

でも、人の列は守れた。


レアが箱の中で言った。


「最初は、それでいいと思う」


ハレルはレアを見る。


「最初?」


「全部を戻す前に、まず誰を戻すか決めた」

レアは静かに言う。

「たぶん、それができないと、帰る道は作れない」


その言葉に、ハレルは何も返さなかった。


ただ、主鍵を握り直した。


これは勝利ではない。

でも、敗北でもない。


全部は無理だと知った。

その上で、人を守る道を選んだ。


それが、この先へ進むための最初の切り分けだった。


◆ ◆ ◆


駅全体を戻すことは、できなかった。


現実のロータリーと異世界の石塔は、まだ同じ場所で揺れている。

駅舎の柱は錆び、広場の輪郭は不安定なままだ。

黒い影も、まだ完全には消えていない。


だが、人々の列は守られた。

名前を呼び合う声が、影を退けた。

光路は細く絞られ、人のいる導線を支えた。


全部ではない。


でも、今守るべきものは守った。


その判断が、次の大きな決断へ繋がっていく。


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