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異世界殺人―クロスゲート・サスペンス―  作者: 橘靖竜
第十一章 帰還光路編

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第百六十八話 ラスト

第168話 ラスト



【現実世界・湾岸方面/臨時保管棟へ向かう導線・明け方】


空が白み始めても、安心は一つも増えなかった。


むしろ、明るくなるほど分かる。

ガードレールの継ぎ目。

誘導灯の金具。

車両のステップ。

仮設ラックの脚。

気づくたびに、どこかが鈍く赤茶けている。


木崎は移動しながら、視線を絶えず動かしていた。

前。

横。

警官の列。

伴走する車両。

また前。


誰が異物なのか、まだ切れない。

だが、“いる”ことだけはもう疑いようがなかった。


急がない。

走らない。

目立たない。

それなのに、気づくと少し近い。


見えないまま距離だけを詰めてくる。

その近づき方が、人間らしくない。


「……また増えた」

木崎が低く言う。


城ヶ峰が前を見たまま聞く。

「どこだ」


木崎は顎で示した。

歩道側に立ててあった可動式の警備柵。

その蝶番のあたりが、さっきまでよりはっきり赤くなっている。


そのすぐ先では、制服姿の警官が数人、規制線の整理をしていた。

誰も不自然には見えない。

だが誰も安全にも見えない。


日下部はケースを抱えたまま、端末から目を離さずに言う。

「止まったものから先にやられてる感じです」

「車両そのものじゃなく、留め具とか、継ぎ目とか、閉じた部分から」


村瀬が小さく言った。

「閉じた部分……」


その言葉へ、ちょうどノイズ混じりの通信が割り込んだ。


『現実側、聞こえる?』

ノノの声だ。

『さっき、匠さんから一つ出た』

『ラストは“止まった導線”と“閉じた金属”を食う』

『逆に、循環してる光とか、流し続けてる線には乗り切れない』


車両の中の空気が、そこで少し変わる。


日下部が顔を上げた。

「……そういうことか」


木崎がすぐに言う。

「城ヶ峰、止めるな」

「金属を捨てるんじゃなく、止まらせない方がいい」


城ヶ峰は即座に命じる。


「前へ伝えろ!」

「照明は落とすな、誘導灯も点滅維持!」

「搬送車の補助電源を切るな!」

「シャッター類は閉め切るな、半開で動かせ!」


隊員たちが一斉に走る。


ただの撤退ではない。

“動かし続ける”ための移動へ変わる。


その瞬間だった。


道の左側に停めてあった警察車両のドアヒンジが、

ばきり、と嫌な音を立てて折れた。

外れたドアが、鈍い音で地面へぶつかる。

近くにいた若い警官が驚いて振り向いた。


そして、木崎はその“振り向いた警官”のさらに向こうにいる一人へ目を止めた。


無線に手をやらない。

慌てない。

倒れたドアにも反応が薄い。

ただ、歩幅だけが一定だ。


木崎はカメラを上げる。


レンズ越しに見えたその顔は、まだ完全には切れなかった。

制帽の影。

逆光。

だが、目の下が異様に暗い。

髪が少し長い。

そして前髪の奥、瞳の位置にだけ、黒いものが沈んでいる。


「……一人、いる」


木崎の声が低くなる。


城ヶ峰が短く聞く。

「切れたか」


「まだ半分だ」

木崎が答える。

「だが、あれだ」


その警官はこちらを見ても、走ってこない。

急ぐ様子もない。

ただ少しだけ角度を変え、車列と並ぶように歩く。


その静けさが、逆に恐ろしかった。


◆ ◆ ◆


【異世界・転移した学園/校舎内・朝前】


学園の空気も、軽くはなかった。


体育館の中では、まだ生徒たちが毛布にくるまっている。

ダミエの結界は持っている。

だが、持っているだけだ。

余裕があるわけではない。


ハレル、サキ、リオは、校舎の一室でノノたちと繋ぎながら、

レアの身柄について話していた。

イヤーカフの向こうには、ノノ。

セラ。

そして王都側の通信回線が開いている。


『北西区画は持たせてる』

アデルの声が入る。

『だが、後方で片鱗が兵士の姿を使って入った』

『あれを見た以上、学園側をダミエ一人の結界に預け続けるのは危ない』


ハレルは机の縁を握った。


それは自分でも分かっていた。

ダミエは強い。

だが、今はレアの箱を一人で維持しながら、生徒たちもいるこの学園を守っている。

しかも王都側では、北西区画の影獣、後方の片鱗、術師の消耗が続いている。


リオが低く言う。

「移すか」


その一言で、話が現実になる。


サキがすぐに顔を上げた。

「王都へ?」


『それを今決める』

ノノが答える。

『王都上層部とも繋いでる』


少しノイズが入り、別の声が聞こえた。

年配の男の声だ。

王都の守備と術式管理を担う側の者らしい、抑えた硬さがある。


『危険対象を学園に置き続けるのは好ましくない』

『本来なら王都管理下へ移送するべきだ』


すぐ別の、少し若い女の声が重なる。

こちらも王都側だろう。


『ですが現時点での移送は危険です』

『北西区の防衛線がまだ安定していない。

護送へ回せる術師も少ない』


『しかし、ダミエ一人へ負担が偏りすぎている』

年配の男が返す。

『片鱗の事例が出た以上、学園の内側で何かあれば一気に崩れる』


その全部を聞きながら、ハレルはようやく言った。


「……でも、今動かした方が危ない」

「箱のまま運ぶ途中で崩れたら、王都の外でも中でも同じだ」


リオも頷く。

「しかもレアはまだ情報源だ。

今、完全に王都へ引き渡したら、こっちが聞きたいことまで遠くなる」


サキはスマホを抱えながら、少しだけ強く言った。

「それに、学園にはまだ生徒たちがいる。

ここで崩れたら困る。

でも運ぶ途中で崩れるのも同じくらい困る」


言ってから、自分でも少し驚いた顔になる。

理屈ではなく怖さから出た言葉だった。

けれど、間違ってはいない。


セラの声が静かに入る。


『移送するなら、少なくとも三条件が必要です』

『一つ、ダミエ単独ではなく複数の拘束層にすること』

『二つ、護送路に光系の循環を通すこと』

『三つ、王都側で受ける箱を先に用意すること』


ノノがすぐにまとめる。


『つまり、今すぐ移送は無理』

『でも、このままダミエ一人に全部乗せるのも無理』

『だから中間案が必要』


『……具体的には』

王都側の女の声が聞いた。


ノノは少しも迷わなかった。


『学園を一時的に“外箱”化する』

『レアの箱の外側に、もう一段広い拘束圏を作る』

『ダミエを中心にして、王都側から追加の光具と結界杭を送ってもらう』

『王都が落ち着くまで、その場で多層拘束にする』


しばらく沈黙があった。

それは、反対というより計算している沈黙だった。


アデルの声が入る。

『それなら現実的だ』

『今の王都から護送を割くよりましだ』


イデールの声も、少し遅れて混じる。

『光具なら回せます』

『北西区画の後方修復が落ち着き次第、学園へ送ります』


ハレルは、その言葉に少しだけ息をついた。


完全に解決したわけじゃない。

でも、無茶に運ぶか、このまま放置するかの二択ではなくなった。


その時だった。


体育館側の回線から、ダミエの声が低く入る。


『聞こえてるなら、決めるのを急げ』

『今は持ってるが、次に大きく揺れたら一人では抑え切れないかもしれない』


ハレルはすぐに返した。

「多層拘束にする」

「王都から光具と結界杭を送ってもらう。

移送はそのあとで判断する」


ダミエは短く答えた。


『了解』


王都側の年配の男も、やがて低く言った。


『承認する』

『ただし学園は一時的に王都管理下の危険拘束地と見なす』

『出入りを制限し、必要資材を優先で送る』


サキが小さく顔をしかめる。

言い方は硬い。

でも、それだけ事態が重いということでもある。


『決まりね』

ノノが言う。

『じゃあ学園側、ダミエと合流して配置を詰めて』

『王都側、光具と杭の搬送準備』

『アデル、前線は――』


『持たせる』

アデルが短く返した。

『そのためにこっちはまだ立ってる』




【異世界・転移した学園/体育館・朝前】


ハレルたちが体育館へ戻ると、ダミエはまだ箱の前に立っていた。


顔色は悪い。

呼吸も浅い。

だが、倒れてはいない。


結界の中では、レアが座ったままこちらを見ていた。

前と同じように笑っているようで、ほんの少しだけ疲れて見える。

体の中を走る数列は、時々強く明滅していた。


「話、まとまったか」

ダミエが聞く。


「まとまった」

ハレルが答える。

「今すぐ移送はしない。

その代わり、ここを二重三重にする」


ダミエの目が少しだけ細くなる。

安心でも不安でもない。

単純に、持たせ方の話へ切り替わった顔だ。


「光具は」


『送る』

イデールがイヤーカフ越しに答える。

『結界杭も。

ただ、少し時間が要ります』


「時間は作る」

ダミエが言った。


そのやり取りを聞いていたレアが、箱の中で小さく笑った。


「……大事にされてるね、私」


「勘違いするな」

リオが冷たく言う。

「情報源だからだ」


「知ってる」

レアは言う。

「でも運ばないのは正解」

「今の王都、揺れてるし」


ハレルの目が細くなる。

「何を知ってる」


レアは肩を揺らす。

「全部じゃないよ」

「でも、箱を動かすと“中のズレ”が広がることはある」

「今の私、見た目よりずっと軽くないし」


それは、脅しにも聞こえる。

だが、さっきまでの証言を考えれば、ただの嘘とも切れない。


ダミエが結界線を見たまま言う。

「だからここで固める。

次に揺れても、一人分の結界じゃなくなるように」


サキはその言葉を聞いて、少しだけ力を抜いた。

まだ怖い。

でも、少なくとも“何もしない”わけではない。


◆ ◆ ◆


【現実世界・湾岸方面/臨時保管棟手前・朝前】


現実側では、木崎たちがまだ移動を続けていた。


ラストの顔は、まだ完全には切れていない。

だが、もう疑いの段階でもない。


進む先のシャッターの下端。

電源盤の蝶番。

通路脇の手すり。

金属の継ぎ目から順番に赤茶けていく。

今や錆は、導線そのものへ先回りするように広がっていた。


木崎が低く言う。

「……近いな」


城ヶ峰が短く返す。

「分かっている」


日下部はケースを抱えながら、まだ画面を見ていた。

逃げながら読む。

止まらない。

匠から来た補助線のヒントも含めて、今は一秒でも進めるしかない。


佐伯が、小さく言う。

「向こう、顔を見せる気ないですね」


「その方が怖いからな」

木崎が答える。

「正体が切れないまま、周りだけ崩される」


その時、少し離れた規制線の列の中で、一人の警官が立ち止まった。

本当に少しだけ。

そしてまた歩き出す。


距離はある。

だが、木崎の背筋が冷えた。


あれだ、と直感が告げる。

でもまだ断定の刃までは届かない。


見えない。

だが、もうすぐ見える。

そう思わせる距離まで、相手は来ていた。


◆ ◆ ◆


【異世界・王都イルダ/北西区画・朝前】


王都軍兵は、まだ持ちこたえていた。


猪型の影獣が再び突っ込み、槍列がそれを受ける。

狼型が結界の縁を試し、ヴェルニの風がそれを押し返す。

崩れた石壁の向こうでは、ジャバがまだ笑っている。


アデルは前を見たまま言う。


「北西、まだ線は切れていない」

「イデール班、後方の杭を優先」

「光具が余ったら学園へ回せ」


『了解』

イデールが答える。


王都も学園も、今は別々に守っているようでいて、実際には一つの線の上にあった。

レアをどう拘束するかも、北西をどれだけ持たせるかも、全部が帰還の光路へ繋がっている。


◆ ◆ ◆


レアはまだ学園にいる。

だが、そのままにはしない。

王都はまだ戦っている。

だから学園を箱の外の箱に変え、持たせる。

現実側では、顔を見せない錆がじわじわと近づいてくる。


細い光路を守るために、守るべきものはまた一つ増えた。

それでも、まだ線は切れていない。




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